2度目のRIE

東北生まれ、東北在住。40代主婦。機能不全家族の中で育つ。自立するも人間関係、仕事、恋愛がどれもうまく行かず、パニック障害の症状が出ながらも病院にはかからず自分で治す。30代半ばに待ちに待った自分の片割れと無事に出会い、現在はのんびりHappyな毎日を過ごす。

2度目のRIE

東北生まれ、東北在住。40代主婦。機能不全家族の中で育つ。自立するも人間関係、仕事、恋愛がどれもうまく行かず、パニック障害の症状が出ながらも病院にはかからず自分で治す。30代半ばに待ちに待った自分の片割れと無事に出会い、現在はのんびりHappyな毎日を過ごす。

マガジン

  • 隠れ虐待サバイバー。

    自分のこれまでをまとめます。私は自分を隠れ虐待サバイバーの一人だと思っています。大きな事件にならなくても、誰にも気づかれなくても、自覚がなくても、実は自分も虐待を受けていたのだと、おとなになって気づきました。世の中にはきっと同じ様な人がたくさんいるはずです。子育てに正解はなく、多くの親やおとなは戸惑いながら一生懸命に子どもを育てていると思います。でも「家庭」や「学校」は閉ざされた狭い世界になりがちで、過ちに気づけないこともあり得ます。虐待や差別は実はとても身近な出来事で、気づかないうちにされる側にもする側にもなってしまうものです。私よりもっと辛い苦しい状況の人はたくさんいます。でも大変さの比較が大事なのではなく、人間にとってとても大切な子ども時代を当たり前に愛を感じながら過ごし、どんな生い立ちの人間でも当たり前に「自分の人生」を歩める様になったら良いなと思うので、自分のことを書いてみます。

  • いまりえ。

    過去の暗い時代にばかり想いを馳せていると、どうしてもベクトルが「陰」の方に向いてしまうので、Happyに過ごせている今の自分のことを書いて、調整したいと思います!

最近の記事

六.2人目の救世主あらわる。

私が倒れる前、2015年の秋頃だったと思う。その頃は、メンタルも体調もボロボロだったけど、そのことに気づかないふりをして無理ばかりしていた。このままでは自分はダメになると薄々感じていたが、何から始めたら良いか、何をすれば良いか検討もつかなかった。 何か始めたい、自分を変えたい、でも何をしたら良いかわからない。誰にも相談出来ない。悔しさや不安や、いら立ちの感情がごちゃごちゃになって、子どもの頃からそうしていた様にただ泣いてすっきりさせていた。 それまでの人生もずっとそんな感

    • 2階給湯室で火災発生⁉️

      私は郊外の一軒家に住んでいます。ちょっと田舎です。引っ越してまだ1年だけど、私はここでの生活がとても好きです。元々田舎育ちなこともありますが、都会は狭くて人が多くて自然も少なくて、便利かも知れないけど、私は息苦しくなってしまうんです。 今日は近くの県立図書館へ行き、午後のひとときを1人まったり過ごしていました。少し遅くなったランチを食べに行こうかなぁと思った瞬間、警報が突然鳴りました。 「2階給湯室から火災発生  この後の放送にご注意ください」みたいなアナウンスが流れまし

      • Happyとは⁉️

        「私は今、Happyです!」って私が言う時、Happyはこういう意味です。 「私は今、私が私でいることを100%受け入れられている状態でーす🙌」 私にとってはこれがHappyな状態。たくさん本を読んで、いろんな人に出会い、いっぱい勉強して、いろんな失敗を重ねて、落ち込んでまたリカバリーしてを繰り返して来ました。そして今もそれが続いています。それで良かったんだって今はわかりました。漠然と幸せになりたいと思っていたけど、私にとっての幸せは、お金持ちになるでもアイドルになるでも

        • 五. 暗黒時代の自分に言いたい事。

          母に「あんたなんか産むつもりなかった」と言われ、大学生だった私はそれまで以上に母を嫌いになった。そんなことを言う人間は、嫌われても仕方がないと思った。他人を傷つけても全く気にせず自分のことばかり大事にする母に完全に呆れた。 私は大学を卒業し1年バイトを続けながらお金を貯め、就職先を見つけて家を出た。もうこれ以上この家にはいられない、ここにいたら自分が壊れてしまうとずっと思っていた。早く1人になりたかった。 就職して一人暮らしを始め、最初は良かった。本当の自分を隠して、人に

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        • 隠れ虐待サバイバー。
          6本
        • いまりえ。
          2本

        記事

          四. 最悪な出来事の後に現れた救世主。

          私が大学生だったある日、帰宅するといつものように些細なことから母と口論になった。その頃は毎日喧嘩ばかり。だけどその日は特別だった。口論の末、母からこんな事を言われたのだ。 「あんたなんか産むつもりなかったんだから!」 この言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。何も考えられなくなり、すぐに自分の部屋に籠った。最悪な気分だった。 何でこんなことを言われるんだろう。私が悪いんだろうか。どうすれば良かったんだろうか。 母からはその後、その件について何も言われなかった。でも私は

          四. 最悪な出来事の後に現れた救世主。

          三. インナーチャイルドで気づいた事実。

          私は、とある田舎町で生まれた。両親と5歳上の兄の4人家族。私が物心つく頃には市の中心部に近い所へ引っ越していた。都会寄りではあったが、田んぼが広がり、まだ空き地などがあるほのぼのとした地域で育った。 私の子どもの頃の記憶はどれもどんよりしていた。悲しかったこと、悔しかったこと、イヤだったことばかり。あそこへ行って楽しかったなとか、あの人に会えて嬉しかったなとかの記憶が、いくら思い出そうとしても出てこない。 これに気づいたのは、「インナーチャイルド」という言葉に出会ってから

          三. インナーチャイルドで気づいた事実。

          二.私がずっと求めていたもの。

          職場で倒れて数か月後、予定していた通り私は彼氏と入籍した。 結婚することは、子どもの頃からの私の夢だった。それはウエディングドレスや結婚式への憧れからではなく、「ペア」になりたかったから。 私はずっと、たった1人の、私だけの完全なる味方が欲しかった。私の味方になってくれるのは、親でもなく兄弟でもなく、友だちでもなくいつか出会うはずのパートナーだけなんだと、子どもの頃の私はなぜか信じて疑わなかった。 確か中学生位から高校生位までだったと思う。毎晩寝る前に布団の中で祈ってい

          二.私がずっと求めていたもの。

          一.体からのメッセージ。

          朝、腰が痛くて目が覚めた。かなりの激痛だった。 「今日は誕生日なのに...」 その日は私の38回目の誕生日だった。38回も誕生日をやっていても、誕生日はやっぱり特別な日だ。 ベッドから起き上がるのも大変な位の痛みだったけど、仕事を休むわけにはいかなかった。その日は鍵当番で、会社の鍵を私が開けなければならなかった。 痛みを我慢しながら何とか服を着替え、壁づたいに歩きながら家を出て地下鉄に乗り、職場へと向かった。「今日は誕生日だから、早く仕事を終わらせて彼氏と誕生日パーテ

          一.体からのメッセージ。