六.2人目の救世主あらわる。
私が倒れる前、2015年の秋頃だったと思う。その頃は、メンタルも体調もボロボロだったけど、そのことに気づかないふりをして無理ばかりしていた。このままでは自分はダメになると薄々感じていたが、何から始めたら良いか、何をすれば良いか検討もつかなかった。
何か始めたい、自分を変えたい、でも何をしたら良いかわからない。誰にも相談出来ない。悔しさや不安や、いら立ちの感情がごちゃごちゃになって、子どもの頃からそうしていた様にただ泣いてすっきりさせていた。
それまでの人生もずっとそんな感じだったけど、時々疲れがドッと押し寄せて、急に具合が悪くなることがあった。その日も体調が悪く、夕方から1人でベッドに入りつつスマホをいじっていた。ただひたすら、何か心が惹かれることに出会えないかと思って、当時始めたばかりのSNSをひたすら見ていた。
そこで突然、私の2人目の救世主が現れた。
北海道の赤平で会社を経営しながらロケットを飛ばして「どうせ無理」をなくす活動をしている、植松努さんだ。
SNSで誰かにシェアされていた植松さんのTEDスピーチを偶然見た。約20分のスピーチ。初めて見た時、内容がよく理解出来なかったのにも関わらず、涙が出た。言葉に現すことの出来ない不思議な感覚に襲われ、何回も何回も見直し、私は何時間も号泣し続けた。
この時はまだ、何がなんだかわかっていなかった。自分に何が起こっていたのかわかっていなかった。だけど、植松さんのお話になぜかものすごく共感出来たことだけはわかった。
この日から、植松さんのお話を理解したくて何度も何度も20分のトークを見返した。植松さんが話している他の動画も探して、何度も何度も見た。
そして2016年植松さんの講演を聞きに行き、少しお話することが出来た。2019年には赤平へ行って実際にロケットを飛ばすことも出来た。
植松さんに出会ってから、私の人生は変わった。少しずつではあるけれど、止まっていた針がやっと動き出した。
私が初めてTEDトークを見た時に号泣した理由の1つは、植松さんの心の傷が私には見えたからだ。
植松さんは、児童虐待をなくしたいと思っている。トークの中でお話してくれた、子どもの頃先生に「お前にはどうせ無理だ」と言われていたエピーソード。
おとなの男性で、立派な経営者である植松さんが、たくさんの観客の前で涙を流している。それまでの数分間、ユーモアを交えてお話をしてくれていた植松さんが、突然涙を流している。このことは、子どもの頃に傷ついた経験は、悲しかった想いは、いくら時間がたっても、おとなになっても、いつでも変わらずに心に甦ってくるのだということを私に教えてくれた。そしてこれはものすごく重要なことだと思った。
「植松さんの心の傷は私のものと同じだ。私が長年悩んで来たことが解決出来るかも知れない」と感じた。
植松さんはなぜ、児童虐待をなくしたいと思ったんだろう。
もちろん20分のトークの中で、その理由はお話されている。だけど自分の時間を、お金を稼ぐことや有名になることに費やすのでなく(それを否定しているわけではないが)、なぜ植松さんは「児童虐待をなくしたい」に費やしているのだろう。世の中にあるたくさんある問題の中で、なぜ「児童虐待をなくしたい」になったんだろう。
そんなの本人にしかわかりっこないのに、私は、植松さんがどうして「児童虐待をなくしたい」になったのか知りたいと思った。そして、その先に何があるのかもわからないのに、お金にもならないのに、児童虐待や子どもの自殺、学校教育についてなど、気になったことを調べたり、本を購入したり、講座へ行ったりするようになった。
そもそも、虐待って何だろう。それまでは自分とは関係ないところで、ごく少数の人に起こる悲しい出来事のように私はとらえていた。
しかし、そうではなかった。虐待は自分とは関係ないことではないのだ。とんでもない勘違いをしていた。
なぜなら、私も虐待を受けていたんだとわかったからだ。
私は、テレビやネットニュースで見るような、例えば父親から殴られて大怪我を負って保護されたり、それでは済まずに命を落としてしまった悲しい事件、またはネグレクトの母親からご飯をもらえずに亡くなってしまった子ども、そういうことだけが虐待だと思い込んでいた。殴ったり、殺したり、そればかりが虐待ではないのだ。
虐待はもっと身近で、私たちは知らず知らずのうちに虐待される側になっていたり、する側になってしまったりしているのだ。
虐待や暴力、いじめや差別という言葉を好きな人はいないと思う。殆どの人はそれを良いこととは思っていないのではないだろうか。良いことではないとわかっていても、してしまうことなんだ。せずにはいられないんだ。そうしないと、自分の心を守れないことがあるんだ。加害者と呼ばれてしまう人は、それくらい傷ついた経験がある人かもしれない。
そして、してしまった本人が一番、後悔して自分を責めて、さらに心を傷つけてしまうのかもしれない。
負の連鎖だ。
私は勉強を続けていくうちに、植松さんと同じ気持ちになれた気がした。私も「児童虐待をなくしたい」。
でも、私には何が出来るだろう?