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えちご・くびき野60kmマラソン(2022/10/9)

正式名称は「第14回えちご・くびき野100㎞マラソン、60㎞の部」である。
新潟県上越市で隔年に開催される、100㎞の部と60㎞の部があるウルトラマラソンの大会で、市町村合併の結果大変広大になった上越市から一歩も出ずに走り続ける大会。市民の協力を全面的に得て、すごいエネルギーが費やされるので、1年おきにしか開催しない。そして、2020年大会はコロナのため開催されず、2018年の大会は、台風が接近してきたため、前夜祭まで開催したのに、前夜祭終了後に大会中止を決定したという悲劇的な展開で、今回は6年ぶりの開催となった。トップ写真に写るスタートゲートに「溜めていた思いを吐き出せ!」と書いてあるのもむべなるかな。

わたしは2014年に100㎞の部に参加しており、この時の記録(12:02:20)は未だに、100㎞レースのセカンドベストである。
(ベストは2017年のサロマ湖の11:24:05(ネット11:23:33)である)
100㎞の部は途中に激しい坂が5ヶ所あり、それなりの難コースであるが、エイドの施設が充実しており(公民館等を使わせてくれるトイレがとてもきれい)、食べものもそれぞれのエイドで工夫をこらしていてとても美味しく(米どころだけあって、おにぎりが実に美味しい)、8年たっても愉しかった思い出ばかりが浮かんでくる、とてもいい大会だったのだが、ずっと田園地帯とそれを取り囲む山間部を走るだけで、コース自体はやや地味であった。それに対し、60㎞の部は、上越市の西の端に近い名立区の道の駅うみてらす名立からスタートし、海沿いを直江津まで走り、直江津駅近辺の市街地を走った後、上杉謙信の居城のあった春日山を通り、妙高はねうまライン(要するに昔の信越線)沿いを金谷山(日本スキー発祥の地)まで走り、金谷山を下った後は、高田市街を走り、高田城を通過し、その後は田園地帯をえんえん走るが、途中で前島密生家前なども通り、100㎞に較べて見どころ満載である。ゴールは100㎞の部と同じ、ユートピアくびき希望館という公民館。
昨年膝を傷めて半年以上走れず、ようやく復帰した後も、前のようにがんがん走るのが怖く、走行距離は激減した。今年に入ってフルマラソンの大会は3回出場したが、それより長い距離は久しく走っていなかったので、ウルトラマラソン大丈夫かな、と不安だったが、まぁ60㎞ならフルマラソンの1.5倍もないし、100㎞ほど起伏は激しくないらしいし、と、ウルトラマラソンの復帰戦はえちご・くびき野の60㎞に。
今回は前夜祭はなく、ゼッケンや記念品(Tシャツ)も事前郵送。抗原検査キットも送られてきていて、当日朝、検査結果を健康観察アプリに登録して、出走資格を得る、というたてつけ。
100㎞のスタート地点で、ロジの中心となるリージョンプラザ上越(最寄り駅は春日山)近辺の宿はすぐいっぱいになってしまうので、今回は上越妙高駅前のビジネスホテル泊。シャトルバスでうみてらす名立まで連れて行ってくれる(上越妙高6時発、移動時間30分強、レースのスタートは8時。ちなみに名立に8時までにたどり着ける列車便はないので、バスに乗り損ねたらアウトである)。

ホテルの部屋が東向きだったので、朝起きて、山の向こうに真っ赤な日の出が見えてちょっと感動。前日は曇り、ちょっと小雨もぱらついたりしていたのだが、すっかり晴れた。4時半に起きて、朝ご飯食べて支度して、5:45に部屋を出る。駅前のホテルだったのですぐバスに乗る。最後は補助席まで使う満席状態。
大会ウェブサイトのコース案内動画をあらかじめ見ておいたが、そんなに真剣にずっと見ていた訳ではないので、高低差などはイメージしかわからず。朝のシャトルバスでスタートから直江津までの海沿いの道を通り、歩道は意外と起伏あるかも、と思う。うみてらす名立は、道の駅の向こうに風車が立っていて、開放的な空間。実行委員会で用意した顔ハメがあって、嬉々として写真撮って貰う。荷物預けに、ゴールまで運んでくれるドロップバッグを預けに行ったら、そこでレース名の入った黄色いはちまきをくれた。みんな首に巻いたり、ポニーテールに結んだりしている。わたしもゼッケンの下あたり、腹にぐるっと巻く。
スタート時、選手の名前を書いた、A3くらいの応援旗を持った人を何人か見かけ、地元の友人の応援なのかな、と思って見ていたら、スタートしてうみてらす名立の周りをぐるっと一周したら、びっしり応援旗を持った人が並んでいる。もしかして、参加者全員分ある? ちなみに60㎞の部のエントリーは全部で530名。うみてらす名立を出て、幹線道路より一本内側に入った市街地を走っている間も応援旗が続いている。わたしのもあるかな? 沢山並んでいたところでは見切れなかったからもしかして通り過ぎてしまったかも、と思いながら道沿いで応援している人の旗をガン見しながら走っていたらあった! 立ち止まって写真を撮らせてもらう。ランナーの中には自分の旗を貰っていた人もいたが、いや、ずっとこれ片手に持って60㎞走るのはちょっといやだなぁ、写真だけで。背負ったリュックとかに挿している人もいたが、わたしは大体それをやると途中で落とすのでそれもやめておく。

