2019.5月27日 神田松之丞 二ツ目時代

はじめに


とにかく遊び場所がない、行くところがない、息抜きがない。

することといったら仕事ばかりのディストピア。

手帳を見ると、一番最近生で演芸を見たのは、3月27日。すでにこの時点でも、もしかするとこの会も開催できないのではないか、と不安を抱えていたことを覚えている。

会もないので、会の感想を書くことも出来ない、イライラ。

というわけで、書きかけのまま放置していた感想に手を加えてまとめてみた。今回は2019年5月27日に国立演芸場で行われた「神田松之丞 二ツ目時代」の感想。


神田松麻呂「寛永宮本武蔵伝 竹ノ内加賀之介」


→講談のなかでも連続物だけにあるような面白さがあって、それはどんな風にこの物語が展開していくのかというハラハラドキドキ感だったり、あとラノベを読んでいるような「えっこれ20巻も出てるの」っていう、その世界の中に長い時間浸っていられる感じ。

 それに前座さんの場合は、ついにこの読み物をここまで覚えたのかという成長を見る楽しみもある。特に入門した時から知っているし、初めての高座も見ている人っていうのは、やっぱりあの時のことも覚えてるし、なんか共にここまで成長したなって思える面白さがある。そんな人が一話ずつ、一話ずつ、連続物を自らの手に入れていく姿が本当に楽しみで、なんかそれだけで満足って感じもある。

 んで、この「竹ノ内加賀之介」のような滑稽味のあるバカバカしい読み物が、実に松麻呂さんに合っている。私のような怠惰な人間であっても、こんな風に一生懸命に成長していく姿を見続けたいなぁと思ったり、私もそれに似合うような人間にならなくちゃなと猫背の背筋が伸びる思いだ。


神田松之丞「谷風の情け相撲」


→私のなかでは色んなネタを、大・中・小に分けている。


大・・・時間は25分以上。独演会のトリなんかで出来るネタ
中・・・時間は15~25分くらい。まくらを長めにしたり描写をみっちりにすることで軽めのトリでも出来るネタ。
小・・・時間は5~15分以下。編集次第で5分くらいの短さにも出来るし通常でも15分くらいのネタ。

で、この大きなネタと小さなネタの話。だいたい大きな読み物はネタ出しの会で出会える。つまりこの人のこのネタが面白い、またはこの人がこのネタをやるなんて、と思わせるようなやつ。けど小さなネタっていうのはどこで出会うかわからない。だいたい三席やる独演会の一席目、あとは寄席に十日間出るときの一席とか、とにかくこの人のこれっていう代表的なやつじゃないことが多い。


それで松之丞さんが頻繁にかける小~中のネタの一つが、この「谷風の情け相撲」である。このネタ、案外私は出会わない。寄席であれば10日間で異なるネタをかけ、大きな会であればわざわざ「谷風」を一席やる必要がないこともあるからだ。こういうネタとの出会いも一期一会。このネタで私の好きなとこは、最後の部分で言う「おらが国さで見せたいものは、昔谷風いま伊達模様」の部分。あそこがめっさ気持ちいい、耳心地がいいのだ。あの部分が聴きたい、あのセリフをもう一度、と思ってしまう好きなネタ。


神田松之丞 小幡小平次


→この日は照明を暗くして怪談話。だいたいの場合怪談話は、大きなネタ。たっぷり、どっぷり、暗い世界に身を浸す感じ。夏になると頻繁に出会う怪談、どこかヌメヌメっとした空気が感じられる。

この日の二席目が始まったのが20時近く、一日の終わりに近い時間に見る怪談話の暗さは、眠りとの戦いだったりする。会場を暗くすることのメリットは、互いの集中力を高めることだろう。けれどデメリットとしてはお客さんは眠くなる。そこそこ疲れている一日の終わり近く、ほどほどの空調と心地よい椅子の柔らかさ、そして徐々に暗くなっていく会場。これはなかなかの眠りのための好条件が整っているのだ。


この日は私の体調がよかったのか、それとも眠りに誘われるよりも強い力が講談にあったのか、非常に集中力高く楽しめた。演者の体調、私の体調、周囲の環境、様々な要因によって充実度が大きく変わってしまうのも生の楽しさ。


神田松之丞 万両婿

→最近の野球なんかを見ていると、複数の守備位置を守れる「ユーティリティープレイヤー」の重要性が増している。当然だが一つの守備位置を守ることが出来ても、同じ守備位置に強力なライバルがいれば出場機会は限られてしまう。けど複数の守備位置を守れれば、他の守備位置のライバルの能力に勝る部分があれば出場機会は大幅に増える。また強力なライバルの休養日には、そのリザーブとして高いパフォーマンスを発揮することも可能だ。当然チーム内にこうしたユーティリティープレイヤーがいることによって、チーム全体のレベルもアップする。


 松之丞さんの持ってる色んなネタのなかで、この「万両婿」は小・中・大の全てを守れるネタだと思う。繰り返しになるが、さっき挙げた「谷風の情け相撲」は小~中の読み物に分類される。演者によって、また持ち時間によって小の場合もあればやや長めの中の読み物として編集できるネタ。


 んでこの「万両婿」の場合は、小~大までユーティリティープレイヤーな読み物になる可能性があるような気がした。今回のようにみっちりとやった場合はトリネタとして大、また編集次第では寄席でもかけられる小の読み物にも応用可能であろう。両方になることができるのならば、当然中としても使えることになる。

 編集がうまい人は講談がうまい、いやきっとどの世界でも活躍することが出来るのであろう。才能のある人はどんどんと成長していき、才能のない人はずるずると海の底を彷徨っている。私は後者だな。


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