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みち、なかばにて。

意外や意外かもしれないが、元々文を書くのは好きな部類。
でもまぁ見返せば病み病みのヤミな文しか書いてなくてちょっと恥ずかしくなった、へへへ。

此度また性懲りも無く指を動かすは…いったい何を連ねるのやら

…なんちって( ´•ᴗ•ก )

これは最近の近況報告というか、なんというか。
お付き合いいただけましたらこれ幸い。

まだ見ぬ誰かさん、和多志達は今、確かに
生きています。
前を向いて、
前を向いて。
いつかきっと会いにいくよ。


ティロリン♪セーブが完了しました。

いらすとやさんはなんでもある

人生の節目って
こう、「はい!節目っす!!」的なのから
振り返ってから気づく的なのから様々だけど
案外ちゃんと記憶してるかって微妙かもって思った。
だからね、これからあの日のゲームボーイの中の冒険のように
こまめに記録することをしようと。

自分はなんと言うかこう昔から
自分がなんなのか
なんかそういう事ばかり考えていた。
どうして私は人と違うの?
捨てるならどうして産んだの?
疑心暗鬼の家庭の中
栄養はお砂糖とガソリンだけ。

時と共に体だけむくむく大きくなる感覚。
全てが嘘でお芝居に見えていた。
欠けた自分が怖くて許せなくて必死に埋めようとしているうち
いつしかどれが自分かも分からないくらい
沢山の私を作り上げてしまった。

褒めて欲しかった
笑って欲しかった
だって役に立たなきゃ生きてても仕方ない。

大切な人の望む自分が
あまりに上手に出来てしまっていて
気づけば私は

誰なのかわからなくなってしまってたんだ。

予告もなく
ほんとに唐突に
シャボン玉が弾けるように
私は私を見失った。

全てにおいて何も決断出来ない
自信が無いのだ。
「え?これは誰の意見?」
そんな毎日をずっと過ごしている中で

とある方の助言のおかげで
自分は今まさにこびり付いた色んな仮面やらが剥がれ落ち自分を再構築している最中だと理解出来た。

そんな最中、ある事に気がついた。
自分の名前を全く呼ばれていない事に。

大人になるにつれて、人って色んな役を抱える。
職場だったり、家族だったり。
純粋に自分としての生き方を忘れちゃったりする。
私は元々小さい頃からずっと誰かの目を通した自分を演じていた自覚があったし、自分の名前に違和感とか馴染みがないような感覚があった。
その名前を呼ばれないことに関して全然違和感を感じなくて、全く気づかなかった。

最愛の人に、何年かぶりに名前を呼ばれた時
魂の輪郭のようなもの(ごめん完全に感覚だか上手く言えない)が見えた気がしてすごく怖くなった。

え、私今まで良く生きてたな、と。
以前何かの記事で見た覚えがある。
赤ん坊は名前を呼ばれたりスキンシップを与えないといくら睡眠と栄養をとっていても死んでしまうらしい。

それから夫婦内ではなるべく名前を呼び合うことにしたけれど
未だにこう、むず痒い。
「なまえってだいじだからねぇ、たいせつ、たいせつにしてねぇ。」
そんな風に教えてくれた小さな友達についてはまた今度話す機会があれば。

でも今回の1件で
なにもとっかかりとか目印がない中
再構築中の私というまっさらな紙に
漸く筆が入った気がした。

私は私が愛した人に笑顔をとどけたい。
私にしか出来ないやり方で
お役に立ちたい。

だからまずは私が私を
和多志をめいっぱい笑わせてあげようと思う。

すると剥がれ落ちた衣装やら仮面やら鎧のカケラから
キラキラと色んな色の粒が零れ出て
私のまっさらな紙に吸い込まれて行った。

そう、全ては、和多志だった。
あの日育てずに枯れた幼い私。
あの日自分を守る為に生まれた私。
理想の母親を自分に投影した私。
もう傷つきたくないからと弱い自分を切り離した私。
あんな風に生きたいと作り出した私。
泣き虫で、負けず嫌いで。
打たれ弱くてお人好しで
全部が和多志の一部。

色んな色でできた、和多志。

もう1回、また
みんなで一緒に育っていこう。
大丈夫、和多志は
どんな自分だって泣かせたくないんだ。
泣き虫も疑心暗鬼も、ネガティブだって置いてったりしないよ。

みんなおいで、一緒に行こう。
みんなでまた和多志を作ろう。
無敵な私を、何度でも。

そう思えたこの瞬間も
紛れもなく、私。

だからまたいつかの和多志達のために
ここに残しておこうと思う。

拝啓愛しい和多志、和多志達は今、

生きています。
ワクワクと
うん、まだちょっと怖いけど。


でも生きたくて、生きてるよ。
過去の和多志達と、素晴らしい友人に恵まれた事に最大級の感謝と
未来の和多志達にありったけの愛をこめて。









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