【エッセイ】姪っ子に会ったら"かわいい"より"羨ましい"の方が強くて泣いた日
子供を持たないと決めたけれど
わたしたち夫婦には子供がいません。
わたし自身の年齢、体力、精神の不安定さを考えた時の出産・育児の負担、生まれてくる子供の障害のリスク等、様々な理由がありますが、1番は夫が子供を欲しいと思えないという事です。
それ故、妊活も不妊治療もしていません。
結婚当初は子供を希望していた夫のその考えの変化に、子供を楽しみにしていたわたしは戸惑いました。
「子供が欲しいと思う人ばかりではない」
分かってはいるけど、自分との気持ちのギャップに苦しみました。
わたしが子供を望んでいる事と知っている人からすれば、夫が悪者になってしまうのではないかと思うと、親しい人にほど、その事を話すことができず。
「夫婦ふたりの生活を歩んでいく」と気持ちを切り替えようと、もがいている所への、周囲からの子供についての言葉は、わたしにとって、その分どうしようもなく辛いものになりました。
誰も悪くない。
でもこのモヤモヤどうしたらいいの?
はたから見ればわたしたちは、子供のいない夫婦の中の「子供を持たないことに決めた」という枠に入っているのかもしれませんが、そこにはずっと(わたしは本当はすごくわたしたちの赤ちゃんに会いたかった)という本音が隠れていました。
楽しみにしていた"スタート地点"に立つことすら叶わなかったこと、結果的に子供を持たないことを選択したけれど、そうすることしかできなかったのだということに対して、ずっと誰かに「それは辛かったよね、辛いよね」と寄り添って欲しかったのかもしれません。
保育園給食の調理の仕事と出会った頃には、すでに(もしかしたらこのまま自分の子供を授かる事はできないかもしれないな)とは思っていました。
神様は、わたしと子供たちとの縁をこんな形で繋いでくれたのでしょうか…?
入社面接の時に「お子さんの予定は?」と聞かれ「欲しいんですが、なかなかできないんです。」と少し無理して笑顔を作り、答えたことを今でもはっきり覚えています。
そこでの仕事に、心が救われる事もあれば、勝手にモヤモヤしたり、調理室でひとり涙する事もある…そんな日々でした。
結婚から6年、給食調理員になって4年、やっと心の穏やかさが取り戻せるようになってきました。
その為に何をしたという事はありません。
(昨年、迎えた猫ちゃんには、だいぶ心を救われていますが)
ただ、その事実を少しずつ時間をかけて受け入れているような感覚です。
妹の出産報告を、わたしの義母にしたタイミングで、わたしが子供をあきらめた理由を、ありのまま伝えた事で、わたしの中に今までずっとくすぶっていた重たい何かが、軽くなったような気がしました。
これまで一度として、わたしたちに子供のことを聞いてこなかった事に、わたしはとても救われたと感謝の気持ちを伝えました。
夫の兄弟たちにも子供がいないので、義母は友人から孫の有無を聞かれたり、孫の話をされたりすると、やはり複雑な思いになるようです。
立場は違うけど、似たようなモヤモヤを抱えている事を知りました。
義母は、男性アイドルグループの推し活に、毎日とても忙しくしています。そんな彼女がキラキラした、とても頼もしい存在に思えるのでした。
何もしない時間があると考え込んでしまうので、本当は、好きな事や夢中になれる事があると良いのですが、わたしは、なかなかそこまでの物に出会えていないのが現状です。
なので、これから色々探していこうと思っています。
大丈夫だけど、大丈夫じゃない
姪っ子に会いに、一人で実家に行く日の、朝。
朝食を食べて、出かける準備をしていると…
NHKのあさイチで「子供のいない人生の生き方」という特集をやっていました。
(なんというタイミング!)と思いながら観ました。
様々な理由で子供を持たなかった人、持てなかった人たちの声を取り上げていました。
共感したり、ほっとしたりして、涙していると(わたしは普段からよく泣きます)
