お焚きあげ、念を天に還しゼロにする
田舎住み治療家のメリットはたまに野焼きをしても咎められない事である。
治療家を続けて最も処理に困るのがカルテ。個人情報満載なだけでなく、そこには心や身体の「いつ・どこで・どうして?不具合になった」メモが細々と書いてある。A4の紙がずっしり感じるような重い代物だから。
人間の記憶というのもまた不思議なものだ。
私は勉強系記憶力がかなり悪いくせに、ヒアリングしたデータだけは別物みたいに再生できるという機能がある。
顔と名前と日付の一致が実は苦手なのだが、身体に手で触れながらお話しを聞くうちに以前聴いたプロファイルがパタパタ開きだす。
QRコードでも付いているのか?
私の手はスキャナーか?
そんな風に感じる謎の能力が根付いたようだ。
人ひとりが持つデータはめちゃ重い。
だから常に思い出したりはしない。
頭の一次ファイルに保存して「はい、次の方」と切り替えるのは普通のドクター達と変わらないように思う。
詳細な記録を残すこともできたりできなかったり…けれど私は知っている。
「次また話しを聞けば記憶は再生される」という事を。
もちろん限界はあるが、私の場合は4年…オリンピック並みのペースで来院されるなら割と諸々思い出せる。
子どもクライアントの場合は「なるべく忘れない」ファイルに保存してあるのか、別物のようによく覚えている。
故に、間違いなく…データ重すぎ!
脳は疲弊しすぎると認知機能にも問題が生じる。周知の事実ではないか、何とかせい。
と言う訳で、とりあえず「来院が2年途切れた方のカルテを焼く」という処分を去年から始めた。
所謂「お焚きあげ」方式。
雨上がりの佳き日、風の神さま火の神さまのお力をいただきながら野焼きする習わしになった。
今回は併せて、長く捨てられずにいた思い入れの強い手紙類も焚き上げさせていただいた。
「すべてのことが前より良くなりました。
ありがとうございました」
あえてザックリした感謝を込めて祈りを上げる。我彼の違いはそこになく平等に祈る。
風が吹いて燃え滓が飛ばないように、棒で抑えたり返したりしながら一人で焼く時間
煙の匂い
風の音
火が鎮まる頃には私の心も静かになる。
透明度が上がった視界に映る青空が美しい。
願いは叶わないことの方が多く
だからこそ人の心は痛み身体が軋む。
地球で生きる事は試練の旅かもしれない
少なくとも私にはそうだった。
だからだろうか。
不器用な人
悩む人
傷つきやすい人
そんな人しか来ないような治療室で不思議と私は安堵している。
みんなたった一つの生命を
一生懸命使って生きているなぁ
健気だなぁ 愛おしいなぁ
治療室はそう思える対話の場所だから。
正直でいられる、いてもいい場所だから。
念を天に還せば無垢なエネルギーに還元される。
そう私は師匠に教わった、だから祈る。
悲しみよ、怒りよ、苦しみよ
元なる力に還られ給え。
本当はどうしたかった?
どう在りたかった?
思い出せたらまた
地上に戻っておいで。
風が止んだら鳥たちが歌い出した。
さぁ又、新しい今日を始めよう。