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学校で真面目に取り組んでよかったことと学歴のよしあし

中学生くらいから大学生で覚えている範囲で、今大人としての人生で一番役に立っているなと思うことは、①講義のノートを取る、②2週間前から勉強の計画を立てることの2点だと思っています。  

①のノートを取ることは、色々な国で働いていて、英語を流ちょうに喋れる人より、整然とした議事録や記録を取れる人が圧倒的に少ない印象です。
大学生の頃教官だった教授が、板書に加えて先生が喋った事をとにかくひたすらノートに書くようにと言っていたので、とりあえず言う事を聞いてとにかくひたすら書き続けていたので、人の話を聞くときにノートに何が言いたいのか咀嚼しながら聞く癖がついたなと思います。それは、この会議の目的は何か、今は何をするべき時かというのを意識しながら参加するための良い筋トレになったかと思います。手を動かした方が記憶が定着する、という話もありますし。
昔アメトーークで、ロザンの宇治原さんのノートの取り方を観察するという回があって、彼は軽く板書を捉えてあとは話者の全体の流れを徹底的に捉えようとしていて、直後のテストでほぼ満点を取っていました。京大少年を読んだ時に子供の頃からそういう習慣を徹底的につけていたと読んでいて、入ってくる情報を的確に把握する能力を習慣れべるで鍛えてるんだなと感心しました。 

②勉強の計画を立てる、というのは中間テストと期末テストが始まった中学生からやっていた気がするのですが、大人というか社会人はそれを1か月単位、1年単位、5年単位で俯瞰して、PDCAを回しながら生きていく必要があり、それを中学高校大学で徹底的に練習していたのだなと、今なら思います。大学生になると生活費を稼ぐためにアルバイトをし始めて、テスト前だから休むわけにもいかない、という感じに徐々に難易度を上げて大人になるための準備をしているのだと思います。  

今の仕事で貧困削減関係の勉強や事例研究をやっているのですが、何かを記録すること、計画を立てて物事を進める(特に貯金など)能力が、学歴によって如実に差がでています。それは数学ができるとか英語ができるとかお勉強の知識とかではなく、大人の生活力に跳ね返ってくるという事なんだと思います。 

ただ、某途上国で調査した時に、産業がほぼ農業ばかりの国の地方都市で親が子供に、教育は重要だからと大学の経済学部/工学部/経営学部にやたらと行かせたがるという話を聞きました。その国の商工会や労働系の政府職員は、産業界のニーズはそこじゃなくて、旋盤が扱える・溶接ができる・車の修理ができる、簡単な事務仕事ができる人なのに…と頭を抱えていました。学歴が高いから、プライドが高くブルーカラーの仕事はしたくないと、地域として需要と供給のミスマッチが発生して、仕事はあるのに高学歴の失業率が高いという状況だそうです。半ば冗談で農業と食品加工が就業人口の大半を占める地方の中堅都市で、年間150人も手に職のないエコノミストとITエンジニアを輩出してどうする気だと。 

その他にも学校で習った、寝る前に明日の準備をするなど当たり前のことが大人になってさぼりがちになっているので身を引き締めようと思います… 


 


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