#7 松本に残る戦争の跡
松本市内にも第二次世界大戦時の遺構が残っています。
松本は陸軍歩兵第五十連隊の衛戍地となっていました。信州大学は連隊跡地に建てられており、食料保管庫であった「糧秣庫」が今もその姿を残しています。また、松本市沢村にある「射撃場橋」も旧営舎から射撃場に向かう道にかけられていたことから名がつけられ、今も残っています。
今回は、松本市で設置した戦争遺跡記念碑をもとに松本の戦争について記します。
旧陸軍飛行場(松本市笹賀)
この碑は菅野小学校の脇にあります。
菅野小学校の前の道はまっすぐに通っています。これは旧陸軍松本飛行場の名残です。菅野小学校~アルウィン(サッカー場)~やまびこドームの範囲にある道は縦横きれいに通っていることが航空画像からも確認できます。
軍事工場(松本市中山、里山辺)
松本市には工場も疎開してきており、松本市中山地区や里山辺地区には半地下工場が造られ、軍需製品の製造が行われていました。
中山地区には工場の基礎部分のコンクリートが今も残っています。
里山辺は金華山と向山の2か所に地下工場が造られ、山中には格子状に地下壕が掘られており、現在も1kmほど残っているそうです。大嵩崎の集落の範囲に地下工場が張り巡らされていたようです。
また、里山辺は爆弾が投下された地でもあります。その爆音・衝撃は市街地まで響いたようです。
松本市は昭和61年9月25日に平和都市宣言をしており、松本市役所の前には平和の火が灯されています。
身近なところにも戦争の歴史があります。
時には戦争の歴史を知り、平和について考えてみる時間を作ることも大切だと感じます。