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般若心經和讃 序文(4) 和讃への思い


10.和讃とは

最後に和讃についてお話しいたします。みなさんは「和讃」という言葉をご存じですか。和讃というのは和語、大和言葉を用い、仮名まじりの平易な言葉で、七五調で曲調をつけて、仏典などを詠じたものです。臨済宗では『白隠禅師坐禅和讃』や『菩提和讃』、『観音和讃』などが有名です。他の宗派でも数多く作られており、いわゆるお経を読むように木魚に合わせてお唱えします。

また似たようなものに「御詠歌」というものがございます。この御詠歌とは仏典を五・七・五・七・七の和歌と書き記し、こちらはそれに旋律を付け、鈴などを鳴らしながら唱えると言うよりもむしろ、その名の通り朗々と詠い上げると形容できます。

どちらもその主旨は仏教の教えを大和言葉に置き換え、日本人の好む七五調のリズムである詠じ、唱えるので、漢文をそのままお唱えするよりもわかりやすい、入りやすいものとなっています。一般的には平安時代から流行したようです。

『般若心経』にも和讃があるのかをを調べてみたところ、真言宗に『般若心経和讃』というものがございました。こちらはいわゆる「御詠歌」にあたるもので、その内容は般若心経の世界観がまとめられているようです。ご詠歌の持つともて想像を遥かに超える優しさを感じさせていただけます。

11.縁起と大和の歌心

『般若心經和讃』は、般若心経の本文の内容と流れにそって、和讃として詠んだものです。

般若心経の大きな主題は「ものごとには実体は無い」という否定的なものです。そのため般若心経には、否定的な字である「無」が21回、「不」が9回、「空」が7回となり、実に本文の15%近くが否定的な文字になっております。
『般若心經和讃』では、その仏教独特の「否定の手法」をあまり用いず、ブッダの悟りの内容を表明した「縁起」に立ち、縁起的な表現で詠われます。

また『般若心經和讃』には、これまで古人の詠まれてきた古典や和歌や俳句の中から、縁起の理解やプラジュニャーの認識と受け止められる句がちりばめられております。縁起の理解や認識が決して特別なものではなく、わが国で長きに渡り、共感されてきた認識(の思考)であり、美意識であり、親近感を覚えることにつながると思います。

12.和讃編纂の背景

最後になぜ私が般若心経の和讃を編纂しようと思うに至ったか、その経緯について書き記しておきます。

実は私は住職をつとめていた頃から、法事や法要の際に、ただ読経をする儀礼に疑念をいだいておりました。なぜなら檀家のみなさんを目の前にしていると、苦痛ではないだろうか、早くお帰りになりたいのではなかろうかと、感じてしまうのです。法事が終わったあとはいつも、本堂の片付けをしながら、そんなことばかり考えておりました。
そんなある日、何気なく耳にしたのが、中村元先生(1912 - 1999)の「こころをよむ 仏典」というシリーズの「空の思想 - 般若心経・金剛般若経」でした。それは般若心経の本文に沿った簡潔でとてもわかりやすい解説で、中村元先生の口調にも引き込まれ、何度も何度も聞き返すうちに、般若心経が腑に落ちたのでした。

そして自分でも現代語訳としてまとめれば、法事の際にそれを読み、檀家様にもお経の内容に関心を持っていただけるのではないかと思ったわけです。

それから辞書に、書籍に、ネットにと、般若心経の現代語訳の作業に費やしました。何ヶ月かかけて、何度も何度も書き直し、これでどうだろうという形にできあがったので、いよいよ法事の読経の前に読み上げることにしました。幾度かこの形で法事をさせていただいたのですが、残念ながらその反応は、いずれも芳しいものではありませんでした。
親しい方々に聞いてみたところ、法事の時、多くの方はお参りに来ているのであって、何かを学びに来ている思いはないでしょうとおっしゃりました。確かに現代語訳は意味は分かりやすいのですが、経典の持つ荘厳さ、厳粛さ、美しさといったものがどうしてもかけてしまいます。そこでこれらを重ね合わせる必要があるという思いに至ったのです。

13.和讃の編纂

私は以前から、法事の時に『菩提和讃』を読経しておりました。その理由はやはりわかりやすさと、何よりも五七調のリズムの美しさです。

私は一度『菩提和讃』について調べたことがあり、それが江戸末期の月山紹圓老師(江戸後期)の作で、仏教の歴史を考えれば、そんなに遠くない時代のものだと知り、さらに親しみを覚えました。私は紹圓老師の勤めたお寺の現住職様にお手紙を差し上げたところ、紹圓老師は、当時の村の人々から仏法が薄らいでいることを懸念され、その思いで和讃を編纂するに至ったことを伺い、その当時でもそんな思いをいだかれ、行動に移されたご尽力に頭が下がる思いでした。
そんな中、同時に般若心経の勉強にも明け暮れていたのですが、友松圓諦という浄土宗の和尚様の『般若心経講話』に書かれていた言葉に出会ったのです。友松圓諦和尚(1895年 - 1973)はこのように書き記されています。

もう、いつまで漢訳の経典ばかり読んでいる時代ではなく、漢文の棒読みの時代は済んでしまったのです。パーリ語なり、梵語(サンスクリット)なり、原本のあるものはどしどしと直接に原本について、本当の意味をしっかりと自分のものにする時代が来ているのです。

『般若心経講話』友松圓諦

この一文を目にしたとき、私は大きな衝撃を受け、あらためて思ったのが "和讃" でした。これなら日本人にも理解しやすく、かつ経典らしい荘厳さ、厳粛さ、美しさも重ね合わせることができそうだ、ということで、和讃の編纂を志したのです。

約一年後、何とか和讃は完成し、檀家のみなさんとお唱えする機会に恵まれました。すると現代語訳の朗読よりも、和讃を一緒にお唱えする方が遙かに反応がよかったのです。本当に嬉しかったです。しかし、どうしてもその内容に納得しきれず、それからさらに何度も書き換えを重ねることになりました。解釈、文言、言い回し、音感に、木魚とのバランスなど、時に夢の中に文字が浮かび、メモ書きしたりもしました。

しかし、とうとうこれだというものが、住職を辞する時までに編纂できず、檀家の皆様と一緒にお唱えできなかったことは痛恨の極みでした。ただ住職を預けた弟子がこの間も、改編途中の和讃を檀家様と読誦し続けてくれたことは、何よりの救いでした。そしてこれから完成に至った『般若心經和讃』をみなさんと読経してもらえることを切に願うばかりでございます。以上が簡単な経緯でございます。

末筆になりますが、この『般若心経和讃』の編纂にあたり、底本は玄奘三蔵訳の『般若波羅密多心経』および、複数のサンスクリット原文とその邦訳や英訳を中心に、また数多くの論文や書籍を参照させていただきました。この仏縁に深く感謝いたします。ただ、私としては誠心誠意、仏祖祖師方への尊崇の念とともに試みたものであって、決して軽薄な思いで編纂したものでないことをお誓いいたします。ぜひ多くの方に最後までお読みいただき、仏教の理解と、仏道の実践の手助けに寄与することになれば幸いです。合掌

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