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17歳でシングルマザーとなった私が歩んだ『看護の道』~予備校編~

16歳で母となる生き方を決め、高校中退し娘を出産後、シングルマザーの私が、どのようにして看護の道を志したのか。

高校2年生の夏、出産をしても高校だけは卒業したいという思いから、学校には通い続けていた。
私の妊娠を知った校長先生や教頭先生、他の教員方も出産には否定的。
しかし、学年担当の先生が私のところへ来て、ウエストがゴムになった制服のスカートを差し出してくれた。
そして、私に「きっと、大丈夫やからな!お腹だけは冷やさないようにしなさい」と声をかけて下さった。

“たった一人でも学校に味方がいてくれている”ということで、私は助けられ、この道を選んでもいいんだと思えた。
だが、妊娠継続はスムーズにいかず、妊娠4ヶ月の時に切迫流産で約1ヶ月の入院生活を送った。
そして妊娠6ヶ月の時、今度は切迫早産でまたしても約1ヶ月間の入院をすることとなった。
その入院期間が欠席扱いとなるため、私は出席日数が足りず「留年となることが決まった」と担任から告げられた。
子育てしながらでも、なんとか残り1年なら高校生活を続けられると考えていたが、それが2年間の学生生活となると現実的に厳しいと判断し、私は高校2年生の時に中退を決断。
ここで、私の最終学歴は“高校中退”ということになった。

高校を中退している私が看護の道を志すには、、、

まず通っていた高校に問い合わせ、単位修得科目を調べる必要があった。
そして、単位が取得できていない科目は、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)を取得しなければならなかった。

私は英語、国語、数学、地理・歴史などの科目が取得できていなかったため、まずは高等学校卒業程度認定試験についての内容を確認してみた。
英語は全く自力では不可能に近く、国語にも漢文や古文が含まれているため、どうしようもないなと感じたのが最初の印象。

そこで、私は高等学校卒業程度認定試験を取るための予備校を調べ、すぐに申し込んだ。

私が看護師を目指すと打ち明けると、大人達は皆、「大丈夫なん?無理やろ。」と口を揃えて言った。

それは、16歳の私が「子供を産み育てる」と言った時と全く同じ反応だった。

“無理かどうかは周りではなく私が決める”
“何が何でも絶対、看護師になってみせる”
“他の人には無理でも私は抱えているモノが違う”

その思いで私は自分自身で選んだ予備校に通い始めた。
それは、ホステス時代に通い慣れた北新地駅前ビルの10階。
私は、今まで着物で通った北新地に、別人かのような出で立ちで予備校生となった。駅の鏡に映る自分を客観的にみて、「人はこうも変われるものなのか」と笑みを浮かべながら颯爽と通った。
夕方になると、窓から見える同伴客とホステスに目が行ってしまい、授業に集中できないことは多々あった(笑)

中学高校時代、まともに勉強しなかった私は、特に英語が致命的なレベル。英語担当の先生から、be動詞と一般動詞の違いについて問われ、「be動詞って何?」状態(笑)
なので私は、基礎の基礎、中1レベルの英語から学び直した。
アレルギーかの如く、あんなにも嫌いだったはずの英語。
だが、参考書1冊やり遂げた頃には英語が好きになっていた。
これが何とも、不思議な感覚だった。

英語の勉強に一番大事なことは、先生との相性なのかもしれない。

私が予備校で出会った恩師は、一つ一つ噛み砕いて丁寧に教えて下さった。中1レベルの問題に、ことごとく間違っても、決して笑わず私が分かるまで時間をかけ、とことん付き合ってくれた。
その結果、「分からない…」が『分かった!』にどんどん変わっていった。
毎日、少しずつ英語の文法が分かるようになり、初めて英語の勉強が楽しいと感じることができた。
よく聞く、「分かるようになったら勉強は楽しい」という言葉は、本当やったんや!と実感することができた

それから私は、誰よりも早く予備校に着き、一番前の席で授業を受け、他の予備校生が帰る最後の最後まで自主勉強を続けた。
気付けば毎日、朝8時から夜8時までの12時間を予備校で過ごしていた。

その生活を半年ほど続け、1回目に受けた高等学校卒業程度認定試験で、難なく全教科の単位を取得することができた。
それからは、看護学校受験のためのクラスへ移動し、ひたすら受験勉強に明け暮れ、英語の点数だけは飛躍的に伸びた!

~今でも忘れていないエピソード~

授業中に先生が出した問題に、名門大学に通ってた男の子が答えたが、引っ掛け問題にきっちり引っ掛かり間違えた。
その時、先生は80人ほど居る予備校生の中、私にアイコンタクトをして、「あやちゃん、これどこが違うか分かるやんな?」と聞いてきた。
私は迷わず回答することができたのだが、その時の先生の表情が何とも言えない、「どうや、私が1から教えたら、ここまで英語を習得することができるんやで」と、誇りに満ち溢れていた
私自身も、こんなに嬉しいバックアップはないと思い、そこからまたさらに英語の実力を伸ばすことができた。
そして、その結果、受験する頃の私は英字新聞に何が書いてあるのか、うっすら分かるようにまでなっていた。

この先生との出会いのお陰で、私は英語で勝負できるよう英語が試験科目に入っている看護学校を受けると決めた。

予備校で、この先生と会っていなければ私は看護師となる道の途中で挫折していたのかもしれない。
今でも時々、そう思うことがある。
だからこそ、誰と出会うか、誰に導かれるのかは凄く大事なのだと私は思う。

~ホステス卒業編~
~看護学校編~
こちらは、また時間ある時に書いてみようと思っています!

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