見出し画像

演劇/微熱少年vol.3『「小医癒病」中医癒人大医癒世』をめぐって④

記憶と再生

ひとは 家をたてて その中にすむ。「ここが家だ」構成・文 アーサー・ビナード より

忘れられない出会いがある。

その人との出会いは1992年6月6日だ。明確にに日付まで記憶している。土曜日の夜、池袋の裏通りの方にある古いビルの会議室だった。

都市社会学の研究者である渡戸一郎先生が世話人をつとめる勉強会に参加させていただいた。「外国人」つまり異なる言語や文化背景を持ち、国籍の異なる人たちとの社会共生について考えるというテーマだった。

豊島区で外国人留学生を受け入れ、国際交流を図っていこうとする女性団体が主宰だったような記憶がある。渡戸氏の講義は都市社会学の概説2単位を取得しただけで特に縁が深かったわけではなかったが、キャンパスで顔を合わせ挨拶すると何かと気にかけてくれて話題を振ってくれるというような関係だった。I君という同級生が一緒にいることが多くて、こちらが後に研究者になるのでおそらく彼に興味があったのだと思う。その会も、そんなすれ違いざまの雑談から参加したのだと思う。

さて、その日もI君とともに参加した。それも明確に覚えている。

30人ほどの参加者で、学生は渡戸氏のゼミの学生数名とワタシとI君、そこにゲストとして豊島区に住んでいる「外国人」留学生が2名いた。一人は、韓国から来た李さん。軍役を終えてから延世大学で学び、結婚してから日本に留学したという方。もう一人が、アメリカミシガン州出身で、早稲田大学の大学院で「古今和歌集」の研究をしていると自己紹介した方、アーサー・ビナード。

アーサー・ビナード

勉強会が終わってから、渡戸氏が学生とゲストを飲みに誘ってくれた。李さんとは、互いの歴史認識に関わる学校教育の話や豊臣秀吉と安重根の評価の違い、そして徴兵制の話題から「韓国は未だに戦争中の国なのです」という自分の【知っていながら知らない】を突き付けられる話。アーサーさんとは日本の「謡(うたい)」のリズム感や日本社会の支配構造を読み解くための『カムイ伝』の話などを交した。

『カムイ伝』第一部より

その時の話題で特に印象的だったのは、李さんもアーサーさんも、日本が憲法で「戦争をしない」「そのための軍隊も持たない」と規定していることを〈知らなかった〉(あるいは私同様【知っていながら知らない】だったかもしれない)ことだ。

アーサーさんは言った。日本が2度の原子爆弾の被害を受けて、戦争を反省し、もう世界に迷惑をかけてはいけないと誓ったのだよね、と。

まぁ、そうなんだけど、ひとつだけ違うよ。確か、そんな感じのことを言った。

私が言ったのは、日本が核爆弾の被害を受けたのは2回ではなく、3回だということだ。彼は本気でビックリしていた。広島と長崎に原子爆弾を落として、多くのアメリカ人の命が救われた。そう、教えられてきたのだ。既に彼からはアメリカの進歩的リベラルの雰囲気は伝わってきていたので(なんせカール・マルクスを読んだことがあると言っていた)、特に警戒はしなかったが、さすがに驚いて「嘘はダメですよ」とまで言っていた。

第五福竜丸

参考:都立第五福竜丸展示館 http://d5f.org/

1954年3月1日、第五福竜丸など600隻を超える日本漁船がアメリカの水爆実験に巻き込まれ被爆した事実を彼は知らなかったのだ。彼はそれに非常に強い興味を示した。アメリカ人のほとんどは知らないはずだという。いや、もしかしたら日本人だってちゃんと知っている人は少数なのかもしれない。だけど、アメリカ人にだってそれを深刻に受け止めルポルタージュ絵画にした人がいるんだよ、と教えたのは間違いなく私だった。

