【Digression】なんだかイライラする時
※この記事は、何かしら有用な対応策や知恵や知識、情報が手に入る類のものではありません。それを承知でお読みいただけたら幸いです。(承知の上でお読みになる、そんな貴方はとても物好きで稀有なお方なのでしょう)
なんだかイライラする時ってないですか、ない人はそれはそれで良いですね。
私はあります、というか今まさにそうですね、はい。
そんな時にこんな記事をお見かけした、、、ああ耳が痛すぎる。
(有用なものをお求めの方はこちら↓をどうぞ)
大変参考になる記事でした。
こうやって冷静に自分のことを見つめられる方、すごいですね。
それに比べて私は・・・ | -:
なぜ、あるいは何にイライラしているのか
自分のことですら、よく分からないことも多いですが、さしあたり何にイライラしているのか、というのを見つめる、というのは大事なことと思います。
「では何にイライラしているのか、なぜイライラしているのか」・・・
と言われても、わからないことも結構多いのではないでしょうか。
私はわからないことも多いですが、いくつかのパターンもあります。
というかここまで生きてきてようやくうっすらパターンがあるような気がしてきました。全く有用ではないといいつつ、もしかしたら、誰かの参考になるかもしれないので、書いておきます。
まあ、定期的にくるやつ(心理的身体的不調)は如何ともしがたいので、これはとにかく休む無理しない。
それから、できるだけ血のめぐりに気をつけたり身体を冷やさないようにしたり、カフェイン取りすぎに注意したり、という日頃からのケアでなんとかしのぐしかなさそうです(むしろ良い手立てがあれば誰か教えろください)。ただ、日頃からこうしたケアをしていると、イライラ以外にも単純にだるさ、気だるさやなどの改善にもつながるかもしれません。
あとは忙しい時というのは、(当たり前かと思いますが、)誰しもイライラしやすいように思いますが、私は特に余裕がなくなり焦りがちなので、イライラしやすいし何も手に付かないがちのようです。
ただ、単純に作業やタスク的なわかりやすいものによって忙しいと、それを周りにわかっていただきやすいので、リスケしたりなんだり、とうまくやれる方は、それで良いかもしれませんね。私はリスケもそもそも段取りも苦手です。
まあそれはさておき、問題なのは、周りには伝わりにくい、伝えにくい忙しさ(せわしさ)の方でしょう。
これは皆がそうなのか、私のあまりのダメさによるものなのかは、知るところではありませんが、何か自分が今取り掛かっていたり集中している事柄、広い意味での「認知的不協和」だったりが起きている時、あるいは気がかりなことがあるときというのは、私にとって、かなり気が急いてイライラしてしまうことであるようです。
自分語りがすぎますが、どうやら、あまり切り替えや割り切りが上手いたちではないようで、何かしら技術的なことでも、あるいは物事の組み立て方についてでも、違和感や気がかりがあると、それに対して(あくまで自分にとってですが)整合性が取れる、納得のできる形というのを求めすぎてしまうようです。
もちろんなんでもかんでも、納得できるわけでも、理解できるわけでもないのでしょうし、自分の理解や納得が、周囲におけるそれや求められている成果に対して必要なわけでも有意義なわけでもないことがある、というのも承知しているつもりです(多分)。
しかしながら、周囲の人間が思う以上に、それらのことについて自分が決着をつけておく、というのは、私がことを進めたり、何かを為すためには、必要なプロセスであり、必要な土台となっているのです。
こだわりが強いとか、わがまま、とか言われれば、それまでですが、自分が職人気質だとか、専門性に長けているというつもりは毛頭ありません。
むしろ、周りの人よりできないことが多すぎて、せめて自分ができることの範囲では、しっかりと足場を固めたい、というのが本心です。
いわゆる「完璧を求めるより完成を求めることの方が大事」みたいなご指摘は百も承知ですが、そうでもしないと、私は完成にすら至れない未熟者のようなので、多めにみていただきたいですね。
私にできること
とはいえ、せっかく「自分の機嫌を一定に保つ」という良き記事に感化されたので、何かできることはないか、と考えた結果、とりあえず思ったことを書いてみる、というのが割と性に合っているようなので、この記事にしてみた次第です。
と言ってもこれは、「タスク」や「やるべきこと」をリストにする、というようなそんな真っ当な対応策ではないですし、心情の吐露と言えるほど、自分の感情も考えていることもよくわかっていないので、ただの殴り書きに近い、自己満足的なものです。
しかしながら、不思議なもので、とにかく書いてみる、というのは、なんだか少し気持ちを落ち着かせてくれるようです。皆さんにとってそう、というわけではないのでしょうが、なんとなく殴り書いているぞ、という勢いみたいなものが、私にとっては、少しばかりの爽快さをもたらしてくれるようです。
クリエイティビティ、創造性あるいは合目的的活動
これは、ちなみに「くぁwせdrftgyふじこlp」のような文字列、記号列でも良いのですが、意味論的、構文論的に妥当なもの、nonsenseではない「文」、「文章」の方が、どうやら私には爽快なようです。これが手書きであれば、ぐちゃぐちゃにインクを紙にぶつけたり、とかもできてしまうのですが、それであっても、ぐちゃぐちゃな色の塊よりは、幾何学的な模様、あるいは何か情緒的な雰囲気を持つイラストだったり(上手くはない)の方が、より効果的なのです。
こう書くと大変流暢な物書きであったり、芸術家のような技巧、センスを持っているかのように見えますが(見えなかったらそっとスルーしてください)、もちろんそんなわけもなく、出来上がったものも不思議と?完成度も高くはないのです。
ただそれでも、何か「意味のある」ものを、生み出したというのが、自分にとって良いフィードバックをもたらしてくれるようで、これは書いた文章などが、その後の作業に資するような有用なものではなくても、つまり役立つものでなくても、何かしら思い描いたものを書き出す、ということ自体がその爽快さの源になっているようです。
それに加えて、その生み出す過程での身体的挙動、手の動き、あるいはタイピングの衝撃、音、紙の感触、ペンを滑らす感じ、などのフィードバックは、差し詰めデスク上でのアスレチックのような心地よさをもたらしてくれます。
これが、なぜかまた頭をスッキリさせてくれるのは不思議ですが、今まさに実感するところです。
何が言いたいのかというと・・・
ただやはり、手書きの感じは、なかなかキーボードのタイピング入力では得られないものがあるというのも否定できません(もちろんタイピングにはタイピングの良さがあるのですが、、、)。
ただ最近はやはり、本当の意味で「書き」殴るということを久しくしていないので、そういう意味では、本記事のタイトルにもある「イライラ」の解消が疎かになっているのかもしれません。
まあ、要するになんだか、イライラしている(のとは関係なく、)ので、「QUADERNO」を衝動買いして、色々と書き殴りたいな、という話
つ「イライラしてやった後悔はしていない」
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