(私のエピソード集・14) 料理上手
時々そう言われることがあるけど、とんでもない。未だにレシピ本をめくったり、ネットの画面をメモしてから、それに従っていて、何も見ずにさっと作るなんて技は、いまだに身についていない。
酢豚なら、この本の何ページ、麻婆豆腐なら何ページと、レシピの中身よりページを覚えているのだから、自分でも笑ってしまう。
結婚して、新婚旅行から帰って、まず困ったのが、料理だった。それまで、一度も自分で料理の初めから終りまでを、すべてやったことが、ほとんどなかったのだ。
寮生活では、作ってくれる専門の人たちがいて、食べさせて頂いていたし、教師になって2年間は、同居の妹が担当してくれていた。
夫によく口にしたのが、「また食べるの?」という、嘆きの言葉だった。夫は大学の助手で、毎日出かけるわけではないので、一日3食をかっちり、時間通りに食べたがる。
仕方なく、ノートを作って、次の献立を考え、必要品の買物を考え、メモをする癖が、徐々について行った。私の本棚には、文学書や英文小説と並んで、「料理メモ帳」のノートが十数冊並んでいるし、メモカードとなると、何百枚もたまっている。
それだけ見ると、努力したんだなあ、と言いたくなるが、どれも覚えてはいないのだから、自慢にもならない。
30歳の頃、40代の某有名料理店の料理長をしている夫の従姉が、わが家を訪ねてくることになり、昼食を用意することになり、途方にくれたことがある。高級品ばかり作り味わっている人に、何を出せばいいのか、見当もつかなかった。
義姉が、いいのよ、ふだん食べてるものにしよう、と言ってくれて、何を出したかは忘れてしまったが、たぶん「ポークチーズ巻きフライとサラダ・きゅうりとワカメの酢の物・根菜炊き合わせ・きんぴら・ほうれん草と春菊のごま和え」などだったと思う。常備菜はよく作っていたし、畑での収穫物も毎日使っていたから。
従姉はおいしい、おいしい、と感激しながら、残らず平らげてくれた。
その日、従姉が土産に持って来てくれた煮物類は、ニンジンもゴボウもレンコンも、皆同じ味がした。義姉がそれをつまんでみて、「いつも同じ味だね」と言った言葉で、私ははっと思い当たった。プロはいつも同じ味を作れるのだ。
素人は、作るたびに同じ味にはならないけど、それが新鮮で、かえっていいのかも。今日、五種の根菜を、別々に煮て、盛り合わせをしてよかった! それがおいしく思える元なんだ、と気付いて、それからは料理をするのが、気楽になった。
メモを見るのは、相変わらずだが、書いてある通りにするわけではなく、材料を手元に有る物で入れ替えたり、味も減らしたり、変えたりすることで、自分らしい味が出せるようにもなった。
夫の同僚との集いや、碁会をわが家で催したり、学生を招いたりなどの、客料理もなんとかこなせるようになった。
でもただ一度だけ、あれは大失敗だった、と長く後悔した出来事があった。
今夜、Y君が来るから、夕食を何か頼む、と夫に言われて、Y君なら食欲旺盛で、何でも喜んで食べてくれる、大柄で太った人だから、と以前3度いらした時の印象で、献立を決めた。とんかつをメインに、付け合わせにパスタも添えて、煮物、酢の物、汁物とそろえて・・。
ところが、予定よりもずいぶん遅く、夜11時近くに見えた彼は、以前の面影とまったく違い、げっそりとやせ細っていた。父の会社を継いだ後の、金策に駆け回っている時期で、今夜の訪問も、夫への援助申し込みのためだったのだ。
彼が車を止めている間に、テーブルにはすっかり用意をしてあったのだが、彼をひと目見て、あ、失敗! 間違えた! と思った。でも、時間が遅すぎて、私は疲れすぎて、頭も体も動けなかった。
彼は、ほんの少し箸をつけただけだった。そんな時には、きつねうどんとか、お茶漬けとか、すぐに作り替えて上げればよかったのだ、と帰られた後で、悔やんだのだった。
料理上手なら、本物の料理上手になりたいものだ。食べてくれる人の体調や、好み、苦手な物にもちゃんと対応して・・。
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