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お伊勢参り

母がずっとお伊勢さん参りに行きたい行きたい、と言っていたので、えいやっと宿と列車をとって行ってきた。
40年くらい前、父が名古屋に単身赴任になり、その時に父の家をベースにお伊勢参りに行こうと画策していたら、祖母が入院して、半年ちょっとの闘病後亡くなったりして機会を逸してしまったとのこと。その後両親は結構色んなところに旅行に行っていたのだが、お伊勢さんは行けないまま父の体力がなくなってきて、旅行など行かなくなってしまい、昨年父が亡くなったあと、喪が明けたらお伊勢さんに行きたい、と繰り言のように言い続けるので、母の体力が無くなっちゃう前に前に行かなくては、と敢行。普段の生活には特に問題なく、杖なども使ってないし、介護認定もされていない母だが、やはり80歳過ぎると(そしてここ数年旅行に行ってなかったし)非日常行動は結構厳しい、と認識。
早く帰ろうと言われ、予約してあった新幹線を早い時間に繰り上げてとっとと帰ってきたが、それでも、お伊勢さんに行けてよかったよかったと言っているので、一応孝行は出来た、ということにしておこう(自分で決めるのか)。

さて伊勢志摩。わたし自身は中学校の修学旅行で来て以来である。わたしの通っていた中学(横浜市)では、一つ上の学年までは京都2泊、奈良1泊の3泊4日だったのが、何故かわたしたちの学年だけ京都1泊奈良1泊伊勢志摩1泊だったのである(そして次の学年から京都1泊奈良1泊の2泊3日にダウングレードされてしまったので、伊勢志摩に行ったのはわたしたちの学年だけである)。
奈良から近鉄特急(ビスタカーだった)で宇治山田まで来たことはなんとなく記憶しているが、その後のどういう風に行動したか、よく覚えていない。そんなに早い時間に移動したとは思えないので、この日は宿に入っただけだったか? それも宿がどこだったかも記憶していない。部屋がめちゃくちゃ広かったのだけが記憶に残っている。
そして、見たのは(順番も覚えていないが)伊勢神宮、御木本真珠島、二見浦の夫婦岩、である。伊勢志摩じゃないね、伊勢鳥羽だ。
五十鈴川を渡ってお参りしたのが印象的だったので、行ったのは内宮だけか(二つも神社に言った記憶はないので外宮は行ってないのだろう)。他に何か見ただろうか。今ガイドブックをざーっと見ても他に記憶のある観光地はない。忘れているだけか。
今回乗ったタクシーの運転手さんに、修学旅行で来た時に内宮だけお参りしたと思う、と言ったら、外宮→内宮の順でお参りするのがルールだけど、と言われた。行ったのかなぁ(行ってないと思っている)。

昨年の今頃、山本志乃『団体旅行の文化史』という本を読んだのだが(感想ここ)、昔は旅行といえばお伊勢参りだった。お伊勢参りだったらなんでも許される無礼講状態。あんまり、旅館とかの沢山あるエリアを通らなかったが、昔は旅行代理店機能も兼ねた巨大な宿泊施設が沢山あったのだろうなと思う。

今回のお伊勢参りは、近鉄で伊勢市駅、駅の観光案内所で荷物を宿に配送する手配をし(1150円)、まず外宮、お参りポイントが沢山あるので、ついリュックからガイドブックを出してチェックしてしまったが(観光案内所ではあまり役立つ地図はなかった)、実はお宮さんの入り口の警官の詰め所みたいな建物のところに、両面に外宮と内宮の見取り図が描かれた便利な地図が置かれていた(お参りが終わってから気づいた。貰って行って内宮では活用)。

大きな神社なので、御朱印はスピード重視。預かって後で番号呼んで、とかまだるっこしいことはせず(なんとなく順路があるので戻ってきてもらいにくい)、幾つも窓口あけて、その場でさっさと御朱印押して日付だけ記入してさっと戻してくれる。たぶん1件30秒位で処理できている。すごい。内宮も外宮もそうだった。ちなみに300円くらい、と書かれていて、500円玉出すと200円お釣りもくれる。

御朱印、ちょっと傾いている?

外宮のお参り後は、観光案内所の並びにある赤福のお店で赤福ぜんざい(今度は夏に来て赤福氷が食べたい!)、よく写真に出てくる赤福本店(内宮のおはらい町とおかげ横丁の角)のような風情はないが、回転が早いこともあり、そんなに並ばないで食べられるのは吉。

赤福ぜんざい(粒あんだったので、赤福っぽくない?)を楽しんだ後、そばにある外宮前のバス停から内宮前行きのバスに乗る。チャージは出来ないが交通系電子マネー使用可。内宮前まで440円(ちょっといい商売じゃね?、と思った)。

バスを降りて少し歩くと、宇治橋、両側に鳥居。鳥居は塗られていない木製で、ちょっと明治神宮と似た風情。この週末、紅葉がいちばんいいシーズンだったっぽく、色んな所で紅葉黄葉を楽しめた。橋の近くには十月桜も咲いていて、ちょっと不思議な雰囲気も。五十鈴川では鷺が飛んでいた。
美しく剪定された松など眺めつつ本宮へ進む。内宮もなんとなく順路が出来ていて、一方通行で進む感じ。
お参りは二礼二拍手一礼が基本、らしい。外宮でも内宮でも本宮以外にも色々お参りする社があるので、お賽銭は結構沢山用意する必要あり(とガイドブックにも書いてある)。そして、内宮の途中で母は疲れてきて、もうお参りはいい、と言い出す(結構坂を登ったところの社などがあるのできついことはきつい、結局外宮と内宮で10000歩歩いちゃったし)。
休憩所で、天皇陛下と皇后さまの参拝写真のパネルなど眺めつつしばらく休み、それからまたおはらい町を少し歩いて宿まで。徒歩以外の移動手段があまりないので、体力配分は結構重要かもしれない。
チェックインして、母を部屋で休ませてから、自分だけおはらい町に戻って、全国旅行支援の商品券を消費しに行く。赤福は、持ち帰りもぜんざい食べるイートインも大行列だったので、外宮で食べてきて正解だった。

壷井栄『二十四の瞳』でも(感想ここ)、小豆島の小学生も修学旅行は1泊でお伊勢さんだったが、小説で描かれている時代は戦時下になってきて、そんな余裕がなくなり、日帰りで金毘羅さんになった、という記述があったが、金毘羅さんですら生活に余裕のない家の子は費用が出せずに居残りになっていたので、お伊勢さん行ってた時代は、もっと貧富の差があからさまだったのだろうな、と思ったり。
有吉佐和子『真砂屋お峰』でも(感想ここ)のクライマックスで、お峰は道楽の限りを尽くした京都旅行をするが、中山道経由で旅しているので、お峰はお伊勢さんは行かなかったのかな。
物見遊山の起源、みたいなお伊勢さん。名古屋からまだ気合のいる遠さだが(だから名古屋までマラソンに行ってもなかなか帰りに伊勢までは行けない)、久々に行ってみたら色々考えさせられて面白かった。

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