それがベン・シャーンだ。リトアニア出身のユダヤ人でアメリカで活躍した社会派リアリズムの画家として知られる人だ。労働者や失業者に寄り添い、労働運動にかかわるポスター制作なども行った人物として知られている。その数年前に新宿の伊勢丹美術館で展覧会があり、出掛けて図録を買って帰った。その中に連作「Lucky Dragon」があった。第五福竜丸とその無線長だった久保山愛吉の死を描いた作品で、私はその圧倒的な怒りの迫力で絵の前から動けないという体験をしていた。

ベン・シャーン

アーサーさんは驚いていた。第五福竜丸の件もそうっだのだろうが、もっと驚いていたのは「ベン・シャーン」の名前が出た事だったらしい。
「僕の家にベン・シャーンの画集がありましたよ!」
彼は満腔の驚きをこめてそう言った。

その後、少し日本国憲法の話をしたんじゃなかっただろうか?本当に戦争の放棄は可能なのかとか、そんな話だった気がする。22時くらいにお開きになって、もう一軒どう?みたいな話も出た。でも、私とI君はそれを断って一緒に地下鉄で国会議事堂に向かったのだ。その日は、PKO協力法の参議院での審議が佳境を迎え、野党は「朝まで徹底抗戦」を宣言し、本会議通過を阻止しようとしていた。私とI君は国会前のデモに加わり、そのまま朝まで過ごした。

1992年6月11日未明 PKO特別委員会が突然打ち切られ、修正法案の可決が決定的になった。

その後、アーサーさんとは何度か手紙のやり取りがあり、私がやっていたバンドのライブにも来てくれたりした。彼が「絵手紙」に興味をもって展覧会を催したのを大森だったか蒲田だったかまで観に行ったこともある。年賀状のやり取りを何度かしているうちに没交渉になってなってしまったが、ある日新聞に中原中也賞を受賞した外国人詩人として彼の記事が載っていて、とても驚いたものだ。

「釣りあげては」アーサー・ビナード
中原中也賞受賞作品

私が東京を引き払い、沼田に戻って結婚し、仕事を辞めて独立開業し太田に引っ越して…と、アーサーさんとの出会いからざっと20年経過した。彼は安保法制や改憲に強く反対する人たちのオピニオンリーダーの一人になっていた。近くのホールに講演会のため来訪するというので片道15キロくらいをロードバイクに乗って聴きに行った。リップサービスかもしれないが、東毛酪農の牛乳を取り寄せて飲んでいると話していた。ああ、アーサーさん、その搾乳地は俺の実家のある土地なんだよ。彼はあの夜の事を覚えているだろうか?

東毛酪農 低温殺菌牛乳63℃

また何年か経過し、東松山の丸木美術館に「原爆の図」を観に行った。平日なのにたくさん人が集まっていて、何かイベントがあるようだった。まったくの偶然だったのだが、その日は「原爆の図」をもとにした紙芝居の完成披露があるということだった。「ちっちゃい こえ」と題されたその紙芝居を作ったのは、アーサー・ビナードだという。とても驚いた。あまりの人の多さに紙芝居の上演会場には入れなかったが紙芝居を購入して帰ろうとした時、会場に入るために歩いて来た作者とすれ違った。一瞬だけど彼は驚いたような顔で私を見て、お互い目があって笑顔で会釈した。彼は多くの観衆の待つ会場へ吸い込まれていった。

丸木美術館で紙芝居「ちっちゃい こえ」を上演するアーサー・ビナード

『「小医癒病」中医癒人大医癒世』の上演を決め宣伝用のアートワークを考えていたとき、たまたま彼のラジオを聴いていた。相手を務める文化放送の水谷加奈アナはえのきどいちろうさんや伊東四朗さんとの番組も好きだった「好きなラジオパーソナリティ」の一人だ。

そう言えばベン・シャーンの話を彼としたな、と不意に思い出した。我が家の書架に何冊かある彼の著作に『ここが家だ』という絵本があり、ベン・シャーンの第五福竜丸の連作を構成したもので、一番上の娘が繰り返し読んでいた。

