Mr.daydreamer #6「kunst」(90分)を観た。(10月30日19時の回観劇)
10月30日、19時から箱崎の住宅街の一角(シアターカフェふるーれさんの近く)にある昔ながらの町家「ハコ町家」にてMr.day dreamer #6「kunst」を観てきました。
この作品の主なあらすじとしては(チラシに書いてあったもの参照)
3体の彫刻 → 「表現する者」という役割
なお彫刻の創作者はすでに他界しており、三体の彫刻を見る人は「観測者」という役割で、創作者の「記憶」に起因する様々な事象が起こる
表現する者は自分たちの意思で引き起こしている。
共通する記憶と各々の意思は一つの結末に至る。
という非常に謎の深い物語であり、ミステリアスだった印象が大きい。
音が表現する、俳優の距離感と電話のベルが示す謎が独創的な雰囲気を醸し出していた。
子供のころにやっていた遊びや記憶がよみがえるような淡く切ないエピソードがしっかりと伝わり身に染みる物語だった。
「生きるも死ぬも観測者次第」「かんしゃいじょうの感謝を押し付けてはならない」などものすごく決まりごとが多いそんな気がした。
「かごめ―かごめー」で彫刻の3人が囲んで動き回るシーンで「一般人」の感じる恐怖心が身に染みた。
終始、謎に包まれた空間と存在意義、生と死、一人一人に設けられた壁、距離感がなんともいえなかった。
過去に対する恐怖と葛藤、芸術家がもたらした過去の出来事を思い出して恐れている。「一般人」の少しオーバーな芝居が屈辱的だった。
時間という概念を忘却する過ちを犯しながら進んでいくということと人生を生きる上で時間との闘いなのかもしれないそう感じたお芝居。
自分の生活を捨ててまで作品のために生命をかけてきたんだと思うとゾッとするし、尊い存在。
すべてにおいて手遅れだったという後悔が生んだ憎しみや悲しみ、電話のベルがアラームのようにもとらえられる面白さを発見した。
作品の時間軸としては夜から朝にかけてなのかなと気が付いた。
俳優のスローモーションと音照が相まっていてすごく幻想的だった。
俳優の身体と真剣に向きあっていた印象が強い
Mr.day dreamer #6「kunst」
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