それにしても気持ちいい気候である。結果的にずっと曇天で、陽光が直接あたることは殆どなく、だからそんなに気温も上がらず、でも寒すぎることもない。基本的にずっと西から東に走るコースで、風がずっと東から吹いていたので、やや向かい風ではあったが、走る気持ちを萎えさせるほどの強さではなかった。本日の服装は、キャップ(脱いだりかぶったりしていたが、結果的に今日の天気だったらなくても大丈夫だった)、サングラス(目が乾くてコンタクトレンズが辛いので結構必須)、半袖のジップアップシャツ、アームカバー、ポケットの沢山ついたメッシュベスト(リュックがわり)、短パン、タイツ、靴はasicsターサージール。今までフルマラソンより長い距離で履いたことはなかったが、今回はまぁフルの1.5倍ないし(こればっか)。
アームカバーを下ろしたいほど暑くもなく、ずっとカバーしたままでそんなに汗ばむこともない。これは、これまでのマラソン人生の中でも屈指のマラソン日和ではないだろうか。

応援旗がとうとう終わってしばらくで、海沿いの自動車道に出る。歩道は車道と独立していて、今朝バスで通っていて、歩道がなく山みたいになっていると思った場所はトンネルになっていたりした。もっと激しく起伏があるかと思ったが、車道よりずっと標高の高い場所を走った時は、少しずつ登っていたのでそんなにきついことはなかった。

一番高いところを走っていた辺りの写真。

その後、車道の高さまで降りて、途中で地下通路を通って右の右側から左側に移り、今度は車道よりも海側の道に入って走って行くと、海水浴場があったり、サーファーが沢山集まっているスポットがあったりした。海水浴場のトイレで1回目のトイレ。道の右側に上越市立水族館が見え、そろそろ海沿いの道は終わりだ。川に沿って右折して、元の方向に戻るように方向転換したらその辺がもう直江津駅前で、交通封鎖した市街地の道を走る。沢山の人が応援に出ている。商店街で、人が沢山いて、太鼓を叩いたりして応援してくれている道沿いに顔ハメがあって、嬉しくて写真を撮って貰ってしまう(レース中に顔ハメしたのは初めてかも)。

神社のお守り配っていたのもいただいて、ベストのポケットに、出来るだけ汗がつかないようにして入れる。
市街地を抜けて、五智国分寺の中を通る(エイドもあった)。面白くて写真をいっぱい撮る。

町名の入った旗を持って応援している人が沢山いた。


その先の住宅街ですごく上り坂のきついところがあり、そこはみんなが歩いていたのでわたしも歩く。一旦下ってしばらく走るとまた登り。ここは春日山、上杉謙信の居城のあった場所である。ここも最初は緩めに走ったが、後半は歩き。結構きつい。眼前に急階段がそびえたち、その上を歩いている人が見えたので、えっあの上まで行くのか、とひるんでいたら、コースは左にそれて下りになった。つまり上杉謙信をまつった神社までは行かない、ちょっといけずなコース取りだったとも言える。がーっと上った分がーっと下り、上越教育大学のキャンパスをかすめ、上越新井線を北上。次のポイントは金谷山なので、もう1回山登りがある。しかし、道路に金谷山、と標識が出ているところでは右折せず、あれ、と思ったら、そこを降りてくるランナーがいる。ここは帰路なのか。下りてきたランナーは次はどこに進むんだろう、と思いつつ上越新井線を進み、次の大きな角で右折して、坂を登る。ここも途中から歩く。ここは日本スキー発祥の地なんだそうだ。日本で初めてスキーの普及につとめたオーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐(中佐)の銅像があるところのふもとに、ほぼ30キロ地点のエイド。レルヒさんはそこからぐっと階段上がった場所だったので見に行く気力はなく、ふもとから見上げる。

