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憧れの夏柑糖を御中元で贈り、私はすこし大人になった。

ひとつひとつ大切に包まれた、手のひらいっぱいの大振りな夏蜜柑。
宝箱のフタを開けるようにそっと中を覗けば、そこには艶やかに透きとおる初夏がみっちりと詰まっている。
綺麗に切り分けた時の美しさはこの上ない。だけど私は、清らかに輝く淡い蜜柑色に、そのまま小さな銀のスプーンをこっそりと突き入れるのだ。
はしたないと怒られそうな頂き方だが、これは私の「憧れ」なのである。

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かっこいい大人の象徴

私がこのお菓子を知ったのは、たぶん高校生の時だったと思う。
自分でお金を稼ぐ手段が限られていて、ライブ参戦費用や遠征費用をなんとか捻出する日々だった。新星堂の優しいお姉さんが大好きで、彼女が出演された映画の試写会に誘っていただいた時のワクワクした気持ちは今でも思い出せる。かっこいい大人に対する漠然とした憧れと、かっこわるいオトナに対する思春期の潔癖さが同居していた頃だった。

濫読家ゆえにタイトルは失念してしまったが、その頃に読んだとある小説にこのお菓子が出てきた。主人公の少年が憧れる大人が、少年が憧れていた「夏柑糖」を京都のお土産に買ってくるのだ。憧れの相乗効果で、まるで宝物のように描写される聞いたことのないお菓子。切り分けようとする少年に、かっこいい大人は言う。

「全部、お前のものだよ。」

本来ならば切り分けて優雅に味わうのであろう憧れのお菓子を前に、どこか背徳感すら覚えながら少年はスプーンを取り出す。初夏をまるごと味わいながら、少年は決意するのだ。「こんなかっこいい大人になりたい」と。

たぶん、恐らく、記憶の中ではこんな流れだったと思う。
あの美しい文章を読んだ瞬間、私の中で夏柑糖はかっこいい大人の象徴になった。そして、決意した。いつか夏柑糖をまるごと食べることと、かっこいい大人になって大切な人に贈ることを。

かっこいい大人になりたかった

脳内のかっこいい大人になったらやりたいことリストに深く刻まれた夏柑糖だったが、成人してからもそっとしまい込まれていた。

だってかっこいい大人になれていなかったから。

さて、私がまだ大学に所属していたころ、研究の関係で京都に行く機会があった。
そう。憧れの夏柑糖の地である。

話は少し逸れるが、私は幸いなことに優しさに包まれて育った。様々な場面で理不尽な妬み嫉みや性的搾取、ロシアンルーレットのように回ってくる嫌がらせには残念ながら人並みに晒されてきたものの、それ以上に優しい存在によって守られ続けてきた。それは親や先輩であったり、本であったり、音楽であったり、それらを通じて出会った大人達だった。
オトナ世界への忖度を強いられることもなく、ただただ大人達の優しさに包まれて生きてきた幸せな子供のまま、私はおとなになってしまった。

だから、私は慣れていなかった。

優しい大人達のことすら害しうる権力をもつ「オトナ」の存在に。

詳細は省こう。ただ、あの時よりもオトナに対しての経験値を積んだ今にして思えば、当時の私はあまりにも無知だった。怖い生き物が突然襲ってきても、強い大人が助けてくれる世界しか知らなかった。強い大人達をねじ伏せる権力の存在など知らなかった。

私が京都に行ったのは、そんな時だった。

幸いにも優しい大人達の職を失わない範囲内での様々な尽力により、京都での日々は無事に終わった。けれど、守られてばかりの自分が悲しかった。軋轢を生んだ幼さが苦しかった。けれど思春期の潔癖さはまだ私の中で息づいていた。強くてかっこいい大人になりたかった。どうしたらいいのかわからなかった。

かっこいい大人の象徴だった夏柑糖に会いたかった。

けれど季節は夏を過ぎていて、出会うことはできなかった。

夏柑糖というロマン

”戦後まもなく、もののない時代に、庭にあった夏蜜柑の果実に、少しの砂糖と寒天を合わせて、上七軒の数寄者のお客様方のためにお作りしたのが最初です。
日本原産種の夏蜜柑の強度の酸を寒天で固めることは非常に難しく、約20年前に人工ゲル化剤が誕生するまでは、唯一の蜜柑の寒天菓子として()、多くの方々のご愛顧を賜って参りました。
ところが、昭和50年以降、グレープフルーツの輸入自由化等により、夏蜜柑は甘夏に作付け転換され、その姿がほとんど消されてしまいました。私たちは、原産地である萩(山口県)の各農家に依頼し、種の保存と品物の確保に努めて参りました。” 
※ ゼリーではありません。寒天です。
引用元 http://oimatu.co.jp/product/ss/natsukanto/

夏柑糖は京都の老舗「有職菓子御調進所 老松」が季節限定で販売している京菓子だ。戦後の思い、日本原産種への思い、原材料への思いが込められている、微かにほろ苦くとても優しい甘さの美しいお菓子。

大学を出て、お世話になった先生方とも離れ、私は外の世界に出た。世渡りはやっぱり下手だ。けれど、権力を振りかざすオトナではなくかっこいい大人になるために、できることを少しずつ始めていた。

そして、初めてのお中元の季節がやってきた。

季節は初夏。今年こそはと、老松の営業時間と夏柑糖の販売時期について調べていた時に地方発送もしていることを知った。
お世話になった先生方に、私は夏柑糖を贈った。
まだかっこいい大人にはなれていないけれど、あの日の憧れをひとつ叶えるために。

すこしだけ大人になれた

数日後、先生方から丁寧なメッセージが届いた。

「美味しいみかんゼリーをありがとう」

と。

いや、ゼリーじゃないって。

喜んでいただけた嬉しさと、独り立ちした実感が一気に私の心を覆った。
かつての私であれば、贈り物を手渡すとともに、商品説明以上に長々とした熱い思いを頑是ない子供のように語っていたのだろう。拙い話をしっかりと聞いてくれる優しい大人達は、私がどんなお土産や贈り物を持ってきても喜んでくれた。

私はいつも自分が贈りたいものを贈り、相手がいつも込められた想いを汲み取ってくれる優しすぎる環境で育ってきた子供だったのだ。

私はかっこいい大人になりたい。
自分の「憧れ」を大事にできる大人に。
そして、自分の思いを押し付けるのではなく、自分の思いが伝わることを当然と思うのではなく、大切な相手が求めているものをそっと手渡せる、そんなかっこいい大人になりたい。

憧れの夏柑糖を御中元で贈り、私は自分の幼さを改めて知った。そして、理想のかっこいい大人像を再確認することで、すこし大人になれたと思う。

きっと。多分。恐らく。

私の憧れ

さあ、今年もこの季節がやってきた。
私の前には、ひとつひとつ大切に包まれた、手のひらいっぱいの大振りな夏蜜柑。―――私の憧れがある。
宝箱のフタを開けるようにそっと中を覗けば、そこには艶やかに透きとおる初夏がみっちりと詰まっている。
綺麗に切り分けた時の美しさはこの上ない。だけど私は、清らかに輝く淡い蜜柑色に、そのまま小さな銀のスプーンをこっそりと突き入れるのだ。
そっと口に運べば、あの日々の淡いほろ苦さと優しい甘さが初夏の香りと共に一気に広がる。

かっこいい大人に憧れたあの少年のように、私は憧れをまるごと味わう。

そしてまた、憧れのかっこいい大人を目指して生きていく



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