学びと順序
現代ではインターネット環境さえあれば、大抵のことを自力で知りべて学ぶきっかけが得られます。ちょっと前までは人に訪ねたり書籍を探したりして当たりを引けばという感じだったのに、本当にすごい時代だと感じます。
ただしもちろんネットの情報は書籍や信頼できる人よりも遥かに怪しげなものが多いので、そこを間違うと間違った知恵を「みんながそう言ってるから」という意味不明な思い込みで信じてしまうことになるので、危険といえば危険ですね。
えんじろうは昨日でCD音源の制作がようやくひと区切りつき、今朝は今まで調整をしていた時間を学習タイムに使いました。でも僕のやり方、変なんです。そんなお話です。
音源の最終調整
ここ3週間はCD「3つのオカリナがうたう 名曲の宝箱 第2弾」の収録からミックスの調整、マスタリングというプロセスをたどることに全力で挑んでいました。
いろいろな環境で再生
収録では色々記事も書きましたが、これが終わると今度は収録した曲を何度も何度も聴き直す行程になります。それはもう飽きてしまうのではないだろうかと思うほど、ずっと環境を変えながら聴いてます。
CDを買ってくださる人は、それこそ様々な環境で聴いてくださるわけですから、なるべくいろんな環境で気持ちよく聴いて頂けるようにするため、環境ごとの聴こえ方の平均値を探していくんです。具体的には大きめなスピーカ、小型スピーカ、スマートホンでの再生、イヤホンでの再生、ヘッドフォンでの再生などなど。
どれかに最適化すると、他のが酷いことになるなんてケースも結構あります。例えばスマホで最高の音にしたら、大きなスピーカだと伴奏がデカく感じたとか。だからいろんな機器で聴いた平均を狙うしかないのです。
音量の関係
次に、曲の中ではなくCDの曲と曲との音量のバランスを取る行程があります。更に一般的に出回っているCDと今回のCDとの音量のバランスも取る必要があります。
なんか人と人の関係、街と街との関係、国と国との関係、星と星との関係、最近ならば宇宙と別の宇宙との関係といった具合ですね。
音楽の場合はこれが主旋律と副旋律との関係、伴奏楽器間の関係、オカリナと伴奏との関係、CDに収める曲と曲との関係、他のCDとの関係という具合に視野を切り替えながら、音量を調整することになるんです。
時を遡れる調整
すっかりデジタル時代とかしている現代の恩恵で、こういう調整がめちゃくちゃ気軽にできるようになっています。
例えば音を出してみてミックスを修正してもう一度確かめてという行程。
アナログならばケーブルで音を移動するたびに微妙に音が劣化するでしょうし、いちいちその時の状況に機材とケーブル類をセッティングし直す必要もあります。それが嫌なら広い部屋と1台1役の機材を揃えるしかないですね。デジタルならばボタン一つで当時のセッティングにひとっ飛び。
そもそもマスタリングで気に入らないからミックスに立ち返って再調整なんて言うのは、デジタル人の発想ではないでしょうか?
極端な話、オーケストラの収録をした後で、やっぱり気に食わないからもう一度楽団に招集かけて各パートの人数を変えて再収録なんて言われたら、ブチ切れてしまうと思います。それを招集せずに後からなんとかするための行程がマスタリングの始まりのように思っているのですが、今やマスタリングで辻褄合わせはしなくても、ミックスにまで時間を戻してバランスを取り直すことができてしまう。
世の中にタイムマシンがないと思っている人は多いですけど、音楽制作にはすでにタイムマシンがあると感じます。
音量の指標
覚えたことをたくさん並べて偉そうに書いているわけですが、そんな中判りにくいのは制作中のCD全体の音量を、他のCDに対してどの程度に設定するのが良いかという問題です。
結局今回のCDは、シリーズ物なので第1弾を参考にして合わせていますが、それが世の中の平均に対してどの程度かというところは勉強不足な点でした。
というわけで今朝、その辺りを検索してコラム的に書いている人の話を学んでいました。
でもね、こういうのって普通の人はまず学び、それを実行するという順序で事を進めてゆきますよね。それが効率的だし、間違えもやり直しも少なくできるので絶対正しいのだと思います。
でもね、えんじろうはバカなのかそれができないのです。できないというよりも、やりたくないのです。
気づきたいじゃん!
最初から答えを知ったうえで挑戦したって、面白くないじゃん!自分であれこれ考えて試行錯誤もやってみて、そこから自分なりの結論を出してみて、それから「本当にこれで合っているだろうか?」とか「じゃあ他の人はどうしているのだろうか?」と興味を持ってちょっと覗いてみるというのが好きなんです。
本当に面倒くさいやつですね。でもその結果があまりにもかけ離れたものになるということはあまりありません。だから「自分の気付きもまんざらではなかった」という安堵感と自信が得られるのです。
自己満足を味わいたいだけだとも言えるかも知れないけれど、最後に答え合わせをしているため他人に不快なものを提供する恐れはありませんし、自分が手間が倍増しているだけのことです。
まとめ
皆様はこういった一見「時間の無駄と思えること」をやってみたくなりませんか?効率だけを求めていきたい人もいるでしょうけれど、えんじろうは効率よりも色々悩んで試してみたという行程にも価値を感じてしまうのかも知れません。
もちろん何度も学び直すのは面倒だし嫌なので、学んだことはメモして次回はそれを信じて勧めてゆくことはしてますよ。忘れちゃうこともありますが。
そんなもので十分だと思ってしまいます。自由に学べる環境に、喜びを演出できる時代に、素直に感謝しています。
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