コロナのことを考え続けて見つけた、自分なりの答えと希望
ここ最近、ずっと頭の中では、コロナによってあらゆることが制限されている今の状況で、何ができるのか。どうしたらいいのか。
そればっかりでした。
なにかワクワクするアイディアが浮かんでも、実行できない。
新しい挑戦にも、チャレンジできない。
無意識にストレスは溜まる。
こういう時こそとりあえず睡眠だ!!!
と、必殺技の昼寝を連発しても、夜に多めに寝ても、夜中に目が覚めて考えてしまう。
意外と自分って真面目なんだなーと思いました。笑
そんな日々を過ごしてきて、ほんの少しだけ自分の中で整理できたので、書きます。
いくつかの考え事のうちの一つが
「どうやったらこの状況でポジティブな発信ができるのだろう」です。
みんながストレスを抱えてしんどい中で、自分は何ができるのだろう、と。
そして、コロナ後の社会はどう変わっていくのだろう、と考えていました。
それでまず思ったのが、年単位の「長期化」と「共存」を受け入れるしかない、ということでした。
仮に落ち着いても、ゼロになる可能性は低い。
ワクチンができると言われる2022年頃までは、以前のように大人数で集まってクラスターを起こしてしまったら、誰かが重篤化するかもしれない。
年単位で長期的に、自粛せざるを得なくなってくる。
すると、ほぼ間違いなく多くの人の「収入」が減るはずです。
給料が減ってしまう。
代わりに「自分の時間」が増えます。
できることは限られているけれど、
今までの「必死に働いて贅沢する」ができなくなって「低い収入でのんびりする」に変わっていくのではないか。
との仮説を立てました。
もちろん、生きるために最低限必要なベーシックインカム的な補助は必須です。
それと、コロナ騒ぎの前から、時々考えていたことがあったんです。
「幸せ」ってなんだろう。
いや、やばいやつじゃないですよ?笑
文字にするとやばいけど、みんな絶対一度は考えるじゃないですか。
満員電車とか、受験勉強とか。これって本当に幸せなのかな、みたいな。
それの少しこじらせたバージョンです。少しね。
都会に行くたびに、みんな働きすぎじゃないかな、と思ってました。
たくさん働いて、たくさん稼いで水準の高い生活をする。
それって本当に幸せなのかな?と。
好きな仕事ならいいと思います。
やってて楽しいなら、もちろんそれでいい。でも、そうじゃない時は、どうなんだろう。
もちろん0か100かじゃなくて、実際にはやりたいとか楽しいとか大変とかのグラデーションだと思いますが。
そんな素朴な疑問を、こじらせながら考えていたんです。
世界全体が「より便利に」「より豊かに」をめざして、そのどこかで
「個人の何か」
を犠牲にして、張り詰めて進んできた経済や社会があって。
みんな、本当は気付いてるけど、戻り方がわからない。
いま、やっと緩やかになる時なんじゃないかと思いはじめました。
ずっと無理やり進んできた経済成長が少し止まって、その分の時間が個人の幸せになっていく。
逆に、このくらいのことがないと、世界は変われなかった気がします。
環境も個人も犠牲にして、なんのためか分からないままみんなで無理をする。
それが少しでも変わるきっかけになるんじゃないかと、期待しています。
「そうなればいい」という希望を込めて、僕は今の状況をそう捉えました。
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