![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/129102836/rectangle_large_type_2_5f223622995d475e13d864b7b7dac36d.png?width=1200)
演劇における「対話」再考
知人が関わる演劇の公演が同日はしご出来たので、2作品を観てきた。
で、何かの感想を書かなければならないような気がして、ひさびさにnoteに書き込むことにした。
まぁ、つまり観劇雑記である。
二つの趣の異なる作品を観てきたのだが、どちらの作品も観終わった後に「演劇における対話の問題」について考えざるを得なかった。
それは私が書き手として言語/言葉/テキストと日々格闘しているから、どうしても問題意識がそこに集約されてしまいがちだということが理由である。
ITI演劇を通して世界を見るシリーズ
「紛争地域から生まれた演劇」15年記念
地域連携プロジェクト金沢・福山・前橋
『公文協アートキャラバン事業劇場へ行こう3』参加事業
シリア現代戯曲
母と娘の物語
ハイル・ターイハ
作:アドナーン・アルアウダ 訳:中山豊子 演出:中村ひろみ
出演:梅村綾子 中村ひろみ 演奏:大平清
シリアの現代劇作家アウルダの作品。アラブではマカーマと呼ばれる文学形態があり、散文説話文学を器楽演奏者とともに語る形式をマカーマートと呼び、それに準じた構成になっている。
例えば、禅の法話がそうであるように、マカーマートは高度な修辞や韻文によって構成されるため、その文化を共有していない人たちに理解出来るように演出するのは難しかったのだろう。
原文では娘が同席する教師に自らのルーツや母とのエピソードなど【なぜ私がここにいるか】について一晩で語るエピソードの集列の形式を採っており、時系列はエピソードごとに「飛んで」いる。
上演ではそれが時系列に並び替えられ、【大河ドラマ的】なわかりやすさを加えた構成にし、語り部がひとりであるところを、二人の演者によって語られる構成にリプロダクトしていた。
演出の中村の言葉を借りれば、元の構成は「まるでフラッシュバックのように」とりとめもないという印象だったようだが、観劇後配布された元々の構成の訳出戯曲を読んで私自身はこの構成に意味を見た。
真っ先に思い浮かんだのは、原作:マリオ・プーゾ、監督:フランシス・フォード・コッポラの『ゴッド・ファーザーpart2』だった。あの作品では、父と子の人生を対比的に描くために、二つの時空の物語の断片がランダムに描かれる構成になっている。アルアウダのテキストの構成は母(ターイハ)と娘(ハイル)のエピソードがまさに対比的に描かれていた。設定として娘が夜語りをするということになっているのだから、実際には語られているエピソードの間には語っている相手との間に何らかの交渉が挟まっていると考えることも出来るだろう。(実際、ラストは娘のパンツのゴム紐というエピソードが「語られた相手」である教師によって述べられる)
エピソードが断片的であるのもその証左だ。原作:村上春樹、監督:濱口竜介による『ドライブ・マイ・カー』で桐島れいかが演じた主人公:家福の妻・音のエピソードをすぐに想起した。
中村の演出意図は理解したうえで、わたしが感じたのは、この構成を変更したことによって、元の戯曲から何が欠落し、また何が日本社会の文化コンテクストの中で育ってきたわたしたちにわかりやすくなったのかということだ。
わたしが重視したのは「何が語られたか」ではなく「なぜ語られたか」だったからだ。テキストを見れば、語りの始まる第二場に既にそのヒントは書かれていた。娘は「私の生涯、最後の夜」といい、相手に「わたしは恋している」といい、「幼いころからしたくてたまらなかったこと」として「彼に抱きついた」、そして昔語り夜語りが始まるのだ。これは日本の話ではない。アラブ世界の話だ。イスラムの戒律の中で、ベドウィンとクルド人の血を引く娘が、パレスチナ人の教師に向かって語っているのだ。この暗喩を読み解かないと作品の正確な理解も演出も難しいだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1706429811145-D7bHN3Jbcx.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1706429811084-GtbmISc0tM.jpg?width=1200)
梅村綾子の演技を観るのは2回目だった。前回はキラリふじみの『僕の東京日記』(作:永井愛、演出:田上豊)だったから既に5年近く前だと思う。同作に出演していた大竹直、中林舞、舞台美術の濱崎賢二など人を介した縁のある俳優だ。中村は俳優として拙作4作品に出演してもらっている。翻訳劇のハードルを考えれば、なかなかに難しい作品に取り組んだのだと素直に頭の下がる思いがした。
わたしの少ない翻訳劇演出経験では、元の戯曲の持つコンテクストをどうやって日本語に訳出するかという「構造言語学」的な問いが常にあって、それを日本語のコンテクストに置きかえる【超訳】を極力排除することを旨としてきた。わかりにくさにある意味を排除し、わかりやすく翻訳することの危険性も知っている。だから、テキストに向き合い、そのコンテクストを掘り下げる取り組みをすることを重視してきたのだ。中村はこの公演の前にシリアの文化を知るためのレクチャーを開催していた。中村自身がそうした取り組みの中で、どう作品を掘り下げていったのか、興味を惹かれるのはそこである。
劇団せきあおい
/am/bell/oup.
