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雫の轍 6巻

◯◯さんが帰ってきたのは、私が他の方たちと一緒に夕食を食べているときでした


◯◯:帰ったぞ〜


そう玄関の方から声がして、飛ぶように馬弓さんが真っ先に向かっていったのを見てから

私はゆっくりと玄関の方へと向かいました


◯◯さんの姿が見えた時、横に知らない美少女がいて私は戸惑いました


史緒:◯◯さん…その方は…?


私が会話に割って入っていないか怖くて、小さい声で聞いたことに

馬弓さんがさっと答えてくれました


馬弓:この方は飛鳥さん
  ◯◯様と同じ十二天将の名を預かる陰陽師です

史緒:この方も…


私より少しだけ身長が低く、幼気な印象すら受ける顔

しかし、放っているオーラというものが私よりも全然歳上であることを本能的に分からせてきます


飛鳥:師匠、この子が現世うつよから来た…

◯◯:あぁ、そうだ
  史緒里ちゃん

史緒:久保、史緒里といいます


紹介されたようなので、私は自己紹介をして頭を下げました

よろしくお願いします、というのは何か違う気がして付け加えませんでした


飛鳥:ん、私は齋藤飛鳥
  太陰の名を預かる陰陽師で、師匠の弟子よ

◯◯:まあ、まだ未熟なところがある二番弟子だがな


はは、と笑いながら◯◯さんはおちょくるように付け加え

飛鳥さんは◯◯さんを睨みつけています


…なんだかお似合いな関係で、危うく笑ってしまいそうになるのを堪えるのに必死でした


馬弓:で、これまた何故飛鳥さんをここへ?


馬弓さんが本題を聞きました

私も気になることなので、耳を傾けます


◯◯:ちょっと稽古をつける前に
  飛鳥に話し合わないとと思ってな

馬弓:話し合うとは

◯◯:こいつは、才能はあるが
  座学は寮学校だけだと不十分だから、そういうところも含めてな

飛鳥:学校でも、座学は上位でしたけど?
  それに…


飛鳥さんはそう言いましたが、とりあえず…と◯◯さんは話を遮って飛鳥さんを自室に連れて行かれてしまいました


それにしても、◯◯さんや飛鳥さんの言っていた学校とはどういうものなんでしょう…

私はそちらの方に興味が湧いてしまいました


馬弓さんに聞こうとしたんですが、馬弓さんはすぐに台所の方へ行ってしまったので聞けませんでした


史緒:学校は、この世界にもある?

女中:史緒里ちゃん、夕食は?

史緒:あ、行きます行きます


私は疑問を少し抱えたまま一日を終えそうです



飛鳥:師匠、私は改めて座学なんて…


飛鳥は◯◯の部屋に来て、すぐそう言った

その顔は不服さと悲しさを帯びている


◯◯:まぁまぁ、そんな顔をするなよ
  別にまた最初からということじゃない


◯◯は優しく飛鳥に言った

そして一呼吸置いて、話し始めた

とても真剣な声で


◯◯:あの妖は蟹坊主という名前の妖だが
  あれもどうやらあっちの世界と関係がありそうなんだ

飛鳥:あっちとは…現世うつよですか

◯◯:あぁ
  そして、あの蟹坊主は…陰陽師の祝詞のようなものを唱えていた


◯◯の言葉に飛鳥は元々大きい目を、より一層大きくした

◯◯はその表情を見て笑いたくなるのを堪えて続けた


◯◯:結構重大なことになってきている
  気を引き締めろよ?

飛鳥:はいっ


真面目に返事をした飛鳥

◯◯はそれに笑顔になると、立ち上がって


◯◯:それじゃあ、座学を始めるぞ

飛鳥:えっ…

◯◯:まずは、索敵からだな

飛鳥:そんな初歩のことからですか!?

