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日本人は極めて理解しがたい性質を持つ(世界目線)

7月ももうすぐ終わりですね。(そして2022年も後半!)日本を含め世界で衝撃的なニュースもたくさんありましたが、今日はNewYorkTimesの記事の中でこの7月、気軽に読めたかつ興味深かった記事を翻訳しクローズアップ、そしてそこから派生し考察をしてみる。今回ピックアップした記事のタイトルは
“Japan’s Seacret to Taming the Covid: Peer Pressure”
(日本がコロナを抑制した方法 : 同調圧力)






(👩‍🏫💡ちなみにPeerというのは直訳で、同格の仲間という意味なのでPeer Pressureで同調圧力と訳してます。)







この記事で主に触れられていたのは【日本は一度もマスクやワクチンを強制されたことはないのに、同調圧力や自制警察(Self restraint Police)または他の人に悪く思われたくない、仲間はずれにされたくないという意識だけでみんながルールを守っているのだ!! (世界目線 : マジそれって何?とにかくスッゲーっ✨!)】というようなもの。







しかしこうして今回、日本に蔓延している同調圧力について客観的に考察した記事を書いていこうと思っている私は純粋に100%日本人の両親のもとに日本で産まれた日本人である。そして、日本で育ち、そして日本の学校へ行って(わりと一匹狼タイプだったが)常にクラスの女子のヒエラルキーみたいなのが存在する環境の中で育った。そして日本企業の超年功序列制度の下でも働いて来た。




だから、いくら時間的には人生の3分の1を米国で過ごして来たとはいえ、いったい日本人の思想もとい同調圧力、それがどういうものか、なぜそこから抜けるのが難しかったかまでもよく理解している。





それも昔のわたしに言わせれば、それは疑問を持たず当たり前に共にあった感情であり、自然的かつ密接的に関わっていたというのが理解なんてより表現的に正しい。つまりその、意識すらしていないそれについて以前の私が抱いていたその感覚を言葉で表現するとしたら
なんだか、理由はよくわからないけど、生きにくい気がする」が正確にフィットする。








しかし米国に移住して痛感したのはやはり、この国の同調圧力は異常であったということ。
まず、私たちは生まれた時から、日本という国が地理的に孤立していることが助かり、いわば文化も人種もいわゆる異なる個性が溶け合う”Meltingpot”な環境とは真逆であり、引き換えに平均的が既に形作られている国だ。そこに生まれ落ちて来た時点でマイノリティー、少数派についての理解を深めることが不得意になるのは否めない。
しかし、そういった''生まれ落ちた時点で備えている平均的''に加え世論や思想に至ってもそれは同じように作用しており、いろんな個性を受け入れるということはやはり割と何でも器用にこなす日本人がとても不得意とすること。もとい日本人のひとつの大きな弱みだといえる。

(*Melting Pot=いろんな文化、人種が溶け合うことの意 。しかしSaladBowlとは似て非なり、異なる文化が交わりより一体化しているという熟語なので個人的にはこちらをより好んで使う。)






いまや、本来であれば卓越するスキルを持つことで評価される芸能人だって、
「〜さんって、とっても庶民的で好感度上がります!」なんて、評価されたりしちゃうもんだから日本では庶民的感覚セレブのキャラ渋滞が多発してると感じる。これは個人的には、超つまんないじゃんって傍観している。



なんてゆうかたとえば、
ビヨンセとJAYZは【夫婦でコストコ大量買いしてみた!】とか絶対やらないし、リアーナは【ユニクロ1週間着回しコーデ!】とか絶対やらない。そのカリスマ性、それがいいんじゃん?そもそもみんなと違うことするのがカリスマの定義じゃなかったっけ。







みたいな。







菊と刀。という書籍がある。これは確か7-8年ほど前に友人に勧められざっと読んだ。
プロパガンダなのでは?と言われたりと賛否両論あるのだが、個人的には日本人として必読の古典だと思っている。日本を日本人以外が客観視する時、それはどう言ったものになるのか?というものをアメリカの文化人類学者が研究という視点でまとめたものであり、批判もさることながら一級日本人論とも呼ばれている書籍だ。





1949年(世界大戦直後)に発表された書籍だということもあり、冒頭はこのようにはじまる。




日本人はアメリカがこれまでに国を上げて戦った敵の中で最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いでこれほど甚だしく異なった行動と思想の習慣を考慮に置くことを必要に迫られたことは今までにないことであった。

「菊と刀」まえがき









そしてこのように解説が進む。

日本人は歴史や文学、宗教または教育といったあらゆる方向から善悪といった罪でなく、恥を最重視しており。多くの日本人は人任せの行動を取ることが目的達成の安全な道とされる=無気力が広がっていく傾向がある。

「菊と刀」






ふむ。







今回のNewyork Timesの記事としては、日本のこの特殊な文化がコロナ禍で多くの場合よく働いたようだ。というポジティブな考察が概要であったのだが。




記事内の文面で



-まるでマスクをしていないと下着を大衆の目の前で脱ぐかのような恥ずかしさを日本人は持っているようにさえ見える。


-日本では、右に向けと言われたら全ての人が右を向くらしい。



といったように記述されており、この記事の最後は日本人女性へのインタビューで彼女が答えたことばが、同調圧力を表すパンチラインとして記載されていた。




「マスクはまだ外せない。だって、周りのみんながまだつけてるから。」




''強制されてないのに、みんながそうだからってまだマスクつけてるのってすごいよね!!これを同調圧力っていうそうです!''





''ところで同調圧力、それって美味しいの?''





みたいなことである。





マスクもう外してよくない?単純なそれ以前に、正直、同調圧力、つまりはそれぞれの個性を認めないことこそが日本の学校でもいじめの根源であった。さらには(まだ経験はないけれど)ママ友間のいざこざってやつも自分以外の子供の成績とか旦那の年収とかの謎でしかない基準であれこれ比べたり、大切な我が子についてもうちの子なんてみたいに卑下し表向きには異質となるまいとするのがデフォルトらしいから同様なのだと思う。
そして、仕事をするに至っても、波風立てぬのが大事だとされる風潮を持つ会社がとかく多く、これじゃあ飛び抜けた能力の人間が排出されることを会社自ら拒んでいるようなものである。やはりそおゆうのは矛盾し過ぎて意味が分からない。







この世の誰もが非凡な才能をもつ天才なのである。しかしもし魚を木登りの能力で評価したとしたら、魚は自分のことを馬鹿だと思い込んで一生を過ごすことになるだろう。

Albert Einstein






すこし皮肉的な記事になったのだが、こうして書いたのは少しでも日本を客観視するきっかけを作り、上記の言葉にあるように本当の貴方の才能にあなたが気付くことがいかに人生の可能性を広げるにあたり重要であるかをシェアしようと思った。そしてそんな人生をEXPANDだとかの大々的な事でなくても単純にシンプルに楽に生きるためには社会的同調圧力のマトリックスから抜けることが第一歩であり、必要不可欠である。ということが伝わればいいな








(共感していただけた方、ブログシェア、拡散、大歓迎です〜✌️)






とまあ、これだけいろいろ書きましたがその反面、10年ぶりに日本に帰ってきてからというもの日本人が持つあたたかさや、繊細さという独特な気質。という極めて美しいそれに、日々感動しているんですけどね。(それについて書いた記事もブログの最後に添付します👘日本人の皆さんに読んでいただきたい所存😊)









それでは今日はこの辺で。









TTYL👋












ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

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日本人が持つ極めて美しい気質🤍

自己紹介&自身が提供しているキネシオロジーのヒーリングセッションについての記事はこちら⭐️


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