擦り切れたお年玉袋
祖母の認知症が進んでいる。
その事は実家で暮らす母から聞いていた。
「しょうがないって分かってるんだけどね、なんかやるせないよね。まあでもいーちゃんは、なんにも知らないふりしててくれたらいいから。」
だから毎年恒例の祖母の家での食事会に向かう車の中で、久しぶりに会う祖母がどう変わっていようと受け止めよう、そう決めて窓の外の湖を眺めていた。
祖母に会ってまず、私は笑顔で「ばあば久しぶり〜、あけましておめでとう」と明るく声をかけた。
すると、祖母もにっこりと笑って「あら、来てくれてありがとうね。おめでとうございます。」と返してくれた。
白髪が多くなり心なしか小さくなった祖母だったが、返してくれた言葉は私が小さい時と変わらない明るい調子で、少しほっとした。
だが、その後すぐ祖母は私から離れるようにリビングにいる母の元へと足早に向かって行った。
リビングからは「だからあれはいーちゃんだって。めぐちゃんはお産が近いから今日は来れないの。」と母の声がした。
一緒にご飯を食べている間も、祖母は私に「今日は良い日になったね。」と3度話しかけた。
その度に私は「そうだね、天気良いもんね。」と笑顔を向けた。
同じ話を何度もしてしまうのは高齢の人には少なくないことだし、認知症と診断を受ける前から祖母はそういったことがあったので、特に苦には感じなかった。
でも普段から祖母の面倒を見ている母が奥で小さな溜息をついているのを見て、なんだか少し胸の奥が寒くなったように感じた。
ご飯を食べ終わったあと、祖母が「あっ、そうだ。忘れちゃいかんね。」といそいそと席を立ち、お年玉袋を手に戻ってきた。
差し出されたお年玉袋には「いーいちゃん」と書かれていて、可愛らしい間違いにくすりと笑ってしまった。
しかし新品なはずのお年玉袋には、何度も書き直したような鉛筆の跡と折り目がついていた。
微かな鉛筆の跡には、姉の名前「めぐちゃん」
顔も背格好も似ている姉と間違えられるのは仕方ない。
でもやっぱり、いつも忘れられてしまうのは私の方なのだと少し悲しくなった。
でも、それでも祖母なりに頑張って私のことを思い出そうとしてくれた。
その証がこの擦り切れたお年玉袋なのだ。
今はそれだけで十分だと思った。
祖母はいつか、私のこともすっかり思い出せなくなるだろう。
姉のことも忘れてしまうかもしれない。
でも大丈夫、
熱を出した小学生の私を看病してくれたしわくちゃの手や、
ハレの日に綺麗な着物を仕立てくれたこと、
そんな孫のことを思い出そうと必死に努力してくれたことを、私はいつまでも憶えているから。
なんだか目頭が熱くなる、そんなお正月だった。