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B・ドハテイ自伝抄訳(3)

●子どもたちに、私が物語を書き上げるまでを説明するとき、こう話している:まず、I remember = 私は思い出す、それから let's pretend = ふりをしようと。remember は、物語をスタートさせ、物語に力と真実味を与える。 pretend は想像力を伴うので、書き手が嘘を書いても許されるのだ、と。

●こうして『How Green You Are!』を書き、その中で、わざとこの手法を使った。実生活の中では、私が書いている物語や詩や劇に、入れられることが常に起こっているーーそれを自分の書き物の中に取り入れる。現実世界も想像世界も区別はないーーすべてが描写・表現の中ににじみ出てくるーーがしかし、作家の決定的にわかりやすい・明白な 力量は、入れるか、入れないことにするか選択する過程にある、何を入れるべきか、入れるべきでないか、あるイメージからその本質を、ほとんど気づかれないほどに、しかもそこにあるようにするまで、どう絞り出すかを認識しながら、決めることにある。

●私が How Green You Are! を書いていた18ヶ月間、まだ学校で教えていて、あるクラスで1章ずつ読み聞かせていた。実は、ただ彼らのためにこの物語を書いていたし、彼らの生活にどのくらい近づけて書けているか、この一連の物語を彼らが気に入ってくれるかどうかを、どうしても知りたかったのだ。もちろん、自分が書いたとは言わなかった。そう言える勇気はなかった。私はこの一作にしがみついていた、この作品が私を書き続けさせていた。結局、ストレスで病気になり、数ヶ月間勤務を休むことになった。

●ゲーリーは自分の家を買い、サポートはしてくれていて、徐々に親友のような関係となった。私は子どもたち3人と過ごし、元気を取り戻した。ラジオ局でデイブと共に、「学校放送番組」を担当した。物語やラジオ劇を書き始め、BBCでも放送された。

●学校との契約が終るまでは、週2日勤務にしてもらい、続編を書き続けた。How Green You Are!(=短編集) は 1982年(39歳)出版され、BBCテレビで放映され、続編の The Making of Fingers Finnigan(短編集)も、1983年(40歳)出版、放映となった。
3人の子の養育と住宅ローンのため、昼夜を惜しんで書きに書いた。

●私は数編を同時に書くのが好きだ、劇・小説・物語・詩を。常に子どもたちを何より優先させてきた。でも、空いた時間はすべて書く時間だった。

●子どもたちは、今ではすっかり成長して、私は自由になった。シェフィールドのバッハクワイアに参加し、再び歌い始めている。

イギリスで創作コースの場を提供している、The Arvon Foundation のために、多くの時間 働いている。ここで新しいパートナーの Alan Brown と、愛に満ちた関係を築いている。彼も音楽とウオーキングと書くことが、私と同じほど大好きで、私たちはほとんどの時間を共に過している。それでも、残りの時間は書いている。庭が目も当てられないほどになっているのも、ムリはない!

●処女出版から4年後、1986(43) Granny Was a Buffer Girl でカーネギー賞を受賞。担当編集者からTELがあっても、信じられず、10分後に2度目の連絡で真実とわかり、子どもたちにわめき、宙返りし、何日も物が食べられなかった。Grannyの本は、英国でもう一つの賞を得、アメリカでボストングローブ・ホーンブック賞を得た。

●数ヶ月の騒ぎの後、本格的に執筆にかかり、ファンタジー・絵本・教科書・疫病の時代を背景にした歴史物などを書いた。

●カーネギー賞で自信を得た思いで、Requiem に再度取り組みたくなった。カトリックの子どもが、カトリックを振り切って自由になるこの最初の物語は、私の頭から離れたことはなかった。1990年に書き終え、最初に書いてから13年後の1991年に出版。6p.だった短編が、250p.となった。私が奨学金を得た日から、この物語は頭の中にずっとあったのだと信じている。熟成するのに必要な時間だった。主人公のセシリアは、想像上の人物だが、the journey from innocence to experience  (無知から経験への旅路・行程)  は、私自身のものだ。

一人の人生の詳細な物語は、すべての人の心に触れる。すべての人が語るべき同じ物語を持っている。私たちが書いたり読んだりするすべての物語は、一種の自分自身の内面への旅なのである。

これを書き上げた時、満足して、これ以上書きたくなくなった。燃え尽きたのだ。これまで毎日書き続けてきた  Requiem  に心血注いで、終えると消耗しきって、本を読むことさえしたくなかった。6ヶ月ほど The Arvon Foundation に全精力を注ぎ、書き物以外のことをするのが楽しかった。    

