恩返しする時が来たのかもしれない話。
【ちょっとスピ?な話】
母方の実家とはまだ縁が繋がってる私。あたいを産んだ母だからまぁド派手な人でそんな母を産んだ祖母もあたいはコロボックルかなんかだと思ってる、まじでブッ飛んでてかわちぃ。
今回はそんなコロボックルのさらに母、あたいが1番大好きなばーちゃんの話。
曾祖母にあたるその人は、私が物心着いた時には既に足が悪くなってた。
母曰く、若い時からかなりの苦労人。
2人の孫の面倒を見ながら、更にお盆には関東から遊びに来るもう1人の娘の孫達まで面倒を見て、畑をして、敷地にあるお普賢さんを大切にしていたという。
実際まだ私が小さい頃は辛うじて動く体で何時間もかけて草取りをしたり、お普賢さんの掃除をしていたのをうっすら覚えている。
寝たきりになっても娘や孫、そして曾孫である私を案じていつも気にかけてくれた。
そんな私だが母が盛大にやらかして散々メンヘラった挙句離婚&蒸発してからというもの
母を恨み、あろう事か母の実家すらも恨む対処になってしまった。
毎週行ってた母の実家には、それ以降行かなくなった。
ばーちゃんが亡くなったのは、そんな日が数年続いた私が高校を卒業した頃だった。
新聞で知った私は、もう何百とかけた番号に電話をかけ、ほぼ10年ぶりに母の実家を訪れる事に。
涙は出なかった。
まだ私は未熟過ぎた。
ばーちゃんはもうお墓に入った後で。
加工された、ばーちゃんなのかもわからない写真が花と線香に囲まれているだけだった。
あんまりにも呆気ない別れ。
それからも、私は実家の人間として、実家に泥を塗った母を悪者としなければいけなかった。
色々私も歳を重ねて、あの時の母の気持ち、実家の違和感。私自身があまり幼くて幼稚だったかを理解して、本当に大切なものは何か気づいて漸く後悔が襲ってきた。
ありがとうが言えなかったこと。
悪者なんか、居なかったこと。
恩返しが出来なかったこと。
今幸せなことを伝えられないこと。
何度夢に出てきて欲しいと思っても、元来視えない私には難しい。
自分のあり方も分からず、言い知れぬ疎外感と、常に母というフィルターを通して見られることに私はどんどん削れ、自身のことすら考える余裕も無くなっていた。
実家を出て、今の旦那の元へ転がり込んで。
世間知らずと箱入り息子の不安要素の二人三脚を経て
散々揉まれて互いに叩き合って成長、少しはしたと思ってる。
安心できる家、疑わなくてもいい愛、忘れていた生きた心地がした。
そんなとある日、唐突に願いは叶った。
ばーちゃんが夢に出てきたのだ。
竜巻が来る!たくさんの人が避難してくる中、私は当時の頃ではなく、成人のままで、思い出よりずっとちっちゃくなったばーちゃんをずっと抱きしめて大丈夫!私がいるから大丈夫だよばーちゃん!と声をかける夢。
「えんじちゃんなら、もう大丈夫だ。」
そんな声が覚める瞬間に聞こえた気がした。
それから数年、ばーちゃんには会えて無かったが。
ここ数週間のタイミングで2回も夢に出てきてくれた。
その時の話。
私は前日、フィールドワークで京都の鞍馬寺を訪れていた。
阿弥陀堂があり、先客のお姉さん方に
「奥に阿弥陀様と繋がる五色紐があるから行ったらいいよ。」
と教えて貰って旦那と奥へ。
阿弥陀様の手に五色の紐が巻かれ、格子を通り抜けこちらに伸びていた。これを握る、と。
ぶっちゃけ私は不思議な力は信じてるが
撫で地蔵とか、銭洗とか、後から人が始めたものはあまり信じてない。
神社を存続させるためだからとどこか冷めた目で見ている部分があって。
「良い御縁を結べますように。」
そう言う旦那に合わせてとりあえず握ってみる。
「(んまぁ、仏様に罪は無いし、仏像は意味があって人が作って残してくださったものだから信じてるけども。んー…そうね、せっかく教えていただいたし、私達に必要な縁をどうか、結べますように。)」
つか良く見たら紐、引っ張り防止だろうか、途切れてんじゃん。
