フェミニズム、ジェンダー論が学問でない証拠 女性半額編
ジェンダー論を専門とする東京大学教授の主張が、対象が女性なら不快感解消のためのルール変更、男性なら不快感を我慢、と(同様の条件にもかかわらず)結論が反転することから、ジェンダー論は学問とは到底呼べない、個人の感想であることを示します。その東京大学教授は、社会学者で男女平等論を専門とする瀬地山角先生です。比較する先生の主張は次の2つです。
女性の不快感 不快感を感じる女性らがいた献血ポスター(著書『炎上CMでよみとくジェンダー論』(光文社)での瀬地山先生の主張*)
男性の不快感 不快感を感じる男性がいた焼肉女性半額(ネット番組での瀬地山先生の発言)
* ここでは、この著書の一部が再編集された「「胸が大きいだけの萌えキャラ」がセクハラ認定された本当の理由」(PRESIDENT Online)から引用します。
配信動画「Abema Prime【平等とは】牛角キャンペーンが物議…女性優遇に不満の声?平等のあり方とは」のアーカイブ
さらに瀬地山先生は、属性が一致するだけの第三者が下駄を履いている(得をしている)なら、その属性を持つ者は差別されるのが当然である、という差別を正当化しました。その実例も示します。
まず瀬地山先生の不平等な5つの主張を示します。
社会学者である瀬知山角先生の主張
1 法に触れなくても不快に感じる女性がいればルールを変更せよ vs 法に触れる事柄を男性が不快に感じても我慢せよ
女性の不快感
注:瀬知山先生が問題としたポスターより直接的な性表現として、雑誌など「男性の肌を露出したポスター/表紙」が定期的に書店や公共施設である図書館といった空間に掲出される例(このエントリの最後に参考資料として示す)は知られているが、瀬知山先生などジェンダー論の学者が「環境型セクハラ」のようなものだと声をあげた例は(知る限り)存在しない。
男性の不快感
女性の不快感に対しては、法に触れていないため法律で取り締まれないので「公共空間のルールを変えていく必要がある」一方、男性の不快感に対しては「受忍の範囲」だから男性差別は問題でないと、瀬知山先生は不平等な主張をしています。
2 アメリカ人の不快感は正しい vs アメリカで認められない事柄でも日本では問題ない
女性の不快感
男性の不快感
女性の不快感に対しては、アメリカ人の男性がきっかけだったことに理解を示し、あるひとりのアメリカ人の感覚を日本を適用して正当性を主張しているのに対して、男性の不快感に対しては、アメリカで認められない差別の基準を日本に適用できないと、瀬知山先生は不平等な主張をしています。人種差別と性差別はどちらも(基本的に)生まれつきの変えられない属性に対する差別という共通点がありますが、同じ話だと考えるのがおかしい理由を、瀬知山先生は説明できていません。
特に、不快感を示したアメリカ人の男性はたった一人でしかなく、それをアメリカの感覚と過度な一般化をしています。このように瀬知山先生は論理的に考える能力を欠いています。瀬知山先生自身が「(ポスターの掲出を)老若男女が通る新宿の地下街」でやってしまったと(後で説明する5で)挙げているように、多くのアメリカ人も見たでしょう。しかし不快感をSNSで訴えたのは大勢の中のたった一人です。多くが見た中で一人だけというこの不快感は、一般の感覚とは到底呼べず、むしろ特殊な感覚による外れ値としてとらえるのが妥当です。
また、アメリカでは、肌を見せた“Sexy, fetish nurse doll”の献血ポスターがニューヨークタイムズで2017年、肯定的に紹介されています。つまり、アメリカでは、性的に強調されたポスターを献血の広報に使うことに何の問題もありません。
3 毎日通過するかどうかわからない路地で目に入るかもしれないポスターは問題 vs 2,000円違っても毎日食べるわけではないので問題ない
女性の不快感
男性の不快感
女性の不快感に対しては、毎日とは程遠い回数しか通らない場所の、金銭的な損失のないポスターを問題だとしているのに対して、男性の不快感に対しては、毎日ではないことを理由に金銭的な損失を受忍しろと、瀬知山先生は不平等な主張をしています。
4 女性が不快に感じないようにするしくみが必要 vs 激しく優遇されていること(下駄の高さ)に気が付いていないので、不快を感じても男性は声を上げてはいけない
女性の不快感
男性の不快感
女性の不快感に対しては、不快に感じないようにするしくみが必要とするのに対して、男性の不快感に対しては、「履いている下駄の高さ」を理由に差別を肯定し、差別の指摘を非難するという、不平等な主張を瀬知山先生はしています。瀬知山先生は自身の著書『炎上CMでよみとくジェンダー論』(光文社)で、CMに対する下駄の高さとして、ある高校一校の男女別大学合格者数(東大、京大、国立大)を根拠に、女子生徒は男子生徒より東大受験を両親などから賛成されにくいという推測を挙げています。当然、CMと特定の一校の合格者数は無関係ですし、飲食店の価格キャンペーンに大学合格者数の男女比も無関係です。
5 新宿の通りの1枚のポスターは問題 vs 全国571店舗での差別は問題ない
女性の不快感
男性の不快感
キャンペーンを行った牛角 日本で最大店舗数を誇る焼肉チェーン。571店舗(2023年7月)
女性の不快感に対しては、新宿の地下街に掲出された1枚のポスターを問題視しているのに対して、男性の不快感に対しては、全国で600店舗近い日本最大の焼肉チェーンでの差別に声を上げることは間違っていると断言しているので、瀬知山先生の主張は明確に不平等です。これだけ圧倒的な規模の違うものを、少ないほうを問題視して多いほうを議論すべきでないとする瀬知山先生は、性差別をしているとみなすのがごく自然でしょう。
このような不平等な主張は瀬地山先生だけではなく、大学などではありふれたものです。ひとつ例を示します。
東京大学卒でロンドン大博士の武蔵大学人文学部教授である北村先生は、瀬地山先生と同じく、献血ポスターは法に触れていないが問題だとし、すごく高い倫理を日本赤十字社に求める文章を公開しました。この「すごく高い倫理」を医療に求めるのは、アメリカ前大統領のドナルド・トランプ氏と同じであり、ワクチン開発などの医療の研究開発に多大なダメージを与え、私たちの健康を脅かすことは欧米のニュースなどで広く知られています。
法に触れていない献血ポスターを問題視する一方、北村先生は、町議会議員(当時)の女性が訴えた虚偽の被害を真実性を検証することなく信じ、加害者に仕立てられた草津町の町長(男性)と町民を、町の利益のために女性が訴えた真実を握りつぶしたと脚本に例えて誹謗中傷しました。これは法に触れるものですが、北村先生は、誹謗中傷は1回だけだからとSNSで自分が事実を脚本に例えたことだけを謝罪し、草津町の町長と町民には謝罪しませんでした。
つまり瀬地山先生のように、北村先生は、法に触れていない献血ポスターを理由に日本赤十字社を非難したにもかかわらず、法的に問題である誹謗中傷をした相手に謝罪しませんでした。
瀬知山先生の「下駄の高さ」論は、駄目だったはずの差別を正当化する
ところで、女性差別などでは、統計的差別は認められない、という社会的認識が広がっています。瀬知山先生が「(白人が黒人より食べる量が少ないからといって優遇されるのは)アメリカでは絶対に認められない」というのも、統計的差別が認められないという認識の例です。ある属性を持つ人のグループが統計(単純には平均)的に食べる量が多い、少ないからといって、その属性を持つ個人はその統計の平均に近いとは限らない。だから、その属性を理由に個人の扱いに差をつけることが認められない、という認識です。
では、瀬知山先生の主張である「男性側が、履いている下駄の高さに気が付いていない」(ので男性は「男性差別」と言うのは間違い)は結論から言えば、統計的差別に当たります。なぜなら、瀬知山先生のように裕福な家庭に生まれ、十分な教育の機会を与えられた「高い下駄を履いている」男性もいれば、生活のために学ぶ時間を削らざるを得ない男性もいます。瀬知山先生の周囲には、瀬知山先生と同じく「高い下駄を履いている」男性が多いのでしょうが、瀬知山先生たちの高い下駄とは無縁な男性も社会には数多く存在しています。瀬知山先生が高い下駄を履いているのを理由に、何も履くことのできなかった男性から差別を訴える権利を、瀬知山先生は奪うのです。
また、瀬知山先生の主張の驚くべき点は、差別と無関係な事柄で優遇される(高い下駄を履く)ことを理由に、差別が容認されなければならない、としていることです。例えば、男性は東大生の大多数を占める、企業の経営層や政治家などの多数派を占める、という高い下駄を履いているので、東大とも経営政治とも無関係な男性であっても飲食店での(優遇されない)差別が容認されなければならないのです。これは、関連する統計を理由にした差別である統計的差別より、強力な差別の容認です。「男は黙って我慢しろ」という昭和の差別の再生産です。瀬知山先生の主張を使えば、現在認められていない多様な差別が容認されなければなりません。
まとめ
東京大学教授の社会学者で男女平等論を専門とする瀬地山角先生の主張を対比させることで、ジェンダー論が性差別を肯定する、学問とは呼べないものであることを示しました。
参考資料 (法に触れない)強い性的なメッセージの雑誌や公共空間のポスターなど
ここでは示しきれないほど豊富な実例がありますが、このうちの一つでも瀬地山角先生らが問題として指摘したことは(知る限り)ありません。これらは献血ポスター(着衣)より十分に強い性的なメッセージ(町中を歩けば周囲が戸惑う服装/脱衣)があります。
この特集以外でも、この出版社は肌を見せる表紙を好んでいるようです。