どんないい母親でも子どもにとっては魔力 「毒親」を考える
今年は自分のことをじっくり深く振り返る時間を多くとっている。
そんな中で気づいたことが、母親と子どもの関係性。
私も娘が1歳になって先日2歳になった。
赤ちゃんから人になっていくのを間近で見ていて、彼女にかける自分の言葉や思考を客観的に見るようになった。
大人の世界では「自分とは違うなー」と思う人の子どもの頃の話を聞いたり、家庭環境を聞いたり。
どうやって人の思考・思想・考えがつくり上げられるのかに、やっぱりとても関心がある。
もうしばらく経つけど近年
日本では毒親、という言葉が出てきた。
(つくづくいろんな社会事象や人をカテゴリ化して、ラベリングする言葉の使い方が上手な社会だなと思う。ラベリングした途端に、物事が他人事化されたりとか、他責になったりとかもあると思うけど…)
本題に戻って
私は改めて今年、自分のお母さんがお母さん自身に言ってきたつぶやきや、私にかけた言葉、お母さんの生き方やお父さんの生き方を思い出していることも多かった。
そうすると根掘り葉掘り出てくる。自分に刷り込まれた感覚、お母さん由来のもの。
一番象徴的なものは、私の母親はとにかく「会社に勤めなさい。独立はするな」。
起業やフリーランスになることを反対するタイプだ。
でも、私は自分がやりたいこととか自分の好きなこと、大切にしたかった・したい価値観を深くえぐって机上に出して見ると、自分でやるしかないアイデアばかり。
そして自分のこれまでの経歴や性質を考えても、確かに折々昔から言われていた「あっこは自分でやった方がいいタイプ」なのだ。
そうと覚悟が決まると、すごくスッキリした。ずいぶん生きやすくなったと思う。
自分を見つめ直したことに加えて
習い事や教育事業、子どもたちの取材をやっていると、いろんな子どもと親をみられる。その経験も、自分が親になる時の学びと歯止めになった。
親がそばにいない時の子どもの様子や言葉
親が語る子どもの描写
子どもが語る言葉ににじみ出る親の影響
子の思考パターン
ひいては親が他の親のことをどう語るか
他の子をどう語るか
長年見ていると、一人の人でもいろんな状況の変化で思考の変化も感じてくる。
そして彼らは大人になる。
そもそも「毒」という言葉や「中毒になる」という状態は
ネガティブなことだけじゃない。
快楽を生むからやめられなくなったりする意味でも、毒は毒なのだ。
ポジティブでも毒
ネガティブでも毒
そういう意味で考えると、いわゆる毒親っていうのは
ネグレクトや虐待、abuse、抑圧や強制性をもたらす親だけを指すのではなく
成功体験の快感、いつでもサポートをしてくれる依存性をもたらす親も「毒」だし
なんなら一緒にいるだけで何も知らずに刷り込まれる、思想や思考も毒。
親の癖も毒。
全部毒!笑
そして、その毒が一番反映・投影されるのが、いちばん結びつきが強いとされる子ども、なんだろうと解釈している。
だから私も、毒親。
気をつけないといけないのは、子どもは親を悪く言わないし、否定しない。親を批判的に見ることは毒につかればつかるほど難しい。
子どもにとって、一番引力が強い母親(もしかしたら父親の人もいる)。
母がもつ力は偉大。フェアなジャッジや、批判的視点さえ阻んでしまう。
本当に魔力だ。
そう気付くと、よく巷で言われる「母親が笑顔でいることがいちばん」「母親が楽しく生きることが大事」とか、諸外国の個人主義が強い感覚とかをすんなり理解できるようになった。
そして自分の思考・行動・生き方を自分でよく考えて選ぼうと今は思っている。
私は私を生きる。
自分のもつ魔力を自覚して
子どもと距離をとり
時には近づいて示し
子どもが歩む道の隣で
自分の道を自在に延ばしていこうと思う。
ちなみに、こういう考えをするようになってから悩んでいることもあって。
ベラベラお喋りな私が、子どもへの声かけは何を言うべきかすごく迷うようになってしまいました笑
幼児に対して自分が発する言葉にあまり自信がない。
だから結構、子どもの前では他の人の前よりも無口なことが多い笑
子どもから発せられる言葉をおうむ返しするくらいで、あまりあーだこーだ説明しない。
ただギューーって抱きしめたり、相槌打ってごまかしてます。w
その代わりパパやおばあちゃんがペラペラと娘のおしゃべり相手になってくれてます。
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