行列絵巻の誘惑~江戸時代に絵巻はどのように描かれたか?
はじめに
縦書き・横スクロールで無限の空間が用意できるウェブサイトならば、本来の絵巻物の見方が可能ではないか。そう考え、「横スクロールで楽しむ絵巻物」というウェブサイトを制作しました。このノートでは、本来の見方で絵巻物を眺め、発見した魅力を書いていきます。
神田祭の行列絵巻から
神田明神に詣でた折、境内の壁面に描かれた明治時代の錦絵が目に留まりました。神田祭の行列が豪華に描かれています。ふと気になって、神田の祭礼を描いた絵巻があるのか調べてみると、「神田明神祭禮繪卷」という絵巻を発見しました。全7巻に及ぶ、長大な絵巻です。
この絵巻、特に物語性があるわけではなく、ただ祭礼の行列がひたすら描かれています。背景もありません。江戸時代の神田祭は現在の祇園祭のように山車が中心だったようで、絵巻には竜宮城や猿蟹合戦などの昔話をモチーフにした山車が競うように描かれています。
一般的に、江戸時代は、絵巻物が衰退した時代と思われています。複製が可能な冊子形式の絵草子が市中に大量に出回り、絵巻にとってかわったからです。現代でいうとアニメーションや映画のような総合芸術である絵巻物は、制作に時間も資金も必要でした。絵草子が普及することで、絵巻物は娯楽の役割を終え、より支配階級が記録や純粋な鑑賞のために享受するものに変わっていった印象があります。
「徳川種姫婚礼行列図」
絵巻物を眺めているうちに、江戸時代には行列を描いた「行列絵巻」とも言うべきジャンルの絵巻が数多く見られることに気がつきました。そのうちの一つ、国立博物館に保管されている「徳川種姫婚礼行列図」は、10代将軍徳川家治の幼女種姫が、紀州藩主治宝に輿入れする行列を描いた婚礼行列図です。
ほとんど知られていないといっていい絵巻でしょう。この絵巻自体をテーマにした論文も見あたりません。詞書はなく、ただ行列がゾロゾロと続いているだけの絵巻です。人物の脇には金箔の画中詞があり名前や身分が書き込まれていますが、江戸時代の研究者でもなければ、興味が持ちづらい絵面です。
しかしこの絵巻、眺めていると妙に癒されるのです。将軍家姫君の50年ぶりの輿入れという、堅苦しいオフィシャルなイベントで、絵師にも当然、後世に記録として残すという重圧はあったと思うのですが、登場人物が妙に腑抜けていて、脱力気味です。ヘラヘラ笑っている者もいれば、ティッシュで鼻をかんだり、空を見上げて空想にひたっているような人物もいます。記念の絵巻がこれでよかったのかと思ってしまいますが、姫君は楽しんで眺めたに違いありません。
「行列絵巻」というジャンル
江戸時代に描かれた「行列絵巻」には二つの特徴があります。一つは、人物が生き生きと描かれていること、もう一つは背景がないことです。この特徴から連想されるのは、室町時代に描かれた、かの有名な「百鬼夜行絵巻」です。この絵巻にも背景はありませんし、それぞれが躍動的に描かれています。
『百鬼夜行の見える都市』(田中貴子 著 新曜社)には、「百鬼夜行絵巻」の元ネタは「付喪神絵巻」に描かれる行列だったという説が書かれています。「付喪神絵巻」のなかにある行列を引用し、引き伸ばして描かれた絵巻が「百鬼夜行絵巻」だったというのです。ここらへんに、行列絵巻の起源があるのかもしれません。
「百鬼夜行絵巻」と同じく室町時代に描かれた「源氏物語絵巻 澪標巻」にも、背景のない行列が描かれています。この絵巻も、もしかしたらタネ本があり、そこから引用しクローズアップして描かれたのかもしれません。
おわりに
行列絵巻。学問としての美術史には存在しないジャンルかもしれませんが、行列に着目して絵巻を眺めてみると、意外にルーツは古く、多様な発展を遂げていました。行列を描く行為は明治になってもつづきます。武蔵野国一之宮の氷川神社境内には「氷川神社行幸絵巻」が掲げられ、行列に参列する鉄砲隊、鼓笛隊などの姿を目にすることができます。
行列を描く事に最適なメディア、それが絵巻物です😉