流行語の英訳調査法(考察編)
私がフィールドワークを初めて学んだのは大学2年生の時。専門外の文化人類学を受講した。アフリカの原住民を調査している先生の授業だった。
「皆さん、フィールドワークでもっとも大切なことは何かわかりますか?」とその先生は聞いた。「良い人物を見つけることです。」とすぐに続けた。「良い現地のアシスタントを見つけること。とにかく、こちらが何を求めているかを理解して、それに的確に答えてくれる人。こちらが欲しい答えを与えてくれる、そんな人物を見つけるのはダイヤモンドを見つけるより難しいと僕は思っています。」
その当時は「ふ~ん」と思って聞いていただけだったが、今回自分で15人以上もの外国人に質問をして答えを聞く、という調査をして、先生の言っていたことが痛いほどよくわかった。今回の調査対象は全員英会話講師だったので基本的にみんな話し上手である。でもこちらの質問に対してきちんと答えることのできる人がどれほど少ないことか!みんな流暢にトンチンカンな返事ばかりするのである。流れるような話を途中で止めて、こちらが欲しい答えにたどり着くように導くのに非常に苦労した。
逆に、言葉が全然すらすらと出てこない、コミュニケーション下手の人でも、こちらの質問に関してズバッと直球ど真ん中で答えてくれる人もいる。こういう人は本当に貴重であった。
大学の先生の話に戻ろう。
その先生は自分の体験を語りだした。アフリカの何とかという部族を調査した時のこと。通常、現地アシスタントとなる人物は部族の長から指名される。その部族の現地アシスタントは頭の切れる、コミュニケーション能力の高いハンサムな20代の男性だった。
「では、あなたの部族ではイスを何と言うか教えてください。」「イスは○○です。」快調な滑り出しだった。窓、敷物、靴、シャツ。一つずつ指さして聞いていく。家の外に出た。家、屋根、道、男性、女性。ノートに書き留めたあと、今度は草原に向かう。草原では遠くに野生の動物が見えた。
「あれはシマウマですよね。シマウマは何と言いますか?」「大人の雄シマウマは○○、大人の雌シマウマは○○です。」「子供のシマウマは?」「自分は子供のシマウマは見たことがないので言えません。」
え!?どういうこと?
「見たことがなくても言葉は知っているでしょう?」「はい、知っています。」「では教えてください。」「自分は見たことがないので知っていても言えません。」
オーマイガー!なんでやねん。
その後はもう不条理コントのようだった。「ライオンは何と言いますか?」「雄ライオンは○○ですが、雌ライオンは見たことがないので言えません。」「カバは何と言いますか?」「子供のカバは○○ですが、大人のカバは見たことがないから言えません。」こんな穴だらけの答えでは、言語調査の最初のステップである対訳用語集を作ることすらできない。
実はこういうことはよくあるとその先生は言った。その現地アシスタントはこちらが何のために質問しているかを理解できないのである。想像力が欠如しており、自分ルールに固執する人。彼の場合は見たことのないものは存在しないのと同じなので口にしてはいけない、という自分ルールがあるのであろう。
先生は続けた。「良いアシスタントというのはこちらが何を期待しているかを理解してくれる。話下手でも不愛想でも、頭がそれほど切れなくても良い。ただ、こちらが言ってほしいことを言ってくれる人、それが一番優秀なアシスタントです。」
今回私はオンラインのフィールドワークをしながら、先生の言葉を思い出していた。でも、私は本当にラッキーだった。ダイヤモンドのように貴重な、質問にきちんと答えてくれる人物を見つけたのである。
彼の名前はクリスと言った。クリスは話があまり上手ではない。つっかえつっかえ、とつとつと話す。21歳のアメリカ人で、今は奥さんとタイに住んでいるらしい。
クリスに蛙化現象の説明をした。
「日本の若者言葉に蛙化現象って言うのがあるのね。ほら、王子様だと思っていた彼氏がくちゃくちゃ音を立てて食べているのを見て、一気に冷めることってあるじゃない。王子様だったと思ってたらカエルだったっていうことって。それを蛙化現象って言うの。」
クリスは笑い出した。「わかるよ~。アメリカではそれをGetting the ick!って言うんだ。僕は妹が2人いて、まだ14歳と16歳なんだけど、そんな話ばかりしているよ。」
え!今、さらっと英語訳を言ってくれた?
「もう一回教えて!Getting 何?」
「Getting the ick だよ。Ickはスラングで、気持ち悪かったり嫌になったりすることを言うんだ。もしくは、I realized he is a frog!でもわかると思う。誰もがカエルと王子様の話は知っているからね。」
お~!別の言い回しもさらっと教えてくれる。
「もっとコンサバな、若者以外の人が言いそうな言い方ってある?」
「I was disappointed to see his true colors.とかじゃない?彼の本性を知ってがっかりする、っていう意味だよ。」
クリスはアメリカの実家にいる間、二人の妹のベビーシッターをずっとしていたとのこと。知りたがりでお喋りで、矢継ぎ早に質問するけど要を得ない妹たちの相手をしているうちに、相手が本当は何を知りたいのかを推測して答えることにすっかり慣れたという。
クリス以外の14人のネイティブスピーカーは彼よりずっと流暢に話して、とても良いコミュニケーター達だったが、私が日本の若者言葉の英訳を知りたい、と言って蛙化の話をすると、他の自分の知っているイディオムを教えたり、自分の恋愛話を始めたり、とにかく全然こちらが知りたいものとは違うことばかりを話し続けた。
そんな中でクリスの存在はありがたかった。クリスが提案してくれた「蛙化現象」の3つの英訳(1)Getting the ick、(2)I realized he is a frog!、(3)Be disappointed to see his true colorsを例として、その他の14人に意見を聞くことができたからである。
3つのパターンの英訳例があると、調査はずっと簡単だった。「Do you agree with this English expression, or not?(同意するか否か)」を聞いて、「If you do not, please provide other examples of English expressions.(同意しない場合はその例を挙げて)」と言えばよいだけだった。本当にクリスに感謝である。
それにしてもどうして人は「質問者の意図を理解して的確に応える」ことがなかなかできないのだろう?
理由の一つは、質問そのものに焦点を当てすぎて(カバは何と言うかに答える)、その背後にある「質問の本当の意図(言語調査)」に気付かない、もしくは気付いても話しているうちに忘れてしまうからだろう。
また、完璧に答えたいという気持ち(大人のカバは見たことがないから答えられない)、もしくは自分の持っている知識をひけらかしたい、という思いが、質問者が本当に知りたいことや求めている答えとずれた答えにつながるのかもしれない。
な~んてつらつらと考えていたのだが、ここで前々からの疑問を皆さんにもぶつけてみたい。「大人のカバは、ただのカバなのでは?」
今、あの大学時代の先生に会えたら、結局その対訳用語集は完成したのかどうか聞いてみたいものである。カバの項目は埋まったのだろうか?
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