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弱者のふりをした者

みなさんはこんな人に会ったことはないだろうか?

私昔から〇〇なので、、、、

今すごくしんどいんです、、、、

などと、側から見たら精神的や物質的、社会的な弱く見える人達。

今回はそんな中に隠れた、弱者のふりをした者について綴っていこう。

一見弱く見えるこの人たちだが、稀にその立場や状態を利用して自身の承認欲求を満たそうとする人も存在する。
これは引っかからないように気を付けないといけない。。。一歩間違えれば向けた優しさに漬け込まれ、あなたの時間と精神が乱れることになりかねない。

本当に弱ってしまっている人とそうじゃないふりをした者(今回はわかりやすいようにそう呼ぼうと思う)をどうやって見分ければいいのだろうか?

両者の違いを挙げるのであれば
本当の人は
・自分の状態をうまく説明できない
・お願い事が少ない
・あまり自分の話はしない

ふりをした者は
・こうして欲しいという要望が多い
・弱っているということを大きく見せる
・他人にどうにかして貰おうとしている

ざっくりとこのようなことが私の経験則に基づくと挙げられる。

ふりをした者は他人にどうにかして欲しいという欲求が強いが、あくまでそれは自分が納得する形でなければならず、少しでも納得できなかった場合その責任は助けてくれた人や手を差し伸べてくれた人に向く場合が多いだろう。

商売においてもこのような人たちからクレームが多く挙げられるという話はよく聞くのだが、そんな人に限ってあまり規約や、商品説明なども読んでいない場合が多いのだ。

知らなかった。

あの人のせいだ。

そう声を荒げたり、被害感を全面に押し出しての主張というのはあまりにも主観が強すぎる発言だ。
(実際に被害を受けている人に向けてはちゃんと声をあげて欲しいと思う)

人と人が関わるということは、両者の間に責任という見えない秩序が発生すると私は思っている。
こうしてはいけない。
これ以上は頼るのはよくないだろう。と思うことができ、相手に対するリスペクトがあればいきすぎることはだろう。

どれだけ気を付けても今回のような、ふりをした者に遭遇する場合はあるだろう。

もしあなたが手を差し伸べたのに、あなたのせいにされたのならば怒ってもいい。
ふりをした者は他でも繰り返しそのような事をしてきているわけだから、怒ったとしてもまた誰かのせいにするだろうが、拒否の姿勢を見せるということがバリアにつながる。ふりをした者は他人に何を言っても大丈夫だろうという妙な安心感を持っていることも多い為、受け入れてもらえると大体思っており、拒否されることは想定はしていない。

だがただ拒否の場合、さらにふりをした人から怒りが降ってくる場合があるので自分がどんな気持ちになったのかをちゃんとふりをした者に伝えるといいだろう。


少しでもふりをした者に悩まされる人がいなくなる事を祈るばかりだ。





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