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自宅にいて怒りが込み上げてきた💢
「家にいる時ふと思ったんだけど」
家にいると、いろんなことを考える。
特に、ぼーっとしている時に限って、どうでもいいことが頭に浮かんでくる。
で、今日もリビングでゴロゴロしてたら、急にムカついてきたことがある。
「なんで俺は家でこんなに落ち着かないんだ?」ってことだ。
そもそも、家って「くつろぐ場所」じゃないのか?
仕事から帰ってきて、やっとリラックスできるはずの空間なのに、なぜか常に何かに追われている気がする。
ソファに座ってテレビをつけても、すぐに「洗濯物、取り込まなきゃ」とか「食器、洗わなきゃ」とか、そんなことが頭をよぎる。
「あ、あとでやろう」と思っても、どうせその“あとで”にはまた別の用事が発生していて、結局ずっと何かをやってる。
これはおかしい。
そもそも、なぜ俺は家にいるのにこんなに忙しいんだ?
仕事が終わって、帰ってきてるはずなのに、ここでも働かされている気分だ。
会社なら「残業代を払え!」ってなるけど、家だとそれもない。
完全にブラック環境じゃないか。
で、ふと思った。
「これって、俺の家なのに、俺の自由になってなくない?」
言い換えれば、俺は“家を所有してる”んじゃなくて、“家に支配されてる”んじゃないかってことだ。
例えば、リビングの片隅に置いてある観葉植物。
これは「緑があると落ち着くかな」と思って買ったものだ。
でも実際はどうだ?
水をやらなきゃいけないし、枯れた葉っぱを取り除かなきゃいけない。
「リラックスするため」に置いたはずのものが、気づけば俺に「手入れしろ」とプレッシャーをかけてくる存在になっている。
冷蔵庫もそうだ。
「自炊したほうが健康的だし、節約になる」と思って買い込んだ食材たち。
だけど、それが逆に「早く食べないと賞味期限が切れるぞ」と俺を追い詰めてくる。
何も考えずにインスタントラーメンを食べようとしたら、冷蔵庫の中の野菜が「俺たちがいるのに?」って無言の圧力をかけてくる。
いや、お前らが腐らないように買ったんだよ。なんで俺が責められる側になってるんだ。
さらに言うと、洗濯機。
この機械は本来「洗濯を楽にする」ために存在しているはずなのに、なぜか俺に仕事を増やしてくる。
「そろそろ洗濯しないと溜まって大変だぞ」
「終わったぞ、早く干さないと生乾き臭になるぞ」
「乾いたぞ、早く畳め」
まるで、指示を出してくる上司のようだ。
そもそも、家って「くつろぐための場所」じゃなかったのか?
なんで俺はこんなにプレッシャーを感じながら生活してるんだ?
で、さらにムカつくのが、この状況に慣れちゃってる自分だ。
昔は「家にいる時間=自由時間」だったはずなのに、今はもう「家=タスクをこなす場所」になっている。
そのことに気づいた時、「なんでだよ!」とソファに寝転びながら叫びそうになった。
いや、実際に叫んだかもしれない。
でも、誰も助けてくれない。
なぜなら、ここは俺の家だからだ。
つまり、俺が管理するしかない。
もし「この状況をどうにかしてくれ!」って思うなら、誰かに頼むんじゃなくて、自分でやるしかない。
それがまたムカつく。
そして、最終的に出た結論がこれだ。
「家は、完全にくつろぐ場所ではない」
よく考えたら、「リラックスできる空間を作る」というのは、それなりに努力が必要なんだ。
散らかっていたら片付けなきゃいけないし、汚れていたら掃除しなきゃいけない。
快適な環境っていうのは、何もしないで勝手に手に入るものじゃない。
むしろ、常にメンテナンスし続けないと、どんどん崩れていくものなんだ。
つまり、家っていうのは、「くつろぐための空間」であると同時に、「くつろぐために働かないといけない空間」でもある。
この矛盾に気づいた時、俺は少しだけ絶望した。
「なんかもう、ホテルに住みたいな……」
そんなことを思いながら、洗濯物を畳む俺がいた。
これが、家にいる時ふと思った、どうしようもない怒りの話である。