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東大式不都合な証拠の隠し方 少子化対策編
直前のエントリに対して、年間読書人さんから以下の文章を含むコメントがありました。
原文をあたると、上野や小熊がそういう言い方をしたのはしたなりの文脈があって、決して「不都合な証拠は隠せばいい。嘘をついてもいい」などとは言っていないわけです。
だから、そこだけを切り取って、「人文学者は、証拠を隠す、嘘をつく」と決めつけてしまうことは、結局のところ、ここで批判している北村紗衣と同じことをしていることにしかならない。
だから、ここはもっと謙虚に訂正を加えるべきだと思います。
でないと、人文学者に失礼だし、安達さん自身の信用が失われると思いますよ。
どういう文脈かについては、コメントとは別に、次の説明がありました。
では、彼ら(引用注 上野先生と小熊先生)が「意図したところ」とは、いったい何だったのか?
それは、「社会学という学問は、単にデータを集めてきて、それを機械的に分析すれば、自動的に一丁上がりというような、そんなお易い学問ではない。なぜならば、データはデータであって、決して、その意味するところを勝手に語ってくれるわけではなく、データからその意味するところを汲み取るのは、研究者の主体的な〝解釈〟があってのこと。そして、優れた解釈をするためには、その研究者に優れた感性がなければならない。それが無いと、データに〝秘められている深い意味〟を解析することなんて不可能なのだ」というようなことである。しかもこれは、「理系学問」だって、基本的には同じことなのではないだろうか。
つまり、「生データ」というのは、当然のことながら「玉石混交」なのであって、読み取るべき「本質」を、そのまま反映しているものもあれば、そうでないものも、当然ある。
したがって、「集めたデータ」の「意味するところ」を正しく読み取るためには、当然のことながら「ノイズとしてのデータ」を排除しなければならない。言い換えれば、「すべての生データを等価に扱う分析」というのは間違いだし、そもそも「データ分析」という行為の本質からして、そんなことは不可能なのである。
そんなわけで、上野千鶴子の言った「本当のことを言わない」というのは「見たまま、見えたままを、そのまま語ることはしない」という意味であり、「不都合なデータは出さない」というのは「すべてのデータが正しいわけではない」ということなのだ。
この説明は、上野先生の文献から引用したものではなく、年間読書人さん独自の解釈のようです。ここで「当然のことながら「ノイズとしてのデータ」を排除しなければならない。」という点に注目します。上野先生が隠した不都合な証拠は「ノイズ」だから隠すのは当然だ、ということならば、上野先生が隠した不都合な証拠が「ノイズ」として無視できないものだと示せれば返答としては十分でしょう。無視できない証拠としては、上野先生の主張を否定する証拠があげられます。
ということで、上野先生が少子化対策に関してメディアを通して公に示した2つの主張が、隠された不都合な証拠により否定される実例を示します。その2つの主張は次の通りです。
主張1 不妊治療よりも人工妊娠中絶手術を受ける理由を解決するほうが少子化対策になるので、最低賃金を時給1,500円に引き上げることが解決策。
不妊治療で生まれる子どもより、闇に葬られる子どもの数の方が多いのです。この子たちに生まれてもらうほうが少子化対策になります。(略)最低賃金を時給1500円に引き上げることが、1つの解決策になると思います。
主張2 希望出生率1.8の実現は、社会学的にあらゆるエビデンス(証拠)から不可能。
安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。
それぞれ個別に見ていきます。
主張1 不妊治療より人工妊娠中絶手術を受ける理由を解決するほうが少子化対策なので、最低賃金を時給1,500円に引き上げることが解決策。
上野氏:(略)さすがに菅義偉首相はそこまでの勘違いはしていないようですが、所信表明演説では新しいことはほとんど言いませんでした。強いて言えば、不妊治療の保険適用でしょうか。ただ、これも産みたくても産めない社会をどうにかしてほしいという女性の声に応えているとは思えません
(注 インタビュワー)日本産科婦人科学会によると、体外受精で生まれた子供の数は2018年で過去最多の5万6979人でした。総出生数は91万8400人なので、全体の約6%を占めています。
上野氏:不妊治療の保険適用は少子化対策に多少の効果があるかもしれませんが、一方で、妊娠中絶件数は2018年で約16万件にも上っています。しかも年齢層で見ると、20代前半が特に多い。安倍首相が言った、卵子の若い人たちです。
不妊治療で生まれる子どもより、闇に葬られる子どもの数の方が多いのです。この子たちに生まれてもらうほうが少子化対策になります。
彼女たちが産めない最大の理由が、経済的な問題です。
(注 インタビュワー)少子化に歯止めがかからない根本的な理由が経済的な問題だとすると、それは女性の就労者に占める非正規雇用の割合が高く、本当の意味での女性活躍が進まない問題とも表裏一体なわけですね。
上野氏:本当にそうです。世の中で働いている人たちは、待遇の恵まれている総合職の正社員ばかりではありません。
