プロとアマの話
なにか事を起こす際の「プロフェッショナル」と「アマチュア」という言葉について、音楽活動を始めた頃からずっと気になっています。自分の希望としてはそんな概念はどうでも良いことだから、くだらない分類はなくなって欲しいというものです。
しかし現実的に自分からこの言葉を利用しないといけない場面もあったりするなど、矛盾めいたものも感じたりしてなかなかの厄介者。
先日とある主催者様と僕のことをプロと紹介するのかどうかについてのやりとりがあり、その際に自分が答えた内容について後からちょっと心配になったのです。
そんなわけで今回はこれについて、改めて考えてみようと思います。
定義
まずはプロとアマそれぞれについての定義です。
先に答え合わせせずに、まずは現時点でえんじろうが思っているプロとアマの定義について語ってみますね。
えんじろう的定義
ご覧になってお判りの方もおられるかも知れませんが、えんじろうがたどり着いている答えとしては、プロとアマは対比用語ですらないというところです。見ている点から違うのです。
この定義で考えた場合、えんじろうの状態はお仕事で行動しお金も得て生活しているということなので「プロフェッショナル」と言えます。ただし自分が求めている音楽や楽器への愛着や喜びというものも譲っていませんので「アマチュア」の要素も満たしています。
この「アマチュア」という言葉には、愛好者という意味も含まれているそうなので、こう捉えるのが自然に感じています。
私的にはお金についてのお話のときには「プロ」を自称しますし、オカリナと関わる人達との対話の際には、自分の愛好者のひとりであるという意味でならば「アマチュア」の1人でもあると考えられます。
判りやすい定義
目的による分類ということですね。こちらは判りやすく、職業なのかそうでないのかの対比で書かれていました。
えんじろうに当てはめると「プロ」ですが、楽しんでいる部分はありますから「アマ」の要素がまったくないとは言えない気もしましたね。
またセミプロという分類も記されていましたが、えんじろうは本業がこれなのでセミプロではありませんでしたね。
重めの解釈
少し重い書き方ですが、こういった比較した捉え方もあるようです。もはや「プロ5か条」的なノリに見えますけど。
4と5は3の「己を律する」に含むことができる気もしますので、3か条でも良い気がしますね。だって3が判っていれば、4と5は思いつくだろうから余計なお世話に見えました(笑)
そう考えると3は1の手段と言うこともできて、結局大切なのは1ということになりますね。後のはどれも1を実現するための方法に含められますね。
ただ意外と見落としていたなと感じたのは2でした。
えんじろうは自分が聴いてこれはお金払って買うと感じられるところまでは完成度を求めていますし、それが叶って初めて「楽しいな」になります。完成していないのに楽しいという状態が、想像できませんでした。この感覚になにか大切なものがあったりして。
意味を外れた解釈
最後にもうひとつ、えんじろうが「なにこれ?」と思った視点での解釈も見つけましたので、ご紹介です。これも比較で書かれていますが、相当アマチュアに対する悪意にも見える言い回しが列挙されています。
あっけにとられたり、ちょっとムカッと思ったりしたから、整理してみました(笑)22個もあるので、覚悟してください。
どうですか?これを考えた人は、昔ここで言われるアマチュア的な人に酷い目に合わされたのではないかと思ってしまうほど、悪意も含まれているように感じてしまいました。
おそらくほぼすべての人がこの定義だとプロとアマの中間になってしまうのではないでしょうか?全部プロ側と思えた人は、すごすぎます。
分析と整理
それでは大変ですが、ちゃんとひとつずつに真面目に向き合ってみます。まず被っている項目が複数感じられたので、それらをかなり真剣に悪意を削り取りながら整理してみましたよ。
まずは成長意欲の有無、目的意識の有無、積極性の有無、プライドの有無、投資判断力の有無、肯定感の有無。次は視野の広さ、客観性の有無、判断基準が公平か平等か、成果の基準が結果か行程か。そして柔軟な対応力の有無、利他的か利己的か、高め合う仲間の有無。
こんな風になってきました。これを次の3つの分野に大別してみます。
すなわち「成長意欲」「観察能力」「外交力」です。なんか「すなわち」って言葉を使うと頭良いみたいで気分が良いですね(実際はウルトラマンのシュワッチ的な感覚で使っているおバカですが)
これは正直「プロ」動向というよりも、リーダーとして働く者の理想みたいな話に見えてきますね。
自分はこの理想からいくとどれだけのことが満たせているのだろうか?考えるのがやや怖いですね。
学べたこと
結局のところ自分が思っている定義を変える気がないわけですが(おいっ)
調べたことで色々と感じるものもありました。最後のやつなんかは、悪意は取り除いてもちょっとハッとする部分もあったりして、よい機会になったなあと感じています。
具体的に何にはっとしたのでしょうか?自分で分けた分類に従って、書き綴ってみようと思います。
1.成長意欲
投資判断力の有無がドキッとしています。時々は采配を間違うこともあるかなと思ったりします。
2.観察能力
視野の広さは弱いです。おかげで悩まず済むというのもあるのですけどね(肯定的でしょ?)。
それから判断基準が公平か平等かというのは、それ自体が難しい捉え方で判断しきれていません。公平と平等の違いについては、また別の記事でちゃんと考えてみたいかも。
そしてドキッとしたのは成果の基準が結果か行程かというやつ。まだまだ結果に徹した判断ではないかも知れないなと思います。
3.外交力
ほぼ全部が恵まれているなあと感じますが、事態への柔軟さは出てきてますが、対人の柔軟さは全然なのですよね。永遠の課題ですが、そこまで完璧人間になれる気もしませんね。
まとめ
自分ではそこまでチャランポランだとは思っていないのですが、平均値からしたらどうなるのでしょうね。結果が出たからってどうにかするわけでもないように思うけど、それでもちょっと気になっちゃいますね。
皆さんはどうでしたか?
まあ僕の活動の「真の目的」は、思春期の自分に安心して生きられる時間を与えてくれた「オカリナ」への恩返しです。
恩返しはこの楽器のために曲を作って、それをイメージ通りに演奏して、そうやってできた曲をより多くの方にも広げて演奏してもらえるようにすること。そうやって多くの人にオカリナを好きになってもらうことが、自分にできるオカリナへの恩返しだと信じています。
これだけは絶対にブレないという自信はあります!
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