連載第12話 混沌の街カトマンズと宇宙的な山エベレスト
飛行機で降り立った街、カトマンズは、混沌とした街だった。
彫りの深いアーリア系、日焼けした日本人のようなモンゴル系、ティッカと呼ばれる真っ赤な色粉を額につけた老人、サリーの女性、ボロボロのTシャツの男、路上で売られているアンモナイトの化石、奇妙な形の神々の石像と古い僧院、その周りを走りまわるサル、道端に寝そべる牛。
私にとっては、まさに「異世界」だった。
人間と、神と、動物が、低緯度の強い太陽に照らされ、密度の濃い空気感の中で、うずめくように生きていた。
メイン通りには、チベット仏教の法具の店、ヒンズーのアクセサリーの店、鍋やザルがぶら下がる日用品の店、シャツに刺繍を縫い付けている店、中古の登山道具を売る店などが、軒を連ねる。小ぎれいなシャツを着て日焼けをしていない私たちは、日本人とすぐにわかるのだろう。
「トモダチ」
「チョット、ミルダケ」
と次々と声をかけられる。
野口健が、聞いてくる
「発展途上国に来るのは、はじめてだよな?」
私は、はじめてだった。
ヒマラヤに行くということで、出国前は白い山のことしか頭になかった。こんな雑多な町から旅がはじまるとは……。
チベット絨毯が、壁が見えないほどにぶら下がった店があった。
「リョウガイ、リョウガイ」
その言葉に宮上が、
「大石君、ついてきなよ」
という。絨毯の向こう側に行くと、宮上が、
「いくら?」
と尋ねる。
「1万円、5000ルピー」
「高い、高い。7000ルピー」
やっと理解した。
「リョウガイ」=「日本円からルピーの換金」がここで行われていたのだ。どういうわけか、銀行よりもレートが良い。
数分のやり取りの後に、宮下が結局6000ルピーに変えて店をでた。
そのお金でエベレストに必要な備品をさまざまな店で買った。
「リョウガイ」だけでなく、あらゆる店で宮上は価格交渉をした。
半額以下の値段になることも少なくなかった。
「大石君、こういうのはカトマンズでは当たり前なんだよ!」
野口とエベレストに登るシェルパも続々と集結してきた。
その一人のガラテンバという男を野口は紹介してくれた。
他の精悍な顔のシェルパとは違い、丸顔でのんびりとした30歳くらいの男だった。
「ガラテンバと大石は、俺がエベレストに登っている間、メラピークに登ってこい」
と野口は言った。私が標高6476mのそのピークに登る計画をシェルパ仲間を通じ、野口は手配してくれていた。
紹介されたガラテンバは、
「とは言っても私は登山ガイドではなく、キャンプで料理を作るコック。山頂までは登らないよ。山頂までは私の友人が行ってくれるから」
と静かに言った。
ガラテンバに連れられカトマンズを歩いた。路地の奥には、古い寺院に囲まれた広場がいくつもあり、そこにはどこもヒンズーの神々の石像が祭られていた。
勇ましく槍をかざした金色の神、顔が象の神、カラフルな原色で塗られた手が4本ある神。寺院の柱には、性交中の男と女が刻まれているところもあった。そして、手の届くところにある石像のほとんどは、道行く人々により、赤いティッカが塗られていた。私が思う以上に神聖な粉なのだろう。
そんな神々の近くにいると、
「葉っぱ。葉っぱ」
と男が言いながらマリファナを売りに近づいてくる。
かと思えば、その次の道角では、髪の長いサドゥー(修行僧)が、胡坐を組んで瞑想をしていた。
同じ古都でも、京都や奈良にある「わび」「さび」など微塵も感じられない。本当のカオスだった。
「チベット仏教の寺も見に行こう」
そうガラテンバに言われ、バイクのタクシーに乗り込み、町の中心地から離れた。
タクシーを降りると岡の上にある寺院を目指し、数百段の石段を登った。何十匹ものサルが、周りの木々に登っている。