どうしてこう、冷めた私を冷却するような要素が目に入るんだろう。
その後鞍馬山を登り、ヘロヘロで帰宅したあとは泥のように眠った。
その夜夢に再びばーちゃんが出てきた。
私はばーちゃんの最期には立ち会えていない。
夢の中の私はまさにばーちゃんの命が尽きる瞬間だった。
すっかりボケてしまって私を母だと思っているばーちゃんに「〇〇には娘がいたの覚えてない?ばーちゃん、私だよ、えんじだよ!」
と問い掛けると泣きながら笑っていた。
「そうかそうかぁ、もさげねぇな(申し訳ない)思い出せねくて、もさげねぇ。そうか、娘が居たんだなぁ。」
嬉しそうに、でも悔しそうに涙を流すばーちゃんに私は首を振った。
「いいの、いいんだよばーちゃん!ありがとう。ありがとうね!!」人は最後の最期まで残る感覚は聴覚だと聞いた事がある。私はばーちゃんが安心して次へいけるようにお礼と後は何も心配いらないからと伝え続けた。そんな夢だった。
朝起きて、まだぽやつく頭で旦那に伝える。
黙って聞き入っていた旦那がハッとした。
「やっと逢えたじゃん、漸く願い叶ったんじゃん、阿弥陀さんかな?」
その言葉に寝惚けた頭が急激に冴えてきて、涙がボロボロ零れた。
私はずっとあれだけお世話になって愛してくれたばーちゃんの最期に会えなかったことをずっと後悔していた。
最期まで私と妹を案じて名前を呼んでいたという、なんてばーちゃん不幸なんだろうと自分を責めていた。
「せめて、夢でもいいからありがとうを伝えたい。」とよく口にしていた。
阿弥陀様が繋いでくれたのだろうか。
私は無礼を恥じた。
また機会を作ってお礼に行こうと約束した。
2回目は特にこれと言ったことが無い良くある日だった。
ばーちゃんが、泣いていた。
背中と左腕が硬い木の枝のようにガチガチに固まって痛いと泣いている。
そんな背中を必死に擦る母。
私は俯瞰して見ているような、プロジェクターを見ているような。監視カメラになって部屋の天井に貼り付いて見ているような位置だった。
朝起きて気になって母にLINEする。
母もまぁまぁの大病を患って頭の手術をしている、その関係で右側を庇うように生活していたら体の左側が痛くてしょうがないと返事が来た。
そんな中、頭の中にばーちゃんが浮かんだ。
「自分が大切なものだけでなく、自分の体をもっと大切にして欲しい。」
母の旦那さんにガンが見つかり、手術を経て今は抗癌剤治療中なのだが、母はそれに付きっきりで現在、自身の治療はストップしているため、右の頭蓋骨が入っていない状態で生活している。
てっきりもう入れたのだとばかり思っていたが…。
あぁ、そら心配だよなとそれとなく伝えたが
如何せんなんと言うか、母は不安定子供の様な人だ。
自分が信じたいものしか信じないし、私も人の事言えないが思い込みが激しい。
私の言い方も回りくどすぎたのかもしれないが、解釈が私の希望とちょっとズレてしまった。
伝えるって難しい。
ばーちゃんは、母を心配しているようだが
私に何が出来るだろう。
母の実家のお普賢さんの件もあるし。
私に何かできますか?
とお普賢さんにも直接会いに行ったが
浮かぶのは母のことばかりだった。
私に、改心させて欲しいのだろうか。
あのどうしようも無い我儘娘を。
娘の私にしか出来ないのだろうか
oh…責任が重大過ぎる。
ほかでもないばーちゃんの頼み(?)だ。
漸くばーちゃんに恩返し出来るのかもしれない。
上手くいくかも分からないが
私は、まだ子供のままの母を教育し、本当の意味で成人させてほしいようだ。
…え?一種の子育て、かな?
私、子育て経験ないんだけども??
責任重大かつ
今まで友人やら叔母やらが散々試みて
誰もなし得なかった事。
あの人はああゆう人だから。
それを叩き直せるのだろうか。
……少しばかり胃が痛くなる私だった。
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