山の上のレルヒさん


おにぎりを投入したたけのこ汁


60キロの部は、100キロに較べ、エイドの食べ物がしょぼく、大体、プチトマト、バナナ、オレンジ、塩タブレットしかなく、それが残念だったが、金谷山(ほぼ中間地点)は、おにぎりとたけのこ汁、それに笹団子があって、充実(結果的にここほど充実したエイドは他になかった...)。置いてあった椅子に座り、たけのこ汁におにぎり投入して食べる。美味しい。ウルトラマラソン初めて、というランナーの人にも、おにぎりは汁に浸けちゃった方が食べやすいですよ、と指南したりする。日本スキー発祥記念館の写真など撮って、後半スタート。
坂を下り、上越新井線まで来たら、そこで地下通路を通って道の向かい側に行く。あ、ここで地下通路か。直進し、妙高はねうまラインを渡り、左折し、高田の市街に入る。この辺、道路を封鎖して、ランナーは道路の真ん中を走れるのだが、応援の人はそんなに多くはない。通りすがった人からは声援を受ける。和菓子屋さんが、羊羹を一口サイズに刻んで1個ずつ包んで店頭においてくれているのを取って食べる。
高田駅前近くまで行って折り返し、高田城へ。結構アプローチが長い。お濠を渡り、三重櫓を眺めていると、その下にエイド。ここで2回目のトイレ(レース中はトイレ2回だけ)。

高田城三重櫓

見どころはこれでほぼ終了。市街地の中を少しずつ進む。信号が結構多く、タイミング悪く足止めされることが結構多かった。信号のところにいる整理員の人にごめんねーと謝られるが交通ルール遵守がウルトラですから。ほぼ東進で市街地を抜けていくと、前島密ののぼりが沢山はためきはじめ、思ったより早く前島密記念館に到着。ここが40㎞地点。エイドで一休み。

直江津駅あたりからずっと、旧上越市内地域を走ってきて、前島密記念館のちょっと手前で上越市内でも別にエリアに入って、マンホールの模様が変わった!

高田城の近くの交差点で1つだけカラーマンホールも見たが、ランナーや交通整理の人が多くて写真撮れず...。
小型マンホールはカラーのを沢山見た。
めだかの模様のマンホールに。
ここのマンホールも小さいのしかカラーのは見当たらず。

このあと道は田園地帯に入っていく。さっき、信号が多かった辺りで、前後して走っていた人が立ち止まって足を揉んでいるので声をかけてみたら脚が攣ってしまったと。うわー、まだ20キロあるのにここからずっと足をいたわりながら進むのはきつそうだ...。

小規模な大会を走っていると、女子選手の人数をカウントしているおじさんが必ずいて、今日も、走っている途中で「女子の28位!」とか声をかけられた。この大会は年代別1-3位の入賞もあるんだが、例えば誤差があるとしてもわたしの前を25-30人位女子が走っているとして、同じ50代の人は何人いるんだろう? ずっとキロ6分位のペースで走れていて、途中トイレに行ったりエイドで休んだりしているので、それも加味するともう少し遅くなるが、痛いところもないし、暑すぎず寒すぎず直射日光も射さず、向かい風だけどそんなにきつくなく、とにかくわたしのマラソン史上ベスト3に入る(いやほぼ1位だ)好コンディション。女子は自分のペースできっちり走る人が多いので、激しい順位の変動はないのだが、景色に変化がなくなってきた今、意識は順位をどれだけ上げられるか、入賞を射程に入れることは出来るんだろうか、ということに絞られてきた。
46キロの三和体育館エイドで笹団子を食べ、シイタケこぶ茶を飲む。
48キロの丸山酒造エイドで、おにぎりが出るが、コンビニのように三角パックされたおにぎりだったので、ポケットに入れて持っていくことに。ここでも笹団子。
三和区のマンホールは水仙と稲穂の模様だった。
丸山酒造エイドで獅子舞が踊っていたが、それに気を取られていて、コースロストしそうになる。

