明るく捉えていたいから
はい、今回はとってもたくさん歩くことになったお話です。歩くことは体にも良いですし、五感全てからの新鮮な刺激に満ちているため、心に対しても良い効果があると感じています。
これからの新生活では歩くことが中心になります。不思議なことに、歩くと思考は明るくなることが多いですよね
。
まずは事実から
新居に荷物を運んだある日の帰り道の出来事です。なるべく料金を安く仕上げようと、たくさん歩いて本来よりちょっと先のバス停を目指していました。バス停に到着して時間を見るとまだ3分くらいあったので、もうひとつ行けるぞと思って急ぎました。
バス停に到着すると、ちょうどバスが行ってしまうという落ちにはならず(ならんのかい?)無事バス停に到着しました。
混雑する時間帯なので、かなり遅れてきたバスにようやく乗り、いつも降りる停留所で降りようとしたら、様子が変です。
なんか雰囲気がいつも降りる停留所ではないので、降りる前に運転手さんに確認したら、どうもミスをしたようで次の停留所でした。
結局更に先の安全そうな停留所で降りて折り返すという提案を運転手さんがしてくれたため、その次のバス停で降りました。
ただ折返しのバスは利用せずに、見知ったバス停なのでそのまま歩いて帰りました。
料金はこちらのミスだからということでなしにしてくれました。
心穏やかならば
えんじろうはこの日、何か追い込まれるようなことがあるわけでもなかったので、心が安定していました。だからこの程度のハプニングはイライラしなかったし、ちょっとびっくりしたのとその後どういう展開になるだろうかと心配になった程度でした。
運転手さんの誠意
別に僕がなにか言ったわけでもないうちから、運転手さんは自分が下車の押しボタンの確認をし損なったことを認めて「本当にごめんなさい」と何度も謝ってくれました。
どうやって状況を伝えようか心配になっていた僕は、ある意味自分の心配ばかり。運転手さんは自分の心配どころか、折り返しやすい停留所までそのまま乗ってそこから戻ってもらえるかというように、僕の立場で次のことを考えていました。
プロ意識というか、人間として素敵だなあと思いました。
こういうのをただ「当たり前」にしてしまう人もいるでしょうけど、いざというときに自分にそういう対応ができるのだろうかと言うことを、考えてから言う方がいいと思います。
僕はちょっと自信ないかもと思ったので、対応を「当たり前」とはいう気になれませんでした。
担ぐと明るくなる
それにこうやって、noteのネタをいただけたこと、更にその後の足取りもなんだか軽く、他人の温かみを感じられてよかったなあとか思いながら歩けました。
歩き道を振り返る
いつも歩いていたあじさい通りは、すっかり冬景色です。もうここで咲き誇る色とりどりの紫陽花たちの姿を写真に撮ることはなくなります。最後に取ったときには「来年はどうなるかな?」とか思っていたのに、せめて休眠中のあじさいたちに「楽しませてくれてありがとう」と「元気でね」と告げて歩きました。
感謝を焼き付けながら
景色を一歩一歩噛みしめるように、家路に向かいました。そしてはっとします。バスであんなことがなければ、ひょっとしたらもうこの道を通ることはなかったかも知れない。つまりあじさいに挨拶もせずに立ち去ることになっていたかも知れない。あじさいだけじゃない、橋にある桜の木にも挨拶しました。
これらは全て、バスの運転手さんのミスがあればこその出来事だったのです。
むしろここに下ろしてくれたことに感謝を感じました。体の奥から暖かな喜びが満ちてきました。
ふと美空ひばりさんの歌う「人生って不思議なものですね」というフレーズが聞こえてきました。ちょっと目が熱くなりました。
感動はいつも隣に
感動って与えたりもらったりするものではないと思います。感動しようとしたときには、どんなことだろうと感動につなげることができる。それが人の力というか、心の力なのかも知れませんね。
たくさん歩いて体も心も元気になった上に、他人の心遣いに感謝し、植物たちへの日頃の感謝を伝えられたのです。
いつでも僕のnoteタイトルの「明るい思考」を続けられるように、心の健康を維持したいものですね。
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