33歳 人生感想文 映画ではない自分の人生。大切なこと、守り切れるか。
33歳になる。年齢は数字であり、人間が作り出した意味付け作業の一環でしかない。私は今この瞬間もいずれ訪ずれる死に近づいてる。ペースを変えずに死に近づいているのだから特段年齢は気にしていないし、いつも生き急いでいる。ただ、4年前からマイルストーンとして誕生日に感想文を書いているため、今年はnoteに綴ることにする。
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33歳 人生感想文を始める。
とあるジュニアサッカーチームに一度参加させていただいたときに、練習の最後に選手に「なぜ、サッカーをしているの?」と問い、
「その”サッカーが好きだ”という気持ちは、誰にも奪われてはいけないんだ。もしかしたら赤の他人に奪われそうになるかもしれないし、身近にいる先生や、チームメイト、親にすら自分の大切なことが奪われそうになるかもしれないんだ。それでも自分が好きなことは自分で守っていかなければいけないんだ。」
といったことがある。
なぜ自分にとって大切なことを守っていく必要があるのか。それは自分にとって大切なことが自分を自分たらしめているからである。
昔、「AIや機械と人間は何が違うのだろうか」と思ったことがある。その答えの一つしてアイデンティティ問題に帰結すると思っている。例えば、「安田悠杜」は「安田悠杜」になりえるが、どんなにAIが「安田悠杜」が発しそうなことや、「安田悠杜」が考えそうなことをアウトプットできても、「安田悠杜」というアイデンティティは獲得し得ない。例えば、AIは私のブログをインプットすれば、「安田悠杜」がサッカーが好きであることはアウトプットできるだろうし、「安田悠杜」が研究が好きであることをアウトプットできるだろう。しかしながら、「安田悠杜」がサッカーを観戦した時の高揚感や、胸の高鳴りは感じ得ない。もしくは、「安田悠杜」が論文掲載が決まった時の安堵感は体験しえない。だから、AIはいつだってAIのままなのだ。だから、人間が機械ではない人間の唯一性を獲得し続けるためには、自分が自分であり続けること、すなわち、自分が大切にしていることを大切にし続けることが重要なのだと考えている。
ただ、社会に出ると、それを保ち続けることが難しくなると思っている。なぜなら「働く」ということは、ある意味で、取り換え可能なことをすることと近似しているからである。
例えば、明日、石破茂総理大臣がいなくなったとしても、数日、数週間で次の総理大臣が決まるだろう。極端な例を挙げたが、おそらくあなたが明日仕事を辞めても、会社は新しい人を雇って、数週間後にはその人があなたと同じような業務をこなすことになるだろう。
だから受動的に業務をこなすだけの人間になることは”取り換え可能人間”になることと同値であり、前述したことを踏まえれば、AIと同等の人間になってしまっているともいえるかもしれない。
だから最初のサッカーチームで話したことに戻るのである。自分にとって大切なことは、社会に出たときほど意識的に大切にしていかなければいけないと考えている。特段普段からそういったことを意識しなければ与えられた業務を受動的にこなして時間が過ぎ去っていきがちである。しかし、次の総理大臣が決まれば石破茂総理大臣はいなくなるが、「石破茂」は生き続ける。あなたの仕事を誰かが引き継いだとしても「あなた」は生き続ける。そしてあなたの人生で重要な側は「石破茂」の側であり「あなた」の側であることは言うまでもない。
だから年を重ねれば重ねるほど、社会に出れば出るほど意識して「これが好きなんだ」という気持ちは大切にしなければいけないし、自分が大切にしていることを意識して生きたいと考えている。それがすなわち、機械ではないという意味での人間としての人生を生きることに繋がるからである。そしてその「大切なこと」が自分の深部に関わるものであればあるほど自分の人生を生きていることになるのだろうし、それを文字通りどんなことがあっても守り抜くんだという覚悟が重要になる。
ここまで言ったところでここ一年の自分はどうだっただろうか。正直なことを言えば「大切なことを守れるだろうか。」という疑念や不安と闘ってきた一年だったと総括せざる負えない一年であった。正直に言って、心が擦り切れてしまって、「もう無理かもしれない」と思ったことが何回かある。それでも、周りの方々の支えによって、なんとか大切なことをし続けることができている自分がいる。周りの方々の「あの言葉」「あの行動」が私を前へと進めさせてきた。だからこそ、その方々のおかげで今の自分がいるのだと思っている。感謝してもしきれない。今後の人生でできるだけ早く恩を返して生きたいと思っている。
特にこの一年はそんな素敵な方々に支えられてここまでやってきたが、今後はどうだろうか。現実は映画とは違い、ハッピーエンドは自分で作らなければいけない。これはここ半年でよく思うことだ。映画のハッピーエンドはスクリーンの前で待っていれば勝手に向こうからやってくるが、自分の人生は指くわえて受け身の状態で待っていたところでハッピーエンドは向こうからはやってこない。だからハッピーエンドを自分で獲得するためにまず「大切なことを守り抜く」という強い覚悟と共にリングの上に立ち、ガードを上げながらパンチを繰り出し続けなければならない。
最近になって現実を鑑みたときに、
自分の大切にしていることはどこまで固辞し続けることができるだろうか。
自分の大切にしてきていることはどこまで固辞し続けるべきなのだろうか。
ともすれば、いままで大切にしてきたことを無かったことにしなければいけない時が来るかもしれない。
といったことをふと考えることがある。
どこで折り合いをつけるか、折り合いなんてくそくらえなのか、リングから降りる決断をするのか、パンチをこのまま出し続けるのか、すべては自分の掌に掛かっている。そんな自分の感覚の機微すらも楽しめる、自分を自分で楽しめる人間でありたい。
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