思弁逃避行 07.並でよかった

【07.並でよかった】

 ラーメン屋に行く。

 大体のラーメン屋は小盛、並盛り、大盛りとサイズを選べるようになっている。さらにそこから特盛り、店によってはギガ盛りだなんて破格のサイズを用意しているところもある。つまりどのラーメン屋も基本的にお腹いっぱいになれるようにしてくれているのだ。また、私がラーメン屋に行く時はあらかたお腹がすいて仕方がない時だ。しかも私は男の子だ。お腹いっぱいに食べたいに決まっている。なので、私は大盛りを注文する。他でもない、お腹いっぱいになるためである。

 そしてラーメンが届く。

 大体のラーメンは美味い。なのでどんどん食べる。この時の幸せは何事にも形容しがたい。私は中太のちぢれ麺が好きだ。スープによく絡んでくれる。具では海苔が一番好きだ。スープに浸ってでろでろになった海苔で麺を包んで頬張るのだ。海苔のトッピングを増やしただけで百円も取るところもあるが、それでも増やしてしまうくらいにはラーメンに浸った海苔を愛している。チャーシューも店ごとに全然違うアプローチを見せてくれるので、初めていく店では毎回楽しみだ。そしてそんな至福の時間も過ぎ、やがて器から具がなくなり、残るは麺とスープのみとなったあたりで気づく。

 ちょっと多いな。

 ちょっと多いのだ。なぜなのか。自分はお腹いっぱいになりたかったのではないのか。いや、お腹いっぱいになりたいという願望はしっかりと叶えられている。ただ問題は叶うのがちょっと早すぎた。店に入るときはラーメンならば二、三杯いけるくらいの気持ちであった。餃子ならばざっと百個はいけるくらいの気持ちであった。だというのになぜこんな半ばでお腹いっぱいになっているのか。自分は今までの人生でいったい何度の食事をしてきたのか。その回数を通してさえも自分にとっての適量を未だ理解できていないのか。情けなくなる。

 ラーメンを啜る。美味い。美味いのだ。その美味さが悲しい。欲張った自分が恥ずかしい。この後悔の中でもラーメンの美味さは揺らぐことなく器の中で圧倒的に存在し続けている。それが悲しさをより一層際立たせる。

 そんなことをラーメン屋に行くたびに繰り返している気がする。なぜ学習できないのか。思えば私の今までの失敗はすべてこういったことの延長にある気がしてならない。ラーメン屋で並を選ぶことができるようになったのなら、全てうまくいくのだろうか。いや、そんなわけないか。ということでまた私は券売機の前で少し悩み、「大盛り」を押すのだろう。

こちらから投げ銭が可能です。どうぞよしなに。