#3 松本城③ 市民に守られた松本城
現在までその姿を残す松本城ですが、市民の手によって守られてきました。
明治時代初期には、寺や城が取り壊されたり売り払われたりしました。松本城のその影響を受け、門や櫓の取り壊し、天守や城門、塀などが売りに出されています。
そんな松本城天守を買い戻すために立ち上がったのが、松本城から東に位置する下横田町の副戸長をしていた市川量造です。量造は松本城を会場とした松本博覧会を開催し、その収益で松本城を買い戻すことを実現させました。
博覧会開催時のほんの数年前までは松本城へは限られた人しか入れませんでしたが、博覧会の開催によって誰でもお城に入れるということも集客につながったと思われます。
博覧会の開催により破却を免れた松本城ですが、明治30年代になると天守の荒廃が目立ち、傾いて見えるようになってしまいました。この荒廃した松本城を修理すべく立ち上がったのが、二の丸にあった長野県中学校松本支校(現・松本深志高校)の校長・小林有也です。松本天守閣保存会を組織し、全国から寄付金を集め、明治の大修理といわれる保存修理工事が行われました。
市内の小学生による松本城の床磨きや園内の掃除といったボランティア活動も行われおり、現在も市民の手によって松本城は守られています。
参考: 国宝 松本城 - 松本城をより楽しむ公式ホームページ
(https://www.matsumoto-castle.jp/)
松本まるごと博物館ガイドブック