2章-(3) 香織今後を問われ
「疲れたでしょう、オリ、これ、差し入れよ」
横井さんが3時過ぎに、他のクラスの出店から買ってきたプリンとドーナツと、リンゴジュースを届けてくれた。彼女たちのオペレッタは、お昼過ぎの一番に終えて、好評だったそうだ。
「ありがとう!うれしい、こういうのが食べたくなってたの。ちょっとお休みして、ピアノの陰で、食べちゃおかな」
香織のお昼は、直子が寮のサンドウィッチと、出店で買ったお握りと野菜ジュースを届けてくれて、それですませていた。結城君が差し入れしてくれたチーズやレモンジュースも助かった。でも、人の出入りは激しくて、時々話しかけられたり、新聞社と雑誌社のインタビューもあったし、さすがの編み物も、香織の気持ちを鎮めてはくれなかった。
廊下の行列はまだ続いているらしい。先に見た人が、言いふらすので、途切れることなく人が集まってしまうのだ。よそからの取材が入ったニュースも、たちまち広がって、ますます見物人を呼び込むことになっていた。
内田さんと前田さんは、人気一覧表の紙をもう1枚ずつ足すことになり、 2人まで制限の買う希望者も、昼までに全部埋まってしまっていた。
「これだと、明日はどうする?」
と、2人の委員長と、専属係の3人で、頭を寄せ合った。
「2人だと48枚よね。壁に見本として残っているのが、24枚あるから、明日は希望者一人だけにしたら、どうかしら。オリは見本は残しておきたいかしら、訊いてみましょ」
これは前田さんが言い出して、佐々木委員長が、香織に問いに来た。
「今日、2枚編めたし、夕べと今朝で、1枚編んだのだけど、額縁が手元になくて、飾れないの。モチーフは手元になくても、編み図はちゃんとあるので、全部売ってしまってもかまわないけど、額縁を手に入れる店を、ミス・ニコルに伺ってもらえるかしら。私は大阪で、姉の知ってる店で買ったのだけど、姉はアメリカにいて、母は今上京しているし、お店の場所も知らないから、後で送ってもらうこともできないの」
「それなら、材料費だから、寄付金の中から、買うことにしてもいいわよね。そのこともミス・ニコルに伺いましょ」
佐々木さんはすぐに学園長を探しに行った。横井さんもいっしょに行った。
制服姿の香織は、2度手洗いに立つため廊下に出たが、夕刊に載るはずの 話題の作者だと気づいた人は、クラスの人以外にはいなかった。
江元寮監先生とユキさん、マスミさんの3人組は、全体の教室などを一巡して、もう一度香織に会いにやってきた。
「やっぱりこのアジサイの編み物が、ダントツにすばらしかった」
と、ユキさんが壁のひとつひとつの額縁を見渡しながら、そう言った。
「うちの週刊誌にも載るはずだけど、香織さんはこれからのこと、考えてるの?」
香織は口ごもり、結局首を振った。
「そうよね、急に話題にされてとまどうわよね。でも、自分でこうしたい、こうなりたい、というのは、あるでしょう? それを忘れないでいれば、だいじょうぶよ」
と、ユキさんは自分の両手をぐっとにぎって、香織に突き出してみせた。
だれにも言ったことはないけれど、編み物作家になりたい、というひそかな願いはある。でも、それがどんなものだか、掴めてはいない。編み物の製図作りを作成する人なのか、編み物にまつわる話を、エッセイみたいに書く人なのか。もっと違うものなのか・・。
「わたしの場合は、高2の時、小説の新人賞をもらったのだけど、それは 手紙の文体だったの。高一の間に、手紙文ばかり送り出していて、書くのがラクだったから。でも、その後、編集者にもっと違う文体で書くよう言われて、うまくいかなくて、今も勉強中なの。あなたは充分時間はあるのだから、ゆっくり考えて、最初の願いが叶うようにしていけばいいわ」
香織は何度も頷いて、ありがとうございます、と声にだした。
江本先生が香織をいたわるように言った。
「あなた、今日はそこに座りづめで、疲れてるみたい。少し休まないと、 明日がもう1日ありますからね。私たちも失礼しましょう」
3人は名残を惜しみながら、帰って行った。
それを聞いていた松井さんが、内田さんと芦田さんを呼んで、こう言った。
「あと1時間ほどで今日はおしまいだから、私たちで対応して、オリには 休んでもらいましょうよ」
近くにいた横井さんが、すぐに名乗り出た。
「あたしも手伝います」
「じゃあ、オリ、寮に帰って休んでていいわ。また明日、お願いね」
香織はほんとにぐったりして、やっと寮の自室に戻ってきた。すぐにベッドによじ登って手足を広げて大息をついた。このまま眠ってしまいたかった。
ドアが急に開いて、直子が帰ってきた。
「1Bへ行ってみたら、先に帰らせたって聞いて、心配したのよ。紅茶をいれるね」
「ありがと。それより、お願いがあるの。3枚できたモチーフを、アイロンしなくちゃ。明日展示したいから。額縁はきっと、委員長たちが買ってきてくれてるわ」
「まかしといて!じゃ、今すぐ先にやってくるわ。丁寧に、焦がさず、毛糸を潰さずに、ハンカチの上から、ふんわりやってみせるからね。大船に乗ってて!」
直子は香織のバッグの中から、ハンカチに包んだ3枚のニットを持って、集会室へ向かった。
香織の制服のポケットのケイタイが鳴った。やっと引っ張り出すと、結城君だった。
「疲れてベッドで寝てるんだろ」
「どうしてわかるの?」
「オリだもの、わかるさ。電話室まで行くのも辛いよな。夕刊で見たよ。 すごい人気だったんだね。あれだけ頑張ったんだから、当然のご褒美だな。尊敬、崇拝、その上は何て言えばいいんだ?」
「クフ、いいよ、そんなの」
「背中をなでて、頭をなでて、肩をもんで、足ももんで、ぎゅうっと抱いててやりたいなあ」
「フハハ、くすぐったいよ」
「やっと笑えたか!じゃあ、ひと眠りしてなよ。また後でな、オリ」
「ハーイ、ショー、おやすみなさい!」