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自己紹介1「遺伝病を宣告された女子高生」

はじめまして! 

デリメド株式会社 代表取締役の遠藤ゆかです。

私は内科医として診療を行いながら、出生前診断のカウンセリングや遺伝医療への取り組みを行っています。

皆様、よろしくお願い致しますm(_ _)m

初めての投稿なので、まずは自己紹介です。


神奈川県出身、小学校から高校までは江ノ島の近くにある学校へ通学し、バスケ部やバレーボール部での部活動を中心とした学生時代を過ごしていました。

そんな私は、大学もそのまま神奈川県の医学部へ行くことになりました。

親族に医師がいるという家系で生まれ育ったこともあり幼い頃から医療業界への親しみはありましたが、医師以外の職種も考えていました。


しかし、高校時代に自分の家系が「遺伝病家系」であることを知り、自然と人間の身体や遺伝子、医学に興味を持ち始め

最終的には医学部を受験することにしました。


幼い頃から奇病と言われてきた病気に苦しんでいた兄の診断をきっかけに
私も16歳の時に遺伝病を宣告されました。

「自分も遺伝病を抱えているという」事実を、部活に明け暮れていた多感な女子高生時代に宣告されたことは、当時の私にとっては大きな衝撃だったのかもしれません。

しかし、実際は当時の感情をあまりよく覚えていません。

むしろ、両親や親友がその事実を知って泣いていたので、

「自分はしっかりしないと」

と思ったのか、私はいたって冷静でした。

「持って生まれてきたものは、仕方ない。今さら変えることはできない。」

という事実をそのまま受け入れていました。

意外かもしれませんが、宣告された当事者の反応なんて、そんなものです。

「周囲の動揺をいかに抑えるか」

を考えていたような、女子高生でした。

だから当時は、遺伝病の宣告については単純にそれくらいの気持ちでした。

当時の私にとっては部活動でのスランプや日々のきついトレーニングの方が圧倒的に大変だったので

自分の苦しみの矛先は遺伝病へは一切向いていませんでした。


私は勉強があまり好きではなく部活中心の生活だったので
医学部受験も浪人するつもりでした。

しかし、高3で部活を引退してからそれまで打ち込んでいたものを失い
仕方なく勉強するようになりました。

高3の最後の模試までずっとE判定だったので、現役で合格するはずがないと思っていましたが、受験シーズンになっていくつか本番の試験を受けているうちに「現役生でよくある最後の伸び」というのが訪れたようです。

なんとか医学部へ合格することができ、生まれ育った神奈川県を離れずに医学部へ行くことができました。


医学部時代の苦悩については次回の投稿で!

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