その様子を見た夫に、今日は実家に行くのを止めた方が良いのでは?と心配され、一瞬、迷いました。
ですが、数年かかって、やっと精神がだいぶ落ち着いてきたと自分でしっかり実感していた事と、その日の体調や精神状態も比較的安定していた事から…そして、妹の出産後、わたし自身辛くてなかなか会いに行けないまま、3ヶ月になった姪っ子…この日を見送ってしまったら、もうこれからしばらく会いに行けないのではないかという思いから…
(わたしは大丈夫!)と、少しだけ勇気を出して行くことに決めました。
同世代の友人たちの子供は、もうだいぶ成長しているので、職場以外で赤ちゃんに会うのは本当に久し振りの事です。
数時間の滞在中、だっこをさせてもらったり、ミルクをあげさせてもらったり、できるようになったばかりの寝返りを見守ったりしました。
会っている間は、確かに大丈夫でした。
でも帰りにひとりになった瞬間…
スイッチが切れた様に涙が溢れました。
自分の本音が、とても良く分かりました。
"かわいい"よりも"羨ましい"の方が
圧倒的に強かったのです。
もう自分の赤ちゃんを
こうやってだっこしたり
ミルクをあげたり
お世話することも
成長を見守っていくこともできないんだな…
そう実感しました。
あれから1週間。
赤ちゃんの重みやあたたかさ、柔らかさ、声、ばたばたする元気な手足、わたしを見てくれるお顔…思い出しては、ずっと引きずっています。
自分では気持ちを切り替えられたつもりでいても、そう簡単には割り切れないものなのですね。
でも、会いに行った事は後悔していません。
不安だったけれど、わたしに"会いたい"という気持ちがあったからです。
胸の内をこうしてnoteに書いたのは、自分のそういった気持ちを我慢しないで認めてあげる為です。
そうすることが大事なのだと、子供のいない方々がSNS等で発信しているのを目にしたからです。
周りには、子供のいないご夫婦がほとんどいない為、こういった発信してくださる方々が、わたしには、とてもありがたい存在です。
今が辛い人に伝えたいこと
辛い時は無理して写真を見たり
会ったりしなくていいんだよ。
人の幸せを妬んでしまったり
人の子供がかわいく思えなくても
おかしなことじゃない。
自分を責めないでね。
長くかかるかもしれないけど
年月が少しずつ、少しずつ、その辛さを
薄めていってくれるよ。
今がとても辛いから
そんな日が来るなんて信じられないと思う。
でも大丈夫。
頑張らなくていいよ。
平気なふりをしなくていいよ。
これからのなりたい自分
「夫婦仲が良いんだからいいじゃない」
「これからもひとりの時間、夫婦の時間をゆっくり楽しめるよ」
素直にそう思えたら、どんなに楽でしょう。
今でこそ、やっと少しずつ思えるようになったけれど、数年間は本当にただただ「子供が欲しい」という事で頭がいっぱいで、とてもそんな風に考える事ができませんでした。
健康に、のんびり過ごせていて
優しい夫に、かわいい猫ちゃんもいる
とても幸せな事なのに…
人というのは…
わたしという人間は…
なんと欲深いんでしょう。
"自分にないものではなく、あるものに目を向ける"
"今ある幸せに感謝する"
物事をいつも後ろ向きにとらえてしまいがちなわたしには、それは、なかなか難しい事のようです。
でも、それが生まれ持ったわたしの性質。
これが、わたしが送っていく人生です。
そんなわたしに今、必要なこと、それは…
"心の声にしっかり耳をかたむけ
無理をせず
時間をかけて、自分に優しくしていくこと"
なのではないかと思っています。
夫婦ふたりと猫ちゃんとの時間を
今よりもっと心から楽しめるようになって
できた心のゆとりで
人に寄り添うことができる…
それが、今、わたしが思う
理想の自分です。
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