少し前のこと。 近くにあった書店でふと目をひかれたゴリラの本。 美しく繊細で、哀しい愛しい生きもの。 「ゴリラ」 私は大好きだ。 ・・・ 手にとった本の著者は、山極寿一先生。 おもしろかった。 理系の山極先生の文が明快でうまかった。 ゴリラって歌うんだ。猫と同じだ。 ゴリラへの愛が満ちていて、ワクワクした。 ・・・ そののち程なく、宮崎市にて京都大霊長類研究所のサル学記念講演学会が行われることを知って、すぐに飛んだ。 その頃ご存命であられた河合隼雄先生、幸島の
命さえ危なかった、DVの結婚生活。 きつかった介護。 精一杯やって、一生懸命生きてきたけど、誰にも想像つかないものだから。わかってもらわなくってもしようがない。 家族もそれぞれ事情があっての20年間だったし。 でも、私がPTSDと不安恐怖で苦しいのも、確かです。 「だから死にたいんだ」と言ったら、「ここまでがんばってきて何を言ってる。悲しいこと言うなよ。」と、兄。 わかってない兄でも、今さらながらなんとなく、DVや介護のすごさが少し想像できてきたかなって。 一人っき
願わくば―――― 願わくば 私が死んで出棺するときは、 サッチモの「この素晴らしき世界」を流してほしい。 素晴らしいとなんか思えなかった世界。 去る時くらい素晴らしいと思った音楽で送ってほしい。 ということは、素晴らしいことも少しはあったということなのでしょうか。 あと―――― ユーミンの「消灯飛行」や、 玉置浩二の「行かないで」なんて流れてきたら、死ぬに死ねない。 棺おけに入ってる場合じゃない、となりそう。
私が離婚して街を出るとき 近所の中学生二人が 暗唱して見送ってくれた詩です。 家族ぐるみで仲良くしていた人達でした。 できるなら できるなら 嘘でも、まやかしでも、 虚構のガラスの夫婦のままでも いたかった。 そしたら、そのままで、 愛する人達や犬や猫と 別れなくてすむのにと。 人格障害の彼へは 到底求められない願いでした。 私の心に深く深く 秘めたるものがあるとすれば、 それはかなしみなくしては 宝物にはならないものです。
今、井上順さんの「お世話になりました」を聴いています。 私のこの街に、まだ大学があった頃。ゴチャゴチャした家の並びに借家や間借下宿があり、大学生が沢山住んでいました。 大家さんと学生さんとの距離がとても近かった。 就活時期には大手企業人事部からの学生さんの人物評を聞く為、大家さんに電話で問い合わせがあるのはザラでした。郷里のご両親からは、いつも挨拶がありました。 チンチン電車の線路沿いにあったたこ焼き屋さんは3個で10円。そこへドテラを着た銭湯帰りの学生さんが、手のひ
私は、DVサバイバーです。 恐怖と不安のPTSDは ついて回ります。 徹底的に心身ともに 存在をたたきのめされたので、 双極性気分障害になりました。 私はもともと恐がりで HSPでもあるので 色々の心の病を抱えながら 現実を生き抜くのは、苦しかった。 どうせ私なんか もうだめなんだ 死ぬしかない 毎日どう頑張っても。 と、思っています。 ある日、 この壁を乗り越え 時を生きる力を とり戻しに行きましょうと おっしゃって下さる方がありました。 書いてみないか、と。