脚本・演出:せきあおい
出演:生方保光、七五三木貴宏、羽鳥優斗
演奏:高崎経済大学モダンジャズ研究会
テキストの限界ということについてはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の結句「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」を引くまでもなく、江戸落語のように「わかんねえならだまっててくんねえか」と啖呵を切るのが粋なのだろう。
わたしにとっては、とても「懐かしい」ニオイのする作品だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1706458488164-GvjsuIzwjK.jpg?width=1200)
もちろん、【ポストトゥルース】という概念こそ使わなかったが、テキストから意味を引きはがすという試みと、その解釈を外部に委ねる(または「再生産する」)試みは、70年代アングラ演劇の残り香を引きずる新宿・渋谷の裏路地を這いずり、暗黒舞踏や路上の詩人たちと交錯する90年代前半の中央線沿線のシーンにいたわたしにとっては【土地勘】が働く領域だ。
「即興」と「即興」が舞台上でインタープレイをする様や、テキストから意味を引きはがすための【ノイズ】としての楽音の使い方など、何かタイムスリップしたような感覚に襲われた。
もちろん、実際に目の前で繰り広げられているのは私(たち)がやっていたこととは違うのだが、そうした系譜というか潮流の「その先」を探っている若い才能を見ているようで、自分の来歴を再確認させられるようでもあった。
記憶を呼び起こされることがあった。
ジョン・ケージのワークショップに参加したことがある。1989年のことだ。大学浪人中だったのに、京都まで行って参加した。
この時、幸運にもケージ本人に質問することが出来た。「私は歌詞のある音楽をつくっているが、歌詞から意味を引きはがすことは可能か?」と聞いた。ケージは「君は英語がわかるか?」と私に尋ね、私は「今、私はあなたに英語で質問している」と答えた。するとケージは「君が日本語で私に質問すれば言葉はただの音になる、しかし、それが言葉だとわかる限りにおいて意味はなくならない、それは人間が意味を求めるからだ」と言った。そして「たとえ楽音でもノイズでも演奏されたものに意味を与えるのが人間だ」とも付け加えた。
ケージが「作曲」や「演奏」という行為の解体を目論んだことはよく知られている。しかし、ケージが晩年オペラ『ユーロペラ』シリーズに取り組んでいたことは意外と知られていない。しかし、私の質問へのケージの答えから、彼がたどりついたある思考を想像することは出来そうに思う。
わたしが演劇に携わり始めたのはその数年後だ。ケージや武満がそうであったように、わたしは既存の舞台音楽の外側からアプローチすることを選んだ。その手法はある種の「断絶」と「拒否」と「暴力性」を内在させるものだった。私の前にも思想によるそうした手法を試し、完成させつつある人たちもいた。土方巽や大野一雄、麿赤児率いる大駱駝艦、山海塾らがそうだった。また、太田省吾が『水の駅」に代表される無言劇でやったこともそれだろう。
ケージが答えた私の質問は、チョムスキーら言語学者やブルデューら社会学者が解説している。私は日本語で話すだけでなく、日本語で考えている。言語にはその言語を使う人たちに共有される文化があり、生活様式がある。とくにブルデューはそれを「文化資本」というフレームワークで掘り下げ、「身体化された文化資本」としてハビトゥスという概念を提示した。この共有を構造言語学では「コンテクスト」と呼ぶ。
せきあおい本人の考えを直接聞いたわけではないから、もちろん誤解も含まれた解釈なのだろうと思う。
しかし、今日私が見た舞台では「意味を理解されること/すること」は拒絶されており、観客は「宙づりにされたテクスト」を前に互いがリーチできない状況に置かれていた。
取り組みはとても面白かったが、楽音は予定されたリズムと調性の中でコーダル/モーダルに演奏される【バークリーメソッド】に準じたものであったし、生方保光と七五三木貴宏という訓練された熟練の俳優ふたりは無意識に観客や出演者間でコンテクストをつないでいた。しかし、それはとても自然なことだとも感じた。演劇も、ジャズも、他者へリーチする手段として育まれていた文化であり、それが身体化された者によって表出されるからだ。
同じ週に東京芸術劇場でペペぺの会『「またまた」やって生まれる「たまたま」』のゲネプロを拝見していた。
私はこの作品にインタビュイーとして関わらせていただいたご縁で招いていただいたのだが、まさに宮澤大和が意図していたのも「テクストを個人から引きはがす」目論見だったのだ。
せきあおいとの決定的な違いは、宮澤はテキストの意味を引きはがすために他者へリーチする。リーチした相手の言葉を俳優が話す際、その言葉とは無関係のストーリーの中に要素として(あるいは存在する「音」として)組み込まれる。生成の過程はせきあおいも同様にワークショップから文字起こしをしているようだが、それを「拒絶」するために使うか、「リーチ」するために使うかによって劇構造が、ブルデューの表現を借りるなら、「構造化された」ものか「構造化する」ものかという差異を生んでいるのだと思い至った。
せきあおいが表現を続ける限り、いづれ社会との接点を意識せざるを得なくなる。そのとき、閉じたサークルで共有されるコンテクストを再生産するだけでなく、他者へのリーチについて考える時も来るのだと思う。その時、「表出」からどんな「表現」に至るのか、今はみてみたいと思っている。(了)