1章-(7) 暗闇の中大騒ぎ
香織は寮のきまりの多さと厳しさにうちのめされた。
自由なんて、夢に過ぎなかった。編み物をする時間など、1分もなさそうだ。
ろうそくを手に、先導する瀬川さんの後を追って、階段をおりながら、香織はゆううつになっていた。
もう少しで1号室というところで、ろうそくが消えた。
「火をつけ直してくるわ」
闇の中で、瀬川さんの声がした。
直子が手探りでドアを開け、へやに入った。続いて香織が入ると、後ろで ドアがひとりでに閉った。誰かがドアを押さえる気配があった。
変だ、と思うひまもない。
ぎゃあ!と直子のつんざくような悲鳴。香織は何かに抱きつかれた。毛むくじゃらだ!
ぞわっと首筋があわ立った。きゃあ、とわめいたとたん、香織の財布入り ハンカチ包みが吹っ飛んだ。
「助けて! どろぼう!」と香織は叫んだ。
けものはひるんだ。代わりに、ふくらはぎを冷たい物が走った。きゃー! 香織は夢中でけとばした。気味悪くて泣きべそになる。
「おかあちゃーん、帰りたーい!」
と、直子が大声で泣き出した。その声に近づこうと手探りで進む香織を、 毛むくじゃらがのしかかってくる。
「もう、やだっ」
泣き泣きけとばし、振り払うと、やっとマシュマロの直子の手に触れた。 2人で抱き合って、泣きわめいた。
2人で泣いていると、ドアの開く音。廊下を走るいくつもの足音。やっと 電灯がパッとついた。開け放されたドアから、寮じゅうの騒ぎ声が飛びこんできた。悲鳴、どなり声、怒り声、泣き声、笑い声まで、寮の中は叫び声の競演、どのへやでも同じような騒ぎがあったらしい。
「なによ、これ、計画的じゃないか!」
直子が涙の目で、2つの椅子を指さした。それぞれが、窓ぎわの机の上に 乗せられ、壁に寄せて、暗闇の中でだれもぶつからないよう、つまずかないようにしてあった。テーブルの上に、細い笹竹にトイレットペーパーを垂らしたのや、コンニャクやぬれ雑巾が床に落ちてる。脚にふれた冷たいのは これだ。
「先輩のいたずらよ!」
直子が断言。今泣いたカラス2人が吹き出していると、瀬川班長が何食わぬ顔で、2人を招待に現れた。
「電気がついてよかったね。私のへやにいらして。お茶会をするの」
香織は床にハンカチ包みの財布を見つけて、急いで拾った。
2人で瀬川さんのへやに入ると、大拍手と笑顔が迎えてくれた。かえで班の上級生が勢ぞろいしている。テーブルの上に、ケーキと紅茶が8人分整えてあった。
「大成功!」
渡辺さんが指で丸サインを出す。香織は渡辺さんの背中のうしろに、厚い 毛皮のオーバーがかくしてあるのを見た。あれがもしゃもしゃの獣だった のかぁ、けとばしちゃったけど、それも計画のうちみたいだ・・。
「おかあちゃーん、だって」と、小田さん。
「帰りたーい、って。本気かい?」と、渡辺さん。
どっと笑い声が起こる。直子は首をすくめた。
「帰らなくてもいいのよ」
「泣かせてごめんね」
「でも、泣いてくれてうれしかったよ」
2人はさんざん冷やかされた。でも、わめいたり泣いたりしたせいか、緊張は解けて、気分はさわやか。自分たちのあわてぶりを思い出すと、いつしか先輩たちと一緒になって、笑い転げていた。