◯◯できてないから、今回捕まったんだろ?
  復習だよ


飛鳥の悲鳴が部屋に響きわたった





飛鳥が帰って暫く経ち、◯◯は自室を出た

皆が寝静まった深い夜の屋敷は薄暗く、玄関からの光が廊下を歩く際の道標になっている


◯◯:面倒なことになったもんだなぁ
  さてさて、どうしたものか


独り言を呟きながら、◯◯は屋敷の奥へと歩みを進めていく


しばらく歩いて、突き当たった角

そこには扉に厳重な仕掛けがなされており、厳かな雰囲気を漂わせる


その扉に◯◯が触れると、金属の動く音がして

やがて扉の鍵が開いた


◯◯:激動な数日間ですよ、全く


部屋に入るなりそう呟く◯◯

部屋自体はそこそこ広いが、三方が書棚になっており狭いと錯覚していまいそうだ


部屋の中央辺りにある∣褥《しとね》に座る◯◯

そして、語り出した


◯◯:見ておられたと思いますが、今回の妖は中々に興味深かったですね
  陰陽師の祝詞のようなものを唱えるのですから


◯◯がそう言う

端からすれば独り言のように思える

が、◯◯は違う

-いや、正確にいえば十二天将の名を預かる陰陽師は違う


◯◯の耳には、こんな声が聞こえていた


“相当重大な問題に聞こえるが?”

◯◯:えぇ、大問題ですよ
  でも、相手側にも何らかの制約があると思うのです

“というと?”

◯◯:この前の狼のようなものが暴れたのが約五日前
  捕まっていた者たちの証言によれば蟹坊主が現れたのは昨日
  その間、何かが起こると言うことはなかったんです

“その間に認知の外で何かしている可能性もなくはないがな”


◯◯が目を閉じて、霊気を微量に消費しながら会話している相手は


◯◯:まあ、それはなくも無いのですが…
  それを聞くためにここに来たのですよ


白虎様



◯◯や飛鳥、跋凛のような十二天将という異名はただの称号では無い

陰陽師として有名な初代;安倍晴明によって顕現された実在する神と契約した者たちの異名なのだ

例外として、朱雀と白虎の名を預かれるのは安倍一族の分家という決まりがある


“私に何を聞きに来たと言うのだ”

◯◯:変わったことを知覚していないかと聞きに来たのです

“ふむ…これと言って何かを感じたことはないな”

◯◯:そうですか…


◯◯は少し予想外だったのか、肩を落とした


“が、相手方が何かをした瞬間なら感じたことはある”

◯◯:まことですか!

“あぁ…忌々しい霊気を感じたぞ”

◯◯:その感じる方角というのは…


興奮のあまり早口で問う◯◯に


“そこまではわからんし、それを調べるのもお主の仕事ではないのか?”

◯◯:うぅ、痛いところを突きますな

“協力はするさ、可能な範囲でな”

◯◯:ありがとうございます、白虎様


深々と頭を下げた◯◯

そして細く息を吐くと、腕を組んだ


◯◯:余談ではありますが、私が拾ったかの少女
  菖蒲と関係があると思われますか

“わからんの…かの少女についてもまだほとんどわからんのだし”

◯◯:それもそうですね

“わざわざここに来て私と話すのも、かの少女が味方かわからぬからか”


十二天将の名を預かる陰陽師は、霊気さえ消費すればほとんどどこにいても自分の契約した神と会話することができる

が、◯◯がそれをしないのは史緒里がまだ味方なのか敵の手先なのか判断がつかないから


◯◯:仰る通りです
  いきなり結界を張れるというのはおかしいと思いませんか

“そうだな…寮だとどれくらいで習得するのだ?”

◯◯:寮学校だと、早くて二、三ヶ月ですかね
  筋が良くても安定させるのが難しいですので

“稀代のお主でもそれくらいかかったか”

◯◯:お戯れを…
  二、三ヶ月もかけていたら父上に怒られてしましますよ

“だろうな、あの男は厳格であったからな”

◯◯:はい…
  おっ、そろそろ夜番ですので一旦これにて

“そうか、ではまたな”

◯◯:失礼します


◯◯は部屋を出ると、また扉に手をかざす

金属音がして鍵のしまった大きな音が響いた


◯◯:さて、夜番は六合衆とだったはず…
  手伝ってもらうか


廊下を歩きながら呟いた◯◯は今日退治した蟹坊主を思い出した

最後に感じたあの禍々しい霊気は、妖によるものではなく他の術者のものだった


一度自室に戻った◯◯は、提灯を持って玄関に向かった


◯◯:さてと…行ってくるよ


◯◯は闇の世界へとそう言って消えていった



この日を境に史緒里は激動な陰陽師の世界の渦に巻き込まれていくが

まだその兆候は誰一人として気がついていない

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