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日々を祀り上げたら

朝1番に突然思いつくことというのは、意外と生きて行く上で大切なことであることが多い気がするんですけど、皆さんはそういうことってありませんか?
今朝布団から出ながら考えていたことを、なるべく分かりやすくまとめ上げて書いてみたいなと思っています。なんか前にも触れたような気がしますが、昔のことは忘れちゃうので改めて、今回のテーマは「祀り上げ」についてです。


定義

語源は「まつり」と「げる」からきていて、供え物を捧げ高い地位に押し上げることとなっています。
意味は尊きものとしてあがめるということで、清い方向の言葉であることを感じさせられます。

画像 みこしを囲む人々

思いつき

祀り上げるという言いかたで考えた場合、ある特定のものを指してそれを持ち上げるイメージが濃く感じられますね。でも定義では特別1つのことをと言う訳ではないようですね。

実は以前タイトルに祭りという言葉が入った曲を編曲する機会がありました。個人的にもたいへん思い入れのある曲だったので、気合い充分で編曲をさせてもらったことを覚えています。編曲をしながら曲に備わっているメロディーに敬意を感じつつ進めていたことを思い出し、これも1種の祀り上げをしていたということなのだなと気がつきました。
曲が聞こえるたびに、忘れやすい祀り上げの気持ちを思い出すとしたら、それはいつでもその対象物を尊いと感じられるようにするためのとても良い方法になるのではないでしょうか?

機を増やす

そして単純に思ったことが、祭りの機会が増えれば増えるほど尊さを感じる機会も増えるということではないだろうかということです。
しかし真剣にイメージし直してみると、それは結構精神的に疲れそうな気がします。無理やりテンションを上げてなければいけないような、そんなちょっと自分を追い込むような感じになってしまいそうですね。

対象を増やす

そんなときふと思いついたのが、祀り上げの対象を別に1つに限定しなくてもよいのではないかということでした。あらゆるものを祀り上げることで、自動的に尊いものが増えることになる。
いっそのことこの世界を丸ごと祀り上げてみてはどうだろうか?そんなふうに考えてみたのです。

自分の中に飛び込んでくる景色や音や匂いや味、そして感触といった五感のすべてを祀り上げの対象として見るのです。感じるものすべてがワンランク上になったような気分になりませんか?

枕草子

昔学校の授業で習った枕草子まくらのそうしの冒頭部分。暗唱した残骸がのこっているのですが、その文章には目に映る世界の美しさというよりも、自分自身の捉え方ひとつで世界を面白く美しく捉えることができるということが書かれているように感じます。
やはりこれも祀り上げる行為のひとつと言えるのではないでしょうか?

概要などを調べてみると、枕草子は終始美しい部分だけを書いているわけではないということも分かってきましたが、それでは美しくない部分に対してどういうふうに捉えて書いてあるのだろうかというのが、少し気になっています。

画像 本棚に並ぶ古書

核心は?

先ほどは五感で感じるものすべてに対して祀り上げつつ取り込んだら、世界が素晴らしいものに感じられる生き方ができるのではないかという思考でした。しかしよく考えてみれば、常にそういう捉え方ができるとしたら、そういう捉え方ができる精神こそが最高に尊いものなのではないかと思えてきました。

尊いのはどっち?

世界そのものが尊いのか、それとも世界を尊く感じられる自分自身が尊いのか、核心はどちらなのでしょうか?
なんてことをあまり考えても意味ないのかもしれません。こんなふうに考えていくと、自分と世界を切り離して考えている前提に対して疑問を感じて来ませんか?片方を尊く感じることで、勝手にもう片方も尊さを帯びてくるのですから、鶏と卵の関係とあまり変わらない気がしますよね。

世界の境目

人は左脳と右脳がばらばらに機能している状態になったとき、自分と世界との境目を感じられなくなるそうです。とても幸せな感覚になるらしく、自分が世界に溶け込んでいくというか、世界そのものが自分だったのだということに気が付くような感覚だそうですね。
いったいどんな感覚なのでしょうね。なんとなく1度味わってしまうと、もう戻り方がわからなくなったり、そもそも戻りたいと思わなくなりそうな気がして怖いような感じがします。

画像 宇宙に浮かぶ人影

まとめ

世界を感じているのは自分自身なのですから、世界と自分が切り離せないことはある意味当然なんですよね。そんな世界全体を持ち上げる「祀り上げ精神」は、同時に自分を大切にすることでもあるのかもしれないなと思いました。おっ、うまくまとまった。

そして朝起きたときにそんなことを考えついた自分の感性に対しても「お主なかなかやるな」と思って嬉しくなったというお話でした。
それにしても思いついたことを言葉にして纏め上げるというのは、想いに至るまでにかかった時間と比べると数倍かかっているんです。何かを伝えること、表現することというのはなかなか大変なことだなあと改めて感じました。



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