三和区のマンホール。
一緒に撮ってあげようか?と言われたが遠慮して進む。


しばらくして三和区を抜け、浦川原区に入る。ハート4つのクローバー模様のマンホールに変わったが、あまり面白くなかったので写真は撮らず。
そして、しばらくして頸城区に入る。ここのマンホールは稲穂、田園地帯、アヤメ、蛍と盛りだくさんの模様だったが、いいタイミングでマンホールが現れず、写真撮りそびれた。
ここに上越市内のマンホールの紹介があった! ちなみに上越市には区が28もあるらしい! 今回走った60㎞は名立区をスタートし、その後は旧上越市内にあたる幾つかの区を通り、三和区、浦川原区、頸城区を走ったが、100㎞コースは旧上越市街から三和区、板倉区、清里区、牧区、安塚区、大島区、浦川原区、吉川区、柿崎区、大潟区を走って頸城区でゴールする。全然コースが違うのだ)
(名立区もスタート直後にマンホールが気になったが、スタートしてすぐで立ち止まりにくく、写真撮れないでいるうちにすぐ旧上越市地域に入ってしまったのだった)

と、後半は順位のこととマンホールのことばかり考えて走っていた感じ。途中で何人か女子を追い抜いたので、たぶん、25位以内には入ったのではないかと思いつつ進む。エイドではバナナとかプチトマトを食べ、給水はとったりとらなかったり。

最後までそんなにスピード落とすことなく、ゴールが近づいてきた。8時にスタートして、ずっとキロ6分で走り続ければ、6時間=14時にゴール出来る計算だが、エイドで休んだりすることを考えると15時より前、というのが当初の目標で、実際、それは達成できそうだな、と思って進む。
ゴールはユートピアくびき希望館という、公民館的な施設で、100㎞の部も60㎞の部も同じゴールゲートをくぐるのだが、8年前に100㎞を走った時は暗くなりかけていたこともあり、周囲の記憶が殆どない。今回もあんまり周囲の光景に深い印象を残すことなく、増えてきた応援の人に、あと1㎞だよ、あと500mだよ、と声をかけて貰いながら進む。最後だけスピード上げて、両腕上げてゴール。全く苦しいことなく最後まで楽しいなぁ楽しいなぁ、と思って走れたレースだった。

ゴールして、袋に入った記念品を渡され、ボランティアの中学生たちに誘導されて希望館の中に入る。ぼく運動が苦手で、って話してくれた男の子に、わたし42歳まで運動ってしたことなかったけれど、それでも100㎞走れるようになったから、という話をする。人生どんな未来が待っているか分からないよ。
建物に入って、うみてらす名立で預けたドロップバッグを受け取る。
密を避けるため、ユートピアくびき希望館には最大1時間しか滞在できない、という指針が出されていたが(希望館に入った時刻をどこかに打刻する、という話だった)、結局打刻はなく、友達が戻ってくるのを待っていても特に出ていくように言われることもなく、実際そんなに人が多すぎて困るような状況にもならず、知り合いに挨拶したりして過ごした。
ちなみに、ゴールで貰った袋には、水のペットボトルとおにぎりとマスクと、メダルが入っていた。メダルまで袋に入れて渡されちゃうとありがたみないねー。

どっちが表だ?


そしてこれは何をかたどっているのだ?


自分のタイム速報はすぐネットで検索できたが順位は表示されず。グロス6時間51分56秒、ネット6時間51分44秒。

そして、2日後に正式なリザルトと順位が出た。女子23位はまぁ大体途中でカウントしてくれたおじさんの言っていた通りだったが、年代別順位13位..入賞どころじゃない.。50代以外の女子が10人しかいなかったということやね。
おそるべし50代。
GPSの記録はこんな感じ。速度はすこしずつ下がっていて、最後にちょっと上げてみた感じ。エイド込みで平均速度がキロ6分52秒程度だったようだ。

たぶん、100㎞で一番速かったサロマ湖の時よりもほんの少しハイペースだったのでは、と思うが、今日は、50㎞地点を通過するときに、いや、あと50㎞走りたくないな、と思って、あと10㎞で本当にありがたい、と思ったので、こんなにいいコンディションではあったが、100㎞はなかなか気合がいるよな、と思ったことであった。
でも、エイドを堪能したいなら100㎞だよね...とも、胃袋で走る女は考えるのであった。えちご・くびき野は2年に1回開催なので(そりゃ市全体でこんなに歓待してくれるのだから、毎年やっていたら息切れしちゃうよ)、再来年どうするか、ゆっくり考えよう。市内のいたるところで「また再来年も来てくださいね!」と声をかけられたのがじわじわ心に迫って来てます。

走って3週間以上たってしまって、忘れてしまったところとかもあるがそれでもこんなに長くなってしまった。誰も読んでくれない気もするが、わたしがたぶんいつか反芻すると思う。本当に愉しく、いい大会だった。幸せだった。

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