年収300万円の20代前半の男女がカップルになったら、世帯収入は600万円になります。それくらいあれば、子どもを産んで育てられる社会をつくれるはずです。それには、最低賃金を時給1500円に引き上げることが、1つの解決策になると思います。年間2000時間働いたら、年収300万円になります。
上野先生の主張を要約すると次の通り。
A 人工妊娠中絶の最大の理由が経済的な問題。
B 人工妊娠中絶の最大の理由である経済的問題を最低賃金を時給1,500円に引き上げることで解決し、出産してもらう。
C この対策(人工妊娠中絶を解消する時給引き上げ)により生まれる子どもは、不妊治療で生まれる子どもより多い。
A 人工妊娠中絶の最大の理由が経済的な問題
A に対する不都合な証拠として、日本家族計画協会「男女の生活と意識に関する調査」の最初の人工妊娠中絶手術を受けることを決めた理由(女性)のアンケート結果を示します。ただし、日本家族計画協会が直接公開したデータを見つけられなかったため、同協会理事長である北村邦夫先生による朝日新聞デジタルの記事 「あなたを守る性のはなし 中絶の実態 「胎児に申し訳ない」 受ける女性の思い」の表2から孫引きします。
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その結果によると、2014年、2016年では「経済的な余裕がない」が1位で、全体の約1/4を占めています。しかし2002年から2016年までの平均では2位で、全体の1/5弱。上野先生は「彼女たちが産めない最大の理由が、経済的な問題です。」と断定していますが、単年でなく継続的な支援を考えるなら、必ずしも最大の理由ではなく、(経済的な問題だけを解消すれば、人工妊娠中絶を選ぶ人がほとんどいなくなるほど)大きい割合になってはいません。
B 人工妊娠中絶の最大の理由である経済的問題を最低賃金を時給1,500円に引き上げることで解決し、出産してもらう
Bについて、多くの欠点が指摘できますが短く B1, B2 の2点に言及しておきます。
B1 最低賃金1,500円で世帯収入600万円になるとは限らない。
「年収300万円の20代前半の男女がカップルになったら、世帯収入は600万円になります。それくらいあれば、子どもを産んで育てられる社会をつくれるはずです。」という発言は、それ以外の多様な生き方の否定です。上野先生の言葉を借りれば「人工妊娠中絶を考えている人たちは、相手と共稼ぎの家庭を作れるような恵まれている男女カップルばかりではありません。」ということです。「経済的な余裕がない」というのは、相手が別の家庭を持っているからだったり、自分や相手が学生、生徒で収入が見込めないから、ということも十分考えられますが、そういった経済的問題を、上野先生は存在していないことにしています。また、時給換算で1,500円を超える収入を得ているが経済的な余裕がない(例えば、労働時間が限られている)人も、除外されているので無策です。
B2 最低賃金1,500円の実現は困難である。
最低賃⾦の全国平均1,500円引き上げは、前倒しを重ねて、やっと2020年代(つまり2029年に)導入するよう検討されているほど、上野先生の主張が発表されてから9年は実施が見込めない策です。さらに企業のアンケートでは、そこまでの猶予を見込んでも、ほぼ半数が不可能と答えています。
Q1.政府は、最低賃⾦を2020年代に全国平均1,500円に引き上げる目標を掲げています。貴社は、あと5年以内に時給1,500円に引き上げることは可能ですか?(択⼀回答)
◇「不可能」の企業が約5割
最多は、「不可能」の48.4%(5,277社中、2,558社)で、約5割の企業が最低賃⾦1,500円への対応が困難と回答した。⼀⽅で、「すでに時給1,500円以上を達成」が15.1%(802社)、「可能」も36.3%(1,917社)で合計51.5% (2,719社)の企業は対応可能だった。
最低賃金が全国平均1,500円に引き上げられることに合わせて段階的に賃金の引上げを行うことができるかの見解を(注 非正規社員の採用担当者863名に)聴取したところ「できないと思う(計)※」が56.3%と半数を超えた。※できないと思う(計):できないと思う+どちらかといえばできないと思う【図7】
また、最低賃金1,500円にすることで倒産する企業が出てくるという、経済学者の予測もあります。
また、勤めていた(低生産性の)企業が倒産しても、(成長部門の)企業で雇用されるので雇用は減少しないという(マクロの)予測があるものの、それが高いスキルを持たない最低賃金雇用者にも(ミクロに)当てはまるかは明確ではありません。上昇した賃金に見合う費用対効果が認められないときに、高いスキルを持たない人は雇用されない可能性があります。
C この対策(人工妊娠中絶を解消する時給引き上げ)により生まれる子どもは、不妊治療で生まれる子どもより多い
2018年において、「体外受精で生まれた子供は過去最多の5万6979人」(日本産科婦人科学会)と上野先生の記事にあります。一方、同年の人工妊娠中絶件数は161,741件(内閣府男女共同参画局 第1節 生涯を通じた男女の健康 (人工妊娠中絶の動向))と報告されています。
