あれ?あきらめないだけ?あきらめきれない?そんな人生・・・
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こころを楽(ラク)にした話などもアップしています😄
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まだまだこれからですが、よろしくお願いします❗❗
思えば・・・2022年7月末にnoteというものに興味はありつつも
なにもわからない状態から始めて今日まで毎日投稿を続けています。
2022年3月末で、8年間の公立小学校長を一旦(?!)終えました。
(え?一旦・・・って、まだやりたいのか?)
高卒の、しかも教員免許を持っていない自分がよく8年間も
校長を務められたものだと我ながら感心してます。
これも全ては、子どもたちのおかげです。
校長職に就く前まで、10年間、こころのプロフェッショナルとして
企業や学校、役所など公的団体そして社員や教職員、保護者、子どもたちへ
セミナー、研修、カウンセリング、コーチングなど提供していました。
新入社員、保護者、子どもを支援しているなか・・・
「この人たちともっと早い時期に出逢えていたなら、こんなに苦しい思いを
しなくてよかっただろうに・・・」と強く感じるようになりました。
そう・・・早い時期・・・小学生時代!
そこで、スクールカウンセラーになろうと決めたのです。
が、しかし・・・
自分が持っているカウンセラー資格は民間資格。
小学校に入り込むには、臨床心理士等の肩書きが必須でした。
ダメか・・・、とあきらめかけていた時・・・
目に耳に飛び込んできた情報が『民間人校長公募』❗️
最終面接まで進んだ、その時・・・
当時、世間ではいじめによる自殺がメディアを賑やかしていました。
自分も常日頃から命の重要性を語っていました。
最終面接においても、命の重要性や子どものことを話していました。
すると、いきなり面接官の1人が・・・
「それより、あなた儲かっていますか?」
え?!
・・・
しかも、その人はメディアにてゲストコメンテーターとして
教育委員長として出演なさっていた人でした・・・。
頭の中は???だらけ。
つい口に出た言葉が・・・
「そんなの関係ありませんよね!!」
あ〜、落ちたな、これは。
数日後、手元に届いた封書を覗いてみると・・・
不・合・格・・・の文字。
縁がなかったんでしょうね・・・その年の暮れのこと。
見逃しそうな小さな新聞記事。
そこには・・・『民間人校長公募』の文字が❗️
まだ、チャンスの神様は・・・いた・・・
最終面接では前回と同じことを話すと、面接官全員が頷きながら
耳を傾けてくれていました。
「合格するかも・・・」
そして、任期満了を迎えるころ・・・
とんでもないことが起こるのでした❗️
なんと・・・
教育委員会に大量の嘆願書が・・・❗️
子どもたち、保護者たち、そして地域の方々から。
自分で言うのも何ですが・・・
ラストデーの挨拶時・・・
体育館に集まった全校児童からはすすり泣く声や嗚咽の声・・・
「辞めないでー‼️」の声・・・
もう、こちらも声に、言葉になりません・・・。
校長室に戻ると、卒業生たちが・・・。
こんな体験・・・私だけかも・・・。
高校を卒業後は大学にも行きたかったのですが、家が傾きかけていたので
収入を得て、家計を援助しなければならない状態でした。
それで、市役所を受験し、そこから約23年間、様々な部署を経験しました。
入所して給料を(当時はまだ振り込みでした)そのまま家に入れていました。
しかし、
このまま歳を重ねていく、年老いていく・・・のはイヤ
でした。
そこで給料の一部を使わせてもらって、夢を追求し始めたのです。
そこは・・・
芸能界という名のフィールド。
養成所から劇団、そして芸能事務所・・・
このころ出演したアニメ映画「火垂るの墓」はその後の子どもたちとの
関係を深めるのにも役立ちました。
さらには、大御所の門下に入り、吉本興業でも活躍のチャンスをいただきました。
夢に見たテレビ番組のレギュラー出演も。
大阪で開催された「花と緑の博覧会」には約一ヶ月間、レギュラー出演もしました。
さらに、自分にとって夢の一つであった小学生時代からの憧れ・・・いや・・・
尊敬している人との舞台公演にも共演できたのでした。
その結果を手に入れるまで、それはそれは様々なことにチャレンジ、叶うまで
トライし続けました。
このことも後の校長時代に子どもたちの自己肯定感を高めることに大いに役立ちました。
その憧れ、尊敬する人との舞台は一ヶ月公演。
それから・・・
まだM~1は無かった頃・・・
いくつかの賞レースにもエントリーしていました。
優勝には手が届かず、準優勝が最高でした😓
そこから・・・月日が流れ・・・
こころの専門家として生番組のコーナーレギュラーを務めることになりました。
以前、放送局などで挨拶をしても無視されていた方がゲスト出演したときのこと・・・
その方から私に「先生、よろしくお願いします」などと声をかけられることも・・・。
お気づきかもしれませんが・・・
これらの体験中、経験中も市役所勤務は続けていました。
そうです。
公務員は副業は禁じられてます。
それでも・・・ここでは詳しくは申しませんが何となりました。
そう・・・あきらめさえしなければ・・・。
その後・・・
23年間務めた市役所を退職し、こころのプロとして40歳にして
独立開業したのです。
それはもう、多くの人たちから(特に家族や友人たち)は猛反対されました(^^;;
「アホちがうか!」
「何考えてるの!」
「考え直し!」
それは、それは多くの人たちから・・・。
そうでしょうね・・・当時、子どもが幼稚園に入ったばかり、さらには
ローンを組んで家を購入したばかり・・・
よく折れなかったな、と自分でも思います・・・😓
・・・で、10年が経った50歳での校長職への挑戦。
その後のことは先に述べたとおりです。
今は・・・不登校児童生徒の支援に携わっております。
ただ・・・
まだ、進化しようと小さな炎が・・・
こころの奥で灯り続けています・・・
一生青春
意志あれば道あり
こんなにも多くの経験体験させてもらっているなんで・・・
私だけかも・・・です😊