
世界サイン波説
眠りに落ちる直前や、眠りから目覚めたばかりの瞬間は、自分がどこにいるのだかよくわからない感覚になることはないでしょうか?今回はそんな時にふとよぎって、いつも漠然と感じていたことをなんとなく1つの形にまとめて、お話してみようと思います。
それはこの世界に対するえんじろう独自の「世界サイン波説」です。
この世は波になる
音波が波であるという話は誰もが知っていることだと思います。何せ最初から漢字の「波」が入っていますしね。光にも粒子の性質と波の性質の両方が備わっている、なんていう話を聞きますよね。
太陽の動きだって月の動きだって、地平線から現れて頭上を通り過ぎてまた地平線へと沈んで行くのですが、その高さの変化をグラフのようにして表せば、波のように弧を描きますよね。
だからえんじろうはこう思うんです。この世界の全ては、突き詰めてしまえばどれもこれも波になってしまうのではないでしょうかと。

サイン波
太陽の話などは特に分かりやすいと思うのですが、地平線より下に行った太陽も、自分の足元では朝日と同じように下に向かって昇っているのだということができますよね。自分の足元を0地点として考えれば、マイナス方向に日が昇るというイメージになるのではないでしょうか?
足元である0地点からマイナスの世界に向かって日が昇り、それは最大点を超えると再び0地点に向かって沈んでくる。そしてプラス方向に日の出となる。これを繰り返しているという動きをグラフに表現すると、サイン波という形になると思うんです。
世の中には色々と変化するものがありますが、1つの変化に着目してずっと追いかけて、それを広い時間軸で見てみるとどれもこれもサイン派になってしまうのではないか?なって欲しいなと考えている自分がいます。
数学の壁
ところで算数から数学になった時、大きくつまずいたのが「負の数」という概念でした。リンゴがマイナス3個あるとか「ふざけるな!」という感覚で、全く受け入れることができなかった記憶があります。ないというものを0と表現することに慣れきっていたので、ないよりもっとないという意味が分かりませんでした。それを当たり前のことのように唱えている先生や周りの大人たちが、みんな頭がおかしいように見えました。
あれは自分が常識だと思っていたことが崩壊し、自分はそんなにおかしな人間なのだろうかとかなりの恐怖を覚えた記憶があります。
しかしこの0というものを、単なる現在の状態であると考えた時にようやく納得できたのです。
0から0への旅
この世界では色々な要素がプラス方向やマイナス方向に向かって弧を描いている。0から出発して0に帰ってくる旅を続けている。そんなイメージが浮かんだ時「世界サイン波説」のイメージが浮かびました。
説なんて偉そうなことを言っておいて、それ以上の中身は全くないのですが。そういう概念が浮かび、それを元に考えるといろんなものが自然なことのように思えてきちゃうという話です。
鏡の世界
鏡の面を0地点として考えると、その外側にある世界とそれを映し出した内側にある世界がそっくりに見えます。でも外から見た場合には内側の世界はみんなひっくり返って見えます。この感覚を題材にしたお話などは、アニメの題材などでよく出てくるものだと思います。ドラえもんなんかにもあったような気がします。
もしもそんな鏡の中に入るとしたら、入った自分の体も反転するはずなので、多分その中の世界を逆と認識することができなくなってしまうと思うんですよね。
鏡に入ってしまうお話では、大抵主人公の体がそのままの状態で入るので、違和感を感じることができるのではないでしょうか?
そんな風に考え始めると、プラスとマイナスの違いはどうやって判断すればいいのかよくわからなくなっていきますね。プラスの世界でものを考えているから、0より反対方向をマイナスとして認識しているだけで、マイナスの世界から同じように見ていたとしたら、自分がどっちの世界にいるのかなんて判断できないのではないでしょうか?
僕たちが今いる世界は実は鏡の中の世界だった。鏡の住人からある日突然そう言われても反論できない気もします。鏡の住人にしてみれば実際にそうなのだと思いますから。
この世とあの世
さていよいよ、1番言いたいことに迫ってきました。僕らは勝手にこの世だあの世だと騒いでいるわけですが、実はこの2つの世界も0を境目に反転している世界なのではないかと思うんです。
一応今いるこの世界をこの世と考えるのであれば、この世で生涯を終えた時に、あの世に誕生するのではないかと思ってしまうんです。もちろんあっちの世界では生まれた瞬間からそれをこの世だと考えるでしょうが。
そんな風にして生涯を終えた後で、再び0を超えた反対側、すなわち最初の世界に生まれてくるような気がするんですよね。
輪廻は輪ではなくサイン波なのではないだろうか?なんてことを、結構真面目に思っています。
0ポイント
死と誕生について広げてゆくと、死の瞬間に生まれる前の記憶がリセットされることもとても自然な気がします。
そして例えば、この世で悪いことをするとあの世で苦しむ、なんて言う理由も、ちょっと判りそうに思えます。この世の振る舞い(振幅)が、あの世というマイナス世界でも同じ振幅になるのが自然だからです。持続する音の波形なんてまさにその繰り返しですから。そう考えると、この世で過ごしたレベルと似たようなレベルで、あの世でも過ごすことになる気がします。
そんな風に思うと、こっちの世界で気持ちの良い波を描いた方が、あっちの世界に産まれた際にも以前描いた気持ちの良い波に乗りやすいと言えるのではないでしょうか?そしてこれが「天国」という状態なのではないかと。
導き出される結論としては、この世でどれだけ心地よさを感じる生き方を描けたのかが、あの世の基本コースを決めているという風に思えませんか?
もっとはっきり言えば「今が天国と感じられる生き方をすれば、あっちも天国と感じやすくなる」という話。
反対に、あの世のために苦行を重ねても、その苦行の振動に引っ張られ、あの世でも次のこの世のために苦行をする生き方に陥りやすいということです。おーなんか楽しくなってきたー!

きっかけは音
シンセサイザーで作れる単純な波形の中でも、特にオカリナっぽく聞こえるのがサイン波です。優しく柔らかく、それでいて力強く純度も高い音。それがサイン波の音色だと感じます。
オカリナの音色にものすごいものを感じる理由が、ここにあるのではないかと思うんですよね。世界のいろんなものの基本になっていそうな波。世界そのものとも言える波。それと同じものがオカリナの音色に入っているから、何かものすごいものを感じてしまうのではないのだろうかと。
世界の要素がサイン波の動きをしていて、輪廻すらもサイン波の手の中で、それと同じ形の音波を出すことができる楽器オカリナ。そんな風に考え始めるともうただただ「すげえ」と興奮してきてしまうわけです。

まとめ
最後はやはりこうなったか。と思われた方も多いかもしれませんが、この妙に自信ありげに思ってしまう今回の仮説、いかがでしたでしょうか?えんじろうはとてもしっくりきていますが、オカリナに帰結するならば何でも信じてしまうというだけのことかもしれないですね(笑)
しかしこの感覚になってからは、死そのものを恐れる感覚はほとんどなくなってしまいました。死ぬのが怖いとか死にたくないとか、そんな風に考えてしまう人の役に立ったら嬉しいなと、ちょっとだけ思います。
とはいえ、病死などで苦しい時間を味わうことはえんじろうだって嫌だし、恐怖を感じています。死の恐怖と苦しみの恐怖は別物だと思います。やっぱり健康は何よりも大切ですね。ということでこの辺りでお開きにしようかなと思います。
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