引用したアンケート結果にある、妊娠中絶の理由として「経済的な余裕がない」を挙げたのは最大で24.7%(2014年)なので、経済的な問題を(最低賃金に限らずあらゆる手段で)解決したとき、生まれる子どもの推定数の上限は 39,950.03 (=161,741 x 0.247) になり、不妊治療で生まれる子どもに約1.6万人及ばないことは、小学生でも計算できます。
56,979(不妊治療)>39,950.03 (=161,741 x 0.247)(経済的理由による中絶)
データがそろっていれば、東大の偉い先生が嘘をついていることが、このように小学生にもわかります。なので、データを隠すことは、偉い先生の面子を保つために仕方のないことです。
最低賃金の上昇により解決されない経済的な余裕のなさを考慮すれば、推定数はもっと少なくなるのは確実です。上野先生は「(注 取られた対策は)不妊治療の保険適用でしょうか。ただ、これも産みたくても産めない社会をどうにかしてほしいという女性の声に応えているとは思えません。」と批判していましたが、どうにかしてほしいという女性の声に答えていないのは上野先生ご自身だと気づけていないようです。
主張2 希望出生率1.8の実現は、社会学的にあらゆるエビデンス(証拠)から不可能
安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。(略)
日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。
これについては、以前にまとめた、希望出生率1.8の実現に関する社会学研究を紹介したエントリを参照してください。
社会学がわかる方、教えてください(出生率編)
このエントリにある四択の質問を、社会学がわかる方は答えていただけるとありがたいです。ごくごく単純なのに、これまで答えていただいた方がいない、不思議な質問なので、よろしくお願いします。
このエントリにある通り、同志社大学教授である岡野八代先生、東京大学大学院総合文化研究科教授である清水晶子先生、東京大学大学院情報学環教授である北田暁大先生、 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授である中島岳志先生らが、この上野先生の主張を肯定したうえで議論しています。つまり、不都合な証拠を隠して議論することは(上野先生の主張が現実に反していたとしても)常識であると、こういった有名大学の先生方が示しています。
余談:「現実(のデータ)が間違っている」と小熊研究会の資料
年間読書人さんは、上野先生と小熊先生の意図を
データからその意味するところを汲み取るのは、研究者の主体的な〝解釈〟があってのこと。(略)「不都合なデータは出さない」というのは「すべてのデータが正しいわけではない」ということなのだ。
と解釈しました。これは「現実から得られたデータが研究者の主体的な〝解釈〟に沿わないとき、そのデータ(現実)が正しくないだけだから、解釈が正しく現実が間違っている」と言い換えられます。
一方、小熊先生の研究会がネットで公開しているハンナ・アレント著『全体主義の起源』の紹介資料では、次のように「現実が間違っているというのは本末転倒」と示されています。
(2) テロル
通常の法が人間の自由を擁護するものであるのに対して、テロルとは人間と人間の間の空間(自由)を消すものである。テロルは人間を固定化する。また全体主義においては周辺に位置する人間は現実にふれる機会があるのにたいして、中心に位置する人間は現実にふれる機会がなく、専ら教義の作成に専念できる。しかしながら、そのうちに教義と現実が異なる時には現実が間違っているのであり、現実が教義に従うべきであるという本末転倒な事態が起きてくるのである。
もちろん研究会で読む文献がすべて正しいわけではないので、年間読書人さんにならえば、その研究会で発表を聞いて小熊先生は文献を否定して「教義(研究者の主体的な解釈)が正しく、現実が間違っている」と学生に説明されたのかもしれません。
上野先生や小熊先生の社会学は宗教
全体主義の「現実が間違っている」は特別なものではなく、宗教においても当然のことです。地動説や進化論の否定(した教育がされるアメリカの地域などがあるの)は、その一例です。聖書の記述は正しく、現実が間違っているとされています。この点において、上野先生や小熊先生の社会学は、先生の教えは正しく、間違っている現実を隠すのは当然という、全体主義のような、ごくふつうの宗教なのです。
まとめ
年間読書人さんからのコメントに対する応答として、上野千鶴子先生が少子化対策に関して示した2つの主張が、隠された不都合な証拠により否定されることを実例として示しました。1つ目の主張「不妊治療より人工妊娠中絶手術を受ける理由を解決するほうが少子化対策になるので、最低賃金を時給1,500円に引き上げることが解決策。」に対しては、不都合な証拠から「経済的問題の解消により人工妊娠中絶手術を受けずに済むようにする件数は不妊治療で生まれる子どもより少ないので少子化対策の代替にならない」、「最低賃金1,500円の実現は困難」など解決策になり得ないことを示しました。2つ目の主張「希望出生率1.8の実現は、社会学的にあらゆるエビデンス(証拠)から不可能」に対しては、希望出生率1.8の実現に関する社会学研究に言及した過去エントリを紹介しました。