「ここが家だ」絵 ベン・シャーン 構成・文 アーサー・ビナード

近くにあったA4サイズのコピー用紙に何気なくボールペンでスケッチをした。

筆者がボールペンで書いた原画


ベン・シャーンによる素描

記憶のどこかにあるアーサーさんの貌を描いてみたつもりだった。見た事のある構図だった。その絵を写真に撮り、画像検索をかけてみた。するとヒットしたのは、ベン・シャーンの素描だった。ビックリするくらい同じに描いていた。私は絵画の専門的な教育を受けたわけでもないので、模写としてもこんなに同じに描けるはずがないくらい同じだった。何かがつながったのだろう。DNAの螺旋構造を内包した人物に、登場する7人の研修医を象徴するように七輪の花を持たせた。そして、これからどんな医師になっていくかを想起させようと白衣やスクラブを背景パースに配置した。「小医くん」と久保田雅彦が呼んだ。なるほど、これからいろんな色に染まっていく何者でもない医師の卵やヒヨコをそう呼ぶのもいいな、そんな風に思いながらフライヤーのデザインを完成させた。

完成したフライヤーデザイン

演劇/微熱少年vol.3「小医癒病」中医癒人大医癒世


しょういはやまいをいやす、ちゅういはひとをいやす、だいいはよをいやす

作・演出 加藤真史
2022年10月22・23日(4ステージ)

太田市学習文化センター視聴覚ホール

2006年6月、沼田中央病院では7名の研修医たちが日々切磋琢磨している。1年目研修医はそれぞれの技術習得に夢中、2年目研修医はそろそろ研修終了後の進路も気になり始めている。ある日、診療参加型医療実習「クリニカルクラークシップ」に参加するため医学生がやってくる。医療者にとっては日常になってしまっていることが医学生にはまだ珍しい。そんな素朴な疑問や驚きが池に投げられた小石が起こす斑紋のように研修医たちの間に静かな波を起こす。
「生きる」とは何か?「死」とは何か?答えの出ない問いに挑む研修医たちとそれを取り巻く医療人の群像劇。

【出演】
新井聖二 成澤陽子 入内島優奈 村山朋果 赤井那帆 武藤真大 木田恭平 佐藤壮成 山﨑香 川原崎晴紀 東雲楽 栗原一美 みずだけ豆太 加藤亮佑 酒巻誉洋 久保田雅彦 滝川いくた 根岸佐千子 荒井正人 中村ひろみ

【美術】濱崎賢二(六尺堂・青年団)
【照明】深町友基(TM Light Company)
【テーマソング】入内島詩織
【医事監修】鈴木諭(利根中央病院 総合診療科科長)
【映像記録】岡安賢一(岡安映像デザイン)
【チケット情報】
 一般    3,000円
 U-22・学生 1,000円
 ※「困った割」身体の不自由な方・経済的に困難な状況にある方は無料でご観劇頂けます。お問い合わせください。
☆好評販売中!
・カンフェティ
 セブンイレブンで紙チケットを発券、電話予約が使えます。
 https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=67596&
 お電話予約: 0120-240-540*通話料無料
(受付時間 平日10:00~18:00※オペレーター対応)
・Peatix
 オンラインチケットレス予約が出来ます。
 https://engekibinetsu.peatix.com/
【その他注意事項】
未就学児童はご入場いただけません。
マスク着用など新型コロナウイルス感染対策にご協力ください。
【協力】
劇団ブナの木 a/r/t/s Lab 松竹エンタテインメント 邑楽町民劇団 すたりあ倶楽部 フォセット・コンシェルジュ 演劇プロデュースとろんぷ・るいゆ Ota Art Garden 新日本演劇 ぐんま演劇商店街(順不同)
【後援】
群馬県 群馬県教育委員会 群馬県教育文化事業団 太田市 太田市教育委員会 エフエム太郎
【助成】
文化庁ARTS for the future! 2 文化芸術振興費補助金(コロナからの文化芸術活動の再興支援事業)
【制作】演劇/微熱少年 加藤総合研究所 【制作補】新井由美 武井道子 嶋村友希
【主催】演劇/微熱少年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?