飲食業と麻雀の所作の共通点
海苔を巻いていた。
耐えずこちらに向かってくる長方形の酢飯に ひたすら海苔を巻き、それにさまざまなネタを乗せる。
ある時はいくら、ある時はウニ。
分量が多くなりすぎないように 胡瓜で半分くらいスペースを覆い、 その上にネタを載せる。
人類が編み出した知恵と叡智の集合体である。
延々と流れてくるベルトコンベアに 皿に乗せた軍艦巻きを倒れないように そっと置いて客席まで流す。
心の中では優しく「行ってこい。」と 家を出る娘を見送る父親の心境である。
そう、学生時代に始めた最初のアルバイトは 某有名回転寿司屋であった。
実際は甲子園の売り子が初バイトだったが、 暗黒時代のタイガースのガラガラな客席と、野球好きの中学卒業したての社会をなめきった小僧との相性がよくなかった。
ラッキーセブンまで客席でくつろぎながら野球観戦、 さぁ風船を飛ばそうと思ったところでハッと我に帰り「そういえばバイト中だった」と 動き出す少年がクビになるのに時間はかからなかった。
なのでこちらはカウントしない。
脱線したが、今回伝えたかった話も 別に内容のある話でもないので何の問題もないのだが。
僕が働いた回転寿司屋は高校生が多かった。学校に1人も友達がいない僕にとって、違う学校の子や先輩方と仕事帰りに今までしたことないような遊びを毎晩するのが楽しくて仕方がなかった。
そのうちの一つが麻雀である。
仲良くなった同い年や一個上の先輩らに誘われて当たり前のようにルールを知らないままそこそこのレートで 洗礼を受け続けた。
幸い(?)兄がその頃毎日三麻を家で友人とやっていたのでその輪に混じってはやられ、四麻でリベンジを目論むもやられを繰り返した。
バイト代は洗浄機にいれた皿のごとく吸い取られてゆく。くやしさはあったがやめたいという選択肢がなかった。
悲しいほどに楽しいゲームだった。
麻雀にのめりこんだ話はまた別の機会があれば書こうとおもいます…。
軍艦巻きに話を戻そう。
シャリロボというのが当時全盛だったかは定かではないがターンテーブルにシャリが一個づつポトポト落ちてきてそれに海苔を巻いて横のネタ乗せ係に渡すのが主な仕事だ。
まだ今ほど店が飽和状態でない、田舎の回転寿司屋の週末の夜は狂ったように忙しい。シャリロボとの壮絶な戦いが毎夜繰り広げられる。
素早く海苔をええポジションに手のひらに置き、小指で下側の海苔を掬い上げ、親指で上側の海苔を畳むように巻く。シャリが下側になって上にネタを置くスペースを早業でやるにはなかなか練習が必要だった。
これを繰り返し、極めてくると土日のシフトも怖くない。気になるあの子がネタ乗せ係になっても動揺せず綺麗に巻けるようになった。
そして時は流れ、 こちらはニ副露の混一テンパイ。
役牌二つの仕掛けでドラの白がヘッドの47pハネマンテンパイだ。
リーチの上家が悲壮な顔で白をツモ切る。
何食わぬ顔でツモってきた牌は5p。
その時だった。高速で卓上の河に並べられた6p。下家が今だとばかりに切った白ーー。
ロン、16000点です。
何が起こったかわからない下家を他所にラストの声をかける。
これが回転寿司屋仕込みの小手返しである。
あの時毎日のように海苔を巻き続けて、少年はこんなことしてなんの意味があるんだろうと人生を憂いた時期もあった。が、全ての物事には意味があるということを悟るには少しばかりの年月が必要だったようだ。
倒れるように卓上に伏せる下家を横目で見ながら 出前の寿司を取った。
「イクラとウニは、胡瓜のないやつで頼むよ」
人生とは諸行無常である。
(97%くらいフィクションです)