●6ヶ月経つと、心配になってきた。二度と書けなくなったらどうしよう。何か書きたいと思ったが、書くものを思いつかない。私の書く日々は永久に終ったと思った。

エージェントのジーナ・ポーリンガーが、「家族に関する短編連作」を勧めてくれた。私は短編集は得意な分野なので、自分にもできると思った。teenage pregnancy  (10代の妊娠)  を書くことにし、書きたかったのは、a human dilemma = 人の二者択一を迫られる状況だった。ロマンスでも興味本位のセックスでもなく、非常に大切な love について、特に少年たちに語りかけたかった。

10代の子どもたちに、作品を書いて売ることへの正当な理由・弁明があるとすれば、彼らに〈自分自身を見つける場所、内面的、感情的に自分自身を見つける場を与えること〉だ。あのわくわくするような、戸惑うような、そして時には苦悩を与えるような、大人となっていく道筋を描いて・・。

それで私は ”Dear Nobody” を書き上げた、ジーナも私も最初想像していたのとはまるで違った書き方で、少年と少女二人の声で、そして彼らを通して、二人の両親と祖父母の感情をも探求した。

●この作品も 1992年(49)、カーネギー賞を得た。今度は宙返りはせず、非常に冷静に受け止めた。私が挑戦しようとしたこと、まじめなラブストーリーを書こうとしたことが認められたことだったから。作家は常に読者を信頼しなくては。

●今なお書き続けている。Walking on Air / Who Wants Gold? など。子どもたちに書かないとしたら、何をするかと質問されるが、わからないとしか答えられない。 

★以上、”Something About the Author Autobiography Series vol.16” より。バーリーは自分の人生を、行きつ戻りつしながら記しているので、まとめにくかった。この自伝は、彼女が50歳くらいまでの記録で、その後のことは書かれていないが、ここ数年のバーリーとのメールのやり取りで、近況は少しわかっている面はある。

★作家として著作だけでなく1)演劇に関わり、2)二つのコーラスの会に属し、3)小、中、高校での講演に招かれ、4)小説、劇作、俳句応募作品の審査員を頼まれ、5)他国から講演に呼ばれたり、その他にも、6)3~4人で、コーヒーとビスケットつきで、英語を使ってはダメ、フランス語かスペイン語、またはドイツ語で1時間の話し合いを楽しみ、7)リュウマチで動けない人たちを支援し、8)Ceilidh band というフォークダンスミュージックとダンスの会に、以前は毎週、最近は月に一回楽しんでいると、まさに八面六臂の活躍ぶりを続けている。

★夫となったアランは、二人の子連れだったので、今は孫たちも8人となっているようで、コロナ騒ぎの前一家が集まる時、実に賑やかな様子だった。

★メールで時々仰天させられるのは、自動車事故にあって、車は大破し、彼女は大怪我で入院したとか、夫妻でノルウエーの旅に出かけ、ひどい嵐にあい、死にそうになったり、アランが怪我をしたとか、重いインフルエンザで何週間も寝込んだりしたなど、ほぼ元通りに元気を回復した頃に、そんな知らせが届く。何と言う運の強さ、そしてエネルギッシュな人だろう、と超低血圧症の私は、吐息をついている。

★バーリーは若い頃から現在まで、精神的に浮き沈みしつつも、存分に能力を発揮し、自己を見つめ、他者を愛し、ホームページやブログを通して、世界の人々とも繋がりあっている。愛情深く、思いやり深く、人間味あふれた人だと思う。

★最後に、主要作品を挙げておく。

1)Jeannie of White Peak Farm : 1984 / 2003 (カーネギー賞候補作品)    2) Children of Winter : 1985                      3) Walking on Air : 1985 / 1993(詩集)               4)Granny Was a Buffer Girl : 1986 (カーネギー賞受賞)                        (ボストングローブ・ホーンブック賞)(他に二つ受賞)                      5) Tough Luck : 1988                         6) Requiem : 1991 / 2011 / 2014                   7)Dear Nobody : 1991 (カーネギー賞受賞)                   8)Street Child : 1993 (カーネギー賞候補作)                   9) Willa and Old Miss Annie : 1994 (カーネギー賞候補作)           10) The Snake Stone : 1995 (カーネギー賞候補作)               11) Daughter of the Sea ; 1996                     12) The Sailing Ship Tree : 1998 (カーネギー賞候補作)              13) Holly Starcross : 2001 (カーネギー賞候補作)             14) Deep Secret : 2003  (カーネギー賞候補作)           15)Far From Home : 2014                      16)Snowy : 1992 / 2014 (絵本)                 17)Blue John : 2017 (絵本)

★最近知らせてくれたメールで、"Lost" という作品が、いずれ Catnip 社から出版される、とのことだった。

★Berlie Doherty について、一部だけでもお知らせできて、また読んでいただけて嬉しく、大変感謝している。

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