私があこがれる、謙虚、気さく、そして共感力のある人
はじめまして。安藤益代と申します。
私が「大切にしている教え」についてお話したいと思います。
私は長年、グローバル人材育成に携わってきており、現在レアジョブグループにて法人研修事業を担う株式会社プロゴスで取締役会長の職にあります。
大学卒業後、野村総合研究所等の勤務を経て、アメリカに渡り7年半ほど過ごしました。アメリカ時代は、シカゴ大学とニューヨーク大学の大学院で学び、その間に日系証券会社に勤務し、出産と子育ても経験しました。振り返ると、自分のキャリアは、「グローバルに活躍できる人をもっと増やさなければ」という、この時期の問題意識が基点になっているといえます。
元教育大臣・キサンビンさんとの出会い
そんな私は、キャリアの駆け出しの30代に、ひょんなことから、ユネスコのアジア太平洋地域で国際教育の専門家ネットワークをつくるプロジェクトを手伝うことになりました。当時アジアの国々では各国のユネスコ国内委員会が学校のグローバル人材育成教育を担っていることが多く、各国の専門家が集まって地域連携を強めることがプロジェクトの狙いでした。
最初にフィリピンのマニラで会議が開かれて参加したときのことです。会場で、いかにも場慣れしていない私に手招きして、「ここにお座りなさい」と隣の椅子を勧めてくれた女性がいました。ほっそりとした長身で、にこやかにいろいろな人と話している様子は、柔和な表情の中に芯の強さも感じさせました。
どんなことを話せばよいか迷って、もじもじしている私に、その人は、「来てくれてありがとう、どんな仕事をしているの、マニラは初めて?」と、友達のように話しかけてきました。「子どもを預けながら海外出張って大変でしょ」という気づかいまでしてくれました。会議中も国や肩書や経験に分け隔てなく人の発言に耳を傾け、私が英語を聞き間違えてとんちんかんな発言をしたときも、さりげなくフォローしてくれました。その場にいる全員が、安心して巻き込まれていく不思議な力をもっている人だと思いました。
そのひとは、フィリピンにおいて女性で初めての教育大臣を経験したキサンビンさんでした。教育大臣の要職を離れてもなお、グローバル人材育成に情熱を傾け、フィリピンからの専門家としてその会議にも参加されていたのです。
自分の存在意義に気付かされた一言
海外の大臣経験者級の人と一緒に仕事をするような機会がなかった私です。太平洋戦争の記憶が残っているあの年代が日本に対して抱く複雑な感情が気になって、なかなか、本音が言えませんでした。そのことを打ち明けると、「だから今、争いごとをしないためにグローバル人材育成をやっているんじゃないの!」と、思いっきりの笑顔でポンと私の背中をたたいた姿を鮮明に覚えています。
あれだけのキャリアがありながら、お供の人も取り巻きもいない、実に謙虚な方でした。その後、日本も含めていくつかの国際会議でご一緒しましたが、私が転職したこともあり、そのままになってしまいました。時は過ぎ、2017年に96年の生涯を終えられたと聞きました。
ゴルフを通して出会った、企業再生をいくつも手掛けてこられた社長さんも、キサンビンさんによく似ています。自社サービスを利用するときも、若手社員に同僚のように接し、さりげない声のかけ方から一人ひとりのことをよく覚えて把握している様子がわかります。損得勘定なく相談に乗ってくれるので、いつも会うたびにこの人のために何かお返しをしたいという感情が自然にわいてきます。
リーダーはありのままの姿でいい
最近いいなと思ったのは、ニュージーランドのアーダーン前首相の退任時のスピーチです。「心配性でも、くよくよ考えがちでも、母親でも、泣き虫でもリーダーになれる」と、等身大で語りかけました。その姿に、リーダーはありのままでいいのだと、勇気づけられた人は数知れません。ちなみに、アーダーン前首相は年内にハーバード大学のフェローになられるとのことで、新しいリーダーシップの形を広めてくれるのではと楽しみにしています。
私が「教え」をうけるのは、リーダー然とした人や、他人に影響を与えることを意識している人ではありません。そんなことはどうでもよくて、何かにひたむきに取り組んでいる姿から「教え」を感じるのです。
キャリアの早いうちに、尊敬できると思える人に出会うと、ひな鳥が初めて見たものを親と思い込んでついていくように、その後も似たようなタイプの方に惹かれるのかもしれません。振り返ると仕事をとおして、尊敬したいと思う人に多く出会う幸運に恵まれ続けていますが、どこか心の琴線に触れる共通点があるのです。それは、謙虚さ、気さくさ、そして共感力の高さと言えそうです。
「教え」までの前置きが長くはなりましたが、このように尊敬する人の姿に、私は何かの「教え」を感じているのだと思います。