ピカソに学ぶストーリーテラーに知識が必要な理由とは?
やっぱ、キモイな。
目の前で目を見開き、大きく口を開けて暴れる馬を見て、そう思った。
こんな適当な絵、誰でも描けるだろ。
大学の授業でピカソの『ゲルニカ』を見たときの、素直な感想です。
次の瞬間、教授が授業を受ける僕らに、ある質問をしました。
すると全てが変わった。
その質問とは?
「皆は、パニックになって暴れ狂う馬を描ける?」
僕は持っていたペンが全く動かないことに気づいた。
さっきまで「誰でも描けるだろ」と思っていたものが、全く描けない。
もう一度、『ゲルニカ』を見た瞬間、全てが変わっていた。
馬の悲痛な鳴き声、
暴れて駆け出そうとする音、
悲鳴をあげる人たちの声、
それらが生々しく、僕の目の前に存在していた__。
簡単そうに見えるものも、実践しようとした瞬間に、初めてその複雑さに気がつくものです。
まるで時計のように。
時計の外見は、非常にシンプル。
長針と短針が、くるくると回るだけ。
しかし、内側の構造は非常に複雑で、「小さな宇宙」と表現されることもあります。
ストーリーテリングも同じなのです。
いつでも物語れるようで、実際に語り始めると、急に喉が詰まるあの感じに襲われる。
だから知識が必要なのです。
適当に部品を混ぜても時計はできません。
設計図と部品の正しい知識が必ず必要です。
知識があれば、一見すると意味のわからない絵にも、感動することができる。
学びをショートカットする人は、小さな宇宙を感じることも、1枚の絵に感動することもできないのです。
あなたは、目の前の物語の種を見逃しているかもしれません。
そんなの耐えられますか?
僕なら耐えられません。
『ゲルニカ』で感動する人がいるなら、僕もその感動を味わいたい。
その絵の奥には、どんな物語があるのかを知りたいのです。
その物語は、知識という鍵を使って開けることができる。
鍵が増えれば、開く扉も多くなります。
あなたが学んでさえいれば、誰もが見逃している扉を開けることができる。
扉の向こうの物語を味わうのは、鍵を手にした者の特権なのだから。