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根暗のグルメ
「根暗のグルメ」
世間には明るくて賑やかな食べ物がある。友達や家族と囲む鍋、恋人と分け合うスイーツ、同僚と飲み干すビール。それらは全て、温かさと笑顔に包まれ、食卓を彩る。しかし、僕にとって食べ物は、少し違う形で心に染みてくる。
仕事が終わると、僕は真っ直ぐ家には帰らない。繁華街を抜け、人々の笑い声が遠ざかる静かな路地裏へ足を運ぶ。いつも決まって立ち寄るのは、古びた中華料理店だ。看板は時代を経て色褪せ、窓に貼られたメニューも日に焼けて黄ばんでいる。その佇まいは、僕のように少し疲れた者を歓迎してくれる。
店に入ると、すぐに鼻を突く油の香り。心地よいとは言えないが、どこか安心感を覚える。静かに鳴るテレビからは、誰もが興味を示さないような古いニュースが流れ、薄暗い店内はまるで時間が止まったかのようだ。店の奥にはいつも無愛想な中年の店主がいて、僕が入ると軽く会釈する程度。会話を交わすことはほとんどない。それでいいのだ。僕はこの静けさを求めている。
注文は決まって同じ。ラーメンとチャーハンのセットだ。何度も同じメニューを頼んでいるが、飽きることはない。むしろ、いつもと同じ味が、僕の中で心の隙間を埋めてくれる気がする。どこにでもあるラーメンとチャーハン。しかし、その平凡さが僕には特別だ。
料理が運ばれてくるまでの間、僕は無意味にスマホをいじり、時折、店の中を見渡す。他に客はほとんどいない。この時間にわざわざこんな店に来る人間は、僕のように何かを抱えている者ばかりだろう。誰も目を合わせず、黙々と食べるだけ。孤独が共鳴するような空気が店内を満たしている。
「お待たせしました」店主の無愛想な声と共に、ラーメンとチャーハンが置かれる。湯気が立ち上るラーメンのスープを一口すすると、少し塩辛い味が口に広がる。チャーハンは、カリッとした部分としっとりした部分が絶妙に混ざり合っている。それぞれの味が特別に美味しいわけではないが、この場所で食べることで、僕の中で意味を持つようになる。
仕事に追われ、誰かと食事を共にする余裕もない。たまに友人と会うことはあるが、自然と疎遠になっていく。彼らは結婚したり、子供ができたり、忙しそうだ。僕にはそういった変化がなく、同じ毎日をただ過ごしている。こんな風にひとりで食事をすることが増え、やがてそれが当たり前になった。
だが、このひとりきりの食事には、いつもどこか切なさが付きまとう。食べるという行為は、人と人を繋ぐものだと思っていた。実際、家族と一緒に食卓を囲んでいた子供の頃、食べ物はいつも楽しいものだった。母が作るカレー、父が焼くバーベキュー、兄弟で取り合ったアイスクリーム。どれも食べること自体が喜びだった。
今はどうだろう。誰もいない部屋に帰り、誰にも話しかけることなく、ただ食べ物を口に運ぶ。味わうというより、食べるという行為自体が目的になっている。それでも、この古びた中華料理店で食べるラーメンとチャーハンは、僕にとって特別だ。なぜなら、ここでは誰も僕を気にしないし、僕も誰を気にすることはない。静かで、温かくもないが、少なくとも冷たくもない。そんな空間で、僕はただ食べることに集中できる。
「ごちそうさま」と言って店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でる。賑やかな通りに戻ると、すれ違う人々の顔は、どこか楽しげだ。僕はその光景を横目に、自分の歩幅で家路に着く。この道はいつも同じで、風景も変わらない。それでも、この無駄に過ごす時間の中で、少しだけ心が落ち着くのだ。
根暗な自分には、そんなささやかなグルメがちょうどいい。華やかさもなく、誰かと共有するものでもない。でも、ここで食べることが、僕の一日の終わりを締めくくる大切な時間になっている。次もまた、この店に来て同じメニューを頼むだろう。変わらない毎日が、僕にはちょうどいいのかもしれない。