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逆走チャリに返り討ち!

逆走自転車に返り討ち

朝、駅までの道を歩いていると、必ずと言っていいほど遭遇するのが逆走自転車だ。いや、もう見慣れたなんてもんじゃない。右側通行を堂々と進む姿を見るたびに、「ここ日本なんだけどな」と心の中で突っ込みを入れる。注意してやりたい気持ちは山々だが、無駄にトラブルになりたくないし、何より彼らは無敵のオーラを纏っている。何を言っても届かないだろうという、あの鉄壁の自信。あれに勝てる気がしない。

そんなある日のことだった。私は逆走自転車にまさかの返り討ちに遭うことになる。いや、正確に言えば「精神的に返り討ちにされた」のだ。

出会い頭の攻防

その日もいつものように、私は駅に向かって歩いていた。時間は朝の通勤ラッシュ。歩道にはスーツ姿の人たちが行き交い、車道では車のクラクションが響く中、私は自分のペースで歩いていた。そして、ちょうど横断歩道を渡り切った瞬間だった。

右側通行の逆走自転車が、猛スピードで私の正面に現れた。

「あぶない!」と思って足を止める。逆走しているのだから当然、向こうが悪い。それなのに、相手は減速するどころか、むしろ加速した気がした。あのときの相手の表情を、私は一生忘れないだろう。眉間にしわを寄せ、まるで「お前がどけ」という圧力を全身で放っていたのだ。え、待って、逆走してるのはそっちだよね? なのに、なぜこんなに堂々といられるのか。

とっさに私は道を譲った。いや、譲らざるを得なかった。自転車が接近するスピードが尋常じゃなく、突き進んでくるあの態度に、「これ、衝突するしか選択肢がないのか?」と恐怖が襲ったからだ。

理不尽の連鎖

道を譲った後、私は怒りでいっぱいだった。向こうの無言の「勝利宣言」が聞こえた気がしたからだ。「やっぱり人間、最後は力が物を言うんだよ」とでも言いたげな背中を見送りながら、私は心の中で静かに呪文を唱えた。

「いや、絶対おかしいだろう。お前が悪いのになんで俺が負けたみたいになってんだよ!」

ただ、この怒りを誰にぶつけるべきか分からない。逆走する彼に言い返せばよかったのか? でも、彼がブレーキを握るそぶりすら見せなかったのを考えると、万が一言い争いになっても、物理的に負ける未来しか見えない。そうこうしているうちに、私は自分の怒りの矛先を、なぜか社会全体に向け始めた。

「これ、誰が悪いんだ? 俺をこんな気分にさせたのは、道路交通法を守らないあいつなのか。それとも、逆走自転車を取り締まらない行政なのか? いや、もっと言えば、逆走が『なんとなく許される空気』を作った社会全体の責任なんじゃないのか?」

無敵の逆走者たち

しかし、こうして考えれば考えるほど、逆走自転車の存在は謎だ。なぜ、彼らはあれほどまでに堂々としていられるのか。こちらは正しいルールに従っているにもかかわらず、なぜ彼らに道を譲らなければならないのか。何度考えても納得がいかない。

それにしても、逆走している彼らの自信はどこから来るのだろう。彼らがルールを知らないとは考えにくい。きっと、自分が悪いことをしている自覚はあるのだろう。それでも彼らは逆走する。なぜなら、「その方がラクだから」という理由に違いない。

右側通行をすれば、信号待ちを少しでも減らせる。目的地に近い側を走りたい。それだけの理由で、堂々と逆走しているのだ。つまり、彼らにとっては「自分がラクであること」がすべての優先事項なのだ。そして、その姿勢に対して、社会がほとんど何も言わないことを、彼らは見抜いている。

道を譲る理由

こうして私は、逆走自転車と戦わない理由を自分なりに分析した。結局のところ、こちらが正しいと分かっていても、最終的に譲ってしまうのは、「自分がケガをしたくないから」だ。逆走する自転車に向かっていけば、こっちが負傷する可能性が高い。だったら、ほんの数秒でも自分が道を譲れば、それで解決する。そう思ってしまうのだ。

しかし、そうやって道を譲ることで、私は何かを失っている気がする。たとえば、自分の中の「正義感」だったり、「社会に対する信頼」だったり。譲るたびに、自分の中で何かが少しずつ削られていくような感覚に襲われるのだ。

逆走する日が来る?

ふと、こんなことを考えた。「もし、ある日自分も逆走してしまったらどうだろう?」と。もちろん、ルールを守る意識はあるつもりだが、急いでいるときや、ちょっとした気の緩みで、右側を走ってしまう日が来るかもしれない。そのとき、自分がどう振る舞うのか想像すると、少しだけ怖くなる。

もしかしたら、逆走している人たちも、かつてはルールを守る普通の人だったのかもしれない。けれど、ほんの些細なきっかけで、「逆走はラクだ」と気づき、やがてそれが当たり前になっていった。そう考えると、逆走自転車に対する怒りは、「人間の弱さ」そのものへの怒りなのかもしれない。

最後に

結局、逆走自転車に返り討ちにされた私が学んだことは、怒りを抱えたままでは前に進めないということだ。次に逆走自転車と遭遇したら、私は道を譲るだろう。そして、「またかよ」と心の中で毒づきながらも、その日は静かに過ぎていくのだ。

ただ、せめて彼らが逆走する理由を少しでも反省してくれる日が来ることを願いながら。

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