頂上につくと、そこには白いドーム状の寺院があった。ドームの上にはさらに「ブッダアイ」という「神の眼」がデザインされた黄金の仏塔が高くそびえ、そこから四方八方へ5色の鮮やかなタルチョが、長く伸び、風に揺られていた。
東京のシェアハウスの庭にあったタルチョ。あれはこんな壮大な使われ方をするものだったのだ。
「カトマンズはヒンズー教が多いけれど、ヒマラヤに入れば、このチベット仏教だけだよ」
とガラテンバは言った。
一週間後、私たちはカトマンズを離れ、小型飛行場でヒマラヤの玄関口のルクラ村に向かった。そこからゆっくりと高度順化をしながら北上し、一週間をかけてエベレストベースキャンプ(5300m)を目指す。
ガラテンバとはいったんそこで別れた。しかし、私は、エベレストベースキャンプから踵を返して、再びこのルクラ村にもどり、彼と共にルクラ村の東方にあるメラピークへ向かうのだ。
「ベースキャンプの手前にあるカラパタールまで登れれば、高度順化は完璧だ。気を付けて」
とガラテンバは言い、私を見送ってくれた。
エベレストベースキャンプ方面に二日歩くと、そこはもう富士山と同高度のナムチェバザーという村だった。そこから先は、目の前に6000mを越える峰々が次々と現れた。
野口が山の名前を教えてくれた。
コンデリ、アマダブラム、タウチェ、チョラツェ、ロブチェ、ヌプツェ……。
1000mを越える氷壁が強い紫外線を受け、眩しく輝いている。
さらに上を見上げれば、とんがった山頂が黒々とした空に向かって伸びていた。
日本の「山」という概念を覆す、圧倒的な世界だった。
しかし驚くべきことは、その異質な光景の下に、のどかなシェルパの村々があることだった。
村のまわりには畑が広がり、ゆっくりと牛が移動し、子供たちがふざけながら走る風景があった。
村の入り口には、チベット仏教のマントラが刻まれた石があり、マニ車と呼ばれる円筒状の仏具が回っている。
家の前にはチベット仏教の御経を読む老人たちが座り、かまどの煙と、ダルバートと呼ばれる豆カレーの香りが、家の奥から漂ってくる。
宿に入ると、日本人に似たシェルパ族の人々はみな優しく、宮上が値切り交渉をすることはもうなくなっていた。
標高5100mの最後の村では、エベレストのルート工作を先行して行っていたクリシュナ・タマンと会った。
「氷の状態が今年は悪すぎる。もうかなり消耗した。一旦休憩するために、この村まで降りて来たんだ」
引き締まったアスリート体系の彼が言うだけに困難さが想像された。
翌日、ベースキャンプの手間にあるカラパタール(5545m)の山を登った。野口と宮上は余裕そうだ。だが、私は高山病によるひどい頭痛に、一歩、一歩、苦しみながら登ることになった。ペースが合わず、ふたりに申し訳ない。
「頑張れ! バテテからから強いのが、強さなんだ。」
と、野口が不思議な励まし方をしてくる。
時間が刻々と過ぎ、太陽は西の山の稜線に落ちていった。
それでも完全に夜になる前に、なんとか頂上に着いた。向こう側には、巨大な三角形の岩山が聳えていた。
それが、初めて見る世界最高峰・エベレストだった。
すでに他の山々は闇に黒く沈んでいた。
だが一段と高いエベレストだけは、残照を受けて赤く染まり、その巨体を誇示していた。
地平線の向こう側に落ち、見られなくなった太陽。それをエベレストだけが、まだ眺めているのだ。
あまりに壮大で、宇宙的とも言えるスケールの光景だった。
「地球最高峰」
そんな言葉が、高山病で朦朧とした頭に浮かんだ。
隣にいた野口が唐突に、力強く呟いた。
「今年こそは、登る」
あのてっぺんから見る風景はどんなものなのだろうか? 登ってほしいと切に思った。
そして、この巨大なエベレストに比べれば、私は6476mのメラピークぐらい簡単に登れるのでは